密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

 ネットカフェ閉鎖とその対策の、オープンスペースに宿泊、の方が危ないんじゃ?

ネットカフェは今やライフラインだ。10年も住んでいる人がいると聞いて驚いた。
ここを無作為に閉鎖して、当て所なく放り出すのは、行政側の自己満足ではなかろうか?


公立の体育館や柔道場に、簡易ベットを3m幅で並べて、そこに滞在?
プライバシーも仕切りもない、寝ているときはいいが、それ以外の時は、もちろんみんな移動するし、仕切りのあるネットカフェより接触が起こりやすく、感染が広がってしまう可能性があるのではないか?


少なくとも、個人を隔離できる敷居が最低限必要。精神的にも無理がありすぎる。不安の中で一つの巣ペーしに集団でにいれば、話もするし、争いも起こりやすい。
また、政府の用意したアパートや宿泊施設への申し込み手続きも、お約束の複雑な、ネットカフェ生活している人には”証明”が難しい申請になっている。一体どれだけ対応できるのか?実態を知らない人たちの考えた、机上の計画と理屈は、全く現実的ではない。


それなら、ネットカフェ管理者に適切な、衛生管理と、カフェ内の”Stay at Room”のルールを徹底指導し共有の場所で、各自の消毒義務、マスク着用等を徹底した方が、人々の健康も安全が守れるのではないだろうかと思った。


優先的に、手洗い液や、マスクの常備を助け、行政の点検、審査を受け許可をもらえば、継続営業を認める。追い出すよりずっといいと思う。結局行政は、ある種のステレオタイプで、あるいは、上から目線で動いて、より感染を広げ、暮らしていけない人を追い詰める。実際ネットカフェ難民は、行政の論理で作った社会からはじき出された人たちなのだ。


追い出され、この状況では、もちろん友人を頼る無理だし、してはいけないことだ。
公園で寝泊まり、野宿では消毒もままならず、公衆トイレ、公共の水場の利用から感染が広がる可能性がある。


いいお家に生まれ、大きい家に住んで、非常時でも目減りしない給料をもらい、運転手付きの車で移動する人たちの考えることは、どこかトンチンカンで冷酷だ。
彼らにとって歯牙にかける価値もない存在の人たちが行き着いたライフライン・最後の砦を奪う、追い出して、あとは自己責任。それではあまりに無責任だ。


こういう無責任な命に関わる追い詰め方をするくらいなら、まず通勤ラッシュをなんとかした方がよほど感染予防になるだろう。



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