密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

山本氏の理念が空々しく響いてしまう大西つねき氏の発言の傲慢さ

これは山本太郎氏にとっても、致命傷となりかねない出来事だ。
同党の大西つねき氏が、動画内で発言した内容が酷すぎるからだ。現在動画は削除され、謝罪したそうだが、これは、単なる失言・暴言の類を超えたものだ。腹の立つことばかりが多いここ数年であるが、吐き気がするほど腹が立った、というのはそうはない。


岩上安身氏がことの経緯、山本太郎氏とれいわ新撰組の対応、そして問題の大西つねき氏の動画での発言を文字起こししている。
れいわ新選組の公認候補である大西つねき氏がナチスも顔負けの「高齢者の命を選別すべき」と発言!! しかも「生命の選別しないと駄目だ」「その選択が政治」とまで言いきる! しかし、れいわ代表の山本太郎氏は大西氏を「除名しない」と声明!! | IWJ Independent Web Journal
そこから、大西発言書き起こしと、山本氏れいわの対応の部分を転載する。
#大西つねき #ツネキスト #私が総理大臣ならこうする
「正しさ依存症」とそれを生み出す教育について(Live配信2020/7/3)
50:00頃から


高齢者はこわいんですか。高齢者は逆にあれですよ、もうなんかそんな長くないじゃないですか。これもだからどこまで長生きしたいのかっていう話。これはまたね、講演会では結構ハードな話しますけど。


あれですね、リスクは常にあるし、死ぬ原因はいくらでもあるので、それをどう考えるかですね。


高齢者は死んでいいのか? 高齢者は死ぬ確率は高いし、そもそもね。その話しましょうか。どこまで、その高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。


なんでかって言うと、今その介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者をちょっと、とにかく長生き、死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。


どこまでその高齢者をもうちょっとでも長生きさせるために、子供達、若者たちの時間を使うのかってことは、真剣に議論する必要があると思います。


こういう話多分政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。


何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題として多分無理なんですよ。だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです。


そうなんですよ。これ本当ね、死生観の話になると思いますよ。いつまで我々はもうひたすら長生きさせるために、どれだけ自分たちの時間と労力をそれに使うのかっていう話は、みんなが考える必要があるし、皆が必ず死ぬということを覚悟する必要があるし、そこはもう避けては通れないと思いますよ。


こういう、だから、なんでしょう、本当に歯に衣を着せずに言う奴ってのは、まあね、批判を受けるし、なんだかんだ言われるんですけど、なんか、これなんか日本人的な感覚ぼく全然ないんです、はっきり言って、そう言った意味で言うと。


何かこう、そういうこと言ったら、誰がどう思われるかとか、どんな気持ちがするかとか、そんなこと全然考えてないです。それはそういう風に考えるしかないんじゃないのっていうのは、そのままですね、ぼくは。


超本当に合理主義っていえば合理主義です、そういった意味で言うとね。


高齢者自身の選択。もちろんそれぞれの選択はあるんですけど、それぞれの選択っていうか、やっぱりシステム的に変える、システム的っていうか、その、例えば、本人だけの選択ではなくて、社会的な選択ってある程度していく必要ってあるじゃないですか。


ベッドどれだけ用意する、ベッドをどういう風に、例えば数が、もうとにかく全員に、何があっても足りるようなベッド数を保つということは、それをケアするための膨大な多分若者が必要だったりして。これもどこまでもやればいいって話ではなくて、どっかである程度、数とかね、そこら辺は選択する必要がありますよね。


でそれも、冷徹にやっぱりやらきゃダメだと思いますよ。何かすごいね、情緒的なんですよ、この国は、言わせてもらうと。感情的だし情緒的だし、でもそんなもんで物事多分決めていけないと思います、それだけだと、というふうに思います。


まあいいんですけどね、それぞれ考えがあってね。でも僕はそういう政治家になると思いますよ。結構冷徹にいろんなことを判断していく。それを考えることを僕は要求すると思います。なんか感情とかじゃなく。


そうじゃなくて、あの気持ちは分かるけど、その気持ちだけで全部解決するわけではないので、結構割となんか過去において、我々ってそういうなんか情緒的な判断とか感情的にとか、頑張って人がいるからそんなことを言うなとか(笑)、あとはなんでしょ、なんか一生懸命やってんだからどうとか、そんなんで、なんか割と戦争があんだけ長引いたのも、なんかそんなような、何でしょう、合理的な判断ができなかったからなんじゃないですかね、と思いますけど。


まあね、あの、寿命はもしかしたら、そうね、おっしゃる通り、もしかしたら縮むかもしれませんね、我々の世代にはね。なんか食べてるもんとかだいぶ違うような気がしますからね。


まあそんな奴ですということも、僕も包み隠すつもりもないので、言っちゃいますけど。それで選ばれなかったら、それはそれまで。かなりそういった意味で言うと、僕はなんかあまり日本人的ではないのかもしれません、おそらく。なんかそういうちょっと情緒的なところはあまりないですね、全くないので。


命のためと言いながら、個人の尊厳を奪ってることが多いように見えるって、僕もそんな気がしますね。難しい、そう、ほんと難しい問題なんですけど、難しい問題をちゃんと我々、正面切って考える必要ありますよね。


で、考えることを僕は皆さんに、考えてもらうための発信はたぶんすると思います。結局最終的に皆さんにやっぱ決めていただく必要があるんですよね。僕が決めることじゃないですよ。僕はこう思いますよって、どう思いますかっていう、あくまでもこれ投げかけなので。


その結果、とにかく長生きが一番っていう人たちが大勢だったらそういう風になるんでしょ。たぶんそういう人たちが大勢だったら、僕は選ばれないのかもしれませんけど。それはそれ、僕の考え、それぞれ考えがあっていいということですね。
こちらが山本氏の返信、というか発信
大西つねき氏の動画内での発言について 2020年7月7日


大西つねき氏の動画内での発言は、
れいわ新選組の立党の精神と反するもので看過することはできない。


一方でそのことによって、
大西氏を除名するという判断はこちらにとっても簡単なことではあるが、
それでは根本的な解決にはならない。


多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考えに、
光が当たったことを今回はチャンスと捉え、
アジャストする責任が私たちにはあると考える。


この作業は、
「何度でも人生をやりなおせる社会を構築する」
という理念をもつ私たちにとって、重要な意味を持つ。


大西氏には、命の選別の問題に生命尊重の立場から、
取り組んでいらっしゃる方々にレクチャーを受けて頂き、
命について真摯に向き合うチャンスを与えたいと思う。


人は変われる。
私はその力を信じたい。


れいわ新選組 代表 山本太郎


いつもは心に響く山本太郎氏の言葉が響かない。
もちろん、人は変われる、やり直せる、しかし、それなりの代償は払わなくてはならない。党内のお勉強会で仲間内で守られ反省しました。やり直します。政治家として取り返しますって、責任を痛感するけれど責任を取らないどこかの人と同じ感じ。


これから政治家を続けてゆくとする人物にとって、公共にこれだけの意見を述べ立ててしまったからには、簡単に信用回復できる問題でもなく、自党に招き、推してきた山本太郎氏の責任の取り方も、そう簡単に納得を得られることではない。


自民党のバカ議員のいかにもバカな、愚鈍な思い込みだけの、うんざりするようなゲスな発言と同レベルで済まされないのは、大西氏の知的おごり、そして命の選別が政治の役割とまではっきり認識してしまっているところだろう(自分が選別する側という致命的おごりも)。


また、大西氏が自分を日本人的でないと認識し、日本人の情緒的体質を愚かと断じ、自己の合理性こそ能力の高さとするその考えは、彼が外資系の大銀行で働いてきたゆえに、すっかりバナナ的(皮が黄色くて中身が白い)の優越感に浸ってしまったからのように見える。しかし、もしかれが国外のオフィースで働き(日本にも支社があるからどちらかわからないが)同僚の白人たち(アフリカ系もインド系もいるだろう)の仕事上の合理性を見習ったのだとしたら、それは肝心な部分を見落としたと言える。確かに大手のバンカーマンはタカビーで嫌味な人間が多いと”言われる”が、そんな彼らでも、多くは(全部とは言わないが)感謝祭には、ママにキスをしに実家を訪ねる。妻の不満に耳を傾け理不尽に耐え、家族のために、クリスマスツリーの下にプレゼントを積み上げ、カジュアルがお国柄の象徴のバーベキューを張り切る。合理的と言われるアメリカは、情緒を大切にする、いやむしろそこに価値を一番に見出す国だ。日本の優秀(と自称する人々・前にも書いたが人の能力をスペックと呼ぶような人たち)な人たちは、そこを履き違えている。欧米は、個人主義だが利己主義ではない。必要な部分では合理的だが、理不尽な感情もとても大事にする。
全体主義で利己主義という最低の路線をいっているのが大西氏の合理主義だ。


アメリカの政治家の必須条件がこの家族への情緒的愛をもとにした国民への愛だ。老人に優しく、子供を大切にする、それが至高の理念だ。特に大統領は全国民の父(母)として存在すると言っても過言ではない(トランプは別。フリはしているが彼の姪の暴露本は彼の”家族愛”のフェイクを暴く)


山本太郎氏の返答は、なんだか弱みを見せない安倍総理・立民の枝野氏みたいだ。それが党首というものか。党の姿勢で冷静にコメントを出すのが利口か?いや、まず怒れ、激怒しろ、見損なったと食ってかかれ。一対一で怒れ。『生命尊重の立場から、取り組んでいらっしゃる方々に(から、でしょ?)レクチャーを受けて頂き』ってまるで矯正施設に入れますみたいな、そんな対応より、党首として、仲間として、ただ党のイメージ自分の保身のために、切り捨てるのが違うと思うなら、第一に自分が人間として大西氏と向き合うべきだ。


党の理念の”何度でもやり直せる”、は、弱い立場の人たち、心を痛めて、精神を壊してしまった人たち、無知であった人たち、そのために間違えを犯してしまった人たち、のために言われてる言葉だと思っていた。それを、エリートバナナ志向のこの人に、同様に当てはめるのか?少し違うと思う。


自民党議員なら号泣土下座パフォーマンスくらいする。そういう人間味(フリでも)が”情緒的な日本人”には響くんでしょう。合理的に謝罪はできないよ大西さん、まあそれでそっぽ向かれるならいいのか、愚民に迎合せず? そして政治家としては終わる。そもそも政治家なのか?


まあ、やり直せるよ、政治家でなければ、経済評論家とか上級国民のための経営コンサルタントとか、いくらでもふさわしいやり直し方がある。考えを変える必要はない、情緒的で愚な日本人を蔑んだままで、それがスペックの高い人の”何度でもやり直せる”やり方だ。それとも愚民に迎合して共に泣く政治家になりたい? つい嫌味や意地悪が溢れ出てしまうけれど、もしかしたら、欧米システムの中で頑張りすぎて、自己肯定=欧米合理主義になってしまったのかもしれない。頑張りから、背伸びしたり無理したりしちゃうこともあるし、そして日本に帰って、スーパー日本人を自称しちゃったり。


スーパー日本人には当てはまらないかもしれないけれど、海外生活において、日本人の、人を見て行動を決めるメンタリティーでは、自分は自分というアイデンティティーの確立が一番難しい。こちらに来たばかりの頃、事あるごとに、自分はどうしたいの?、聞かれ、みんながどうしたいかで、決めてゆきたいという姿勢が全く理解されなくて、本当に!!大変だった。最近はすっかり板についてきた自分ファースト(でもSelfish=わがまま・自分勝手は嫌われるのはアメリカも一緒 どう違うかは人間性の問題)それでもネイティブには敵わない。


ともあれ、山本氏、しっかり対応しないと、野党共闘つぶしの非難どころではなく、本質的なところで人から信頼失うことになる。しっかり対応してほしい。


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