密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

またもや昭恵さん。権力の座にいるものは、自分の好みだけで後押ししてはいけない、況んや私人をや

ブッシュ2大統領の時、彼がブロッコリーが嫌いだと発言したため、多くの子供たちが、食べなさい、という親に『大統領も食べないじゃ会か!!」と反発。それどころか、なんとブロッコリー農家が打撃を受ける事態に発展した。


国のトップは、自分の好みを述べるのも、思慮深くあるべきだ。それはどんな影響を持つか計り知れないからだ。


当然、不用意に詐欺を働く企業のトップに、公式の招待状を出し、それを宣伝広告に、自分の顔写真付きで載せられても、怒り恥じるどころか、一般論で他人事の何処かの国の総理大臣などもってのほかだ。


公的人間にはそれだけの責任がある、しかし、いちいち細かく、憲法・法律に書いていない。書かずともそうした良識・常識は当然備わっているという大前提で選ばれる(はずだ)という不文律があった。


この不文律に漬け込んで、良識・常識を破壊し、行政を私物化し放題が現政権だ。


パーティーガールの自分の妻が引き起こした問題を隠すため、全閣僚打ち揃って、閣議決定した。これも閣僚会議の私物化だ。


そこまでして、私人にしてもらったのだから、誰か、この無邪気なパーティーガールに
公私の区別を教えてあげなければいけなかった。自分の行動がどう波及するか、ということを考えて行動するということをレクチャーすべきだった(まあ姉心臓もこのレクチャーに参加すべきだが)


総理公邸が自分の宮殿ではなく、国のものに間借りしているだけで、しかもその目的は総理大臣が24時間体制で対応すべき事態があるから、また公的な役割で人と会う必要を考慮してのものであろう。

首相主催の「桜を見る会」を巡る野党追及本部が5日、衆院議員会館にある安倍晋三首相の事務所を訪れ、安倍昭恵首相夫人による推薦人数などをただす質問状を提出した。その中に“私人”であるはずの昭恵夫人が多数の知人を招待したとされる「私物化」の問題が含まれているが、ツイッターではビジュアル系バンドのボーカルと首相公邸内でポーズを取る姿などが拡散され、「公私混同」「公と私の一体化です」という投稿が相次いだ。


今回の「桜~」問題によって、ツイッターでは昭恵夫人とビジュアル系バンド・Versailles(ヴェルサイユ)のボーカル・KAMIJO氏が首相公邸内で交流する様子が拡散されている。


 ヴェルサイユは15年4月の桜を見る会に招かれているが、KAMIJO氏は16年7月に「久しぶりに首相公邸にお邪魔してきました」と、公邸内とみられる階段前で昭恵夫人と一緒に人差し指と小指を立てたポーズを決めた写真を投稿。さらにステージ衣装で階段に座り、足を組んでポーズを取る写真と共に「昭恵さん曰く、やはり首相公邸のあの階段で座って写真を撮ったのは僕以外誰もいないそうで、あらためてお褒めいただいてしまいました」というコメントを投稿していた。


 また、同バンドの公式ユーチューブには、昭恵夫人が同じ場所でKAMIJO氏を激励するメッセージやライブを告知する動画も投稿されていた。


 ツイッターには「昭恵さんの家でやってください」という“正論”のほか、昭恵夫人に対して「首相夫人の『公私混同』というより閣議決定された『私人』による『公(邸)』の私物化ですね」「『私』を『公』にことごとく浸食させて蝕むのがこの人」「官邸をコスプレスタジオにする首相夫人」と苦言を呈する声が相次いだ。


 また、「一般人が街頭演説にヤジ飛ばしただけで強制排除されるというのに、私人が勝手に(首相公邸に)人を連れ込んで撮影会する方が問題だろ」と、7月の参院選を引き合いにして怒りを表す投稿も見られた。

これは、公邸を使ってなければ、ただのバカな総理夫人

これは、心底まずいでしょ。彼は衣装を持ち込み、プロ活動の一環で撮影した。
どこかの建物の内部を背景に使用したのであれば、当然使用料が発生する。またれをネットで拡散し宣伝行為に使ったのである。このミュージシャンもバカなの?ではあるが、ミュージシャンの評価は常識のあるなしではないから、しょうがない。しかし、総理夫人は私人であり常識を求められるのは必至だ。


そういえは、彼女の夫も、官邸の階段で、友人たちと閣僚ごっこの危難撮影をして、大顰蹙を買った(画像があるかなと調べたが、驚いたことのすっかり消えている。)似た者夫婦だ。


アメリカの大統領は、ブロッコリーの好き嫌いでさへ注意深くあらねばならないのにひき比べ、ゆるゆるの公私混同は野放し、総理夫婦に大甘の日本国民。どこかの記事で、”安倍総理の桜を見る会問題は、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論理の飛躍”と擁護していたが、まさに”風が吹けば桶屋が儲かるーことわざ、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えである”こそ、公人、特に国のトップ、要職につく人間(とその家族)が注意を巡らせなければならないことなのだ。それを怠れば(故意にしろ、不注意にしろ、)要職を担う資質がないものとして職をしろぞかねばならない。これから気をつけまぁす、なんてことが通じるわけがない*がこれで済ませようとし、押し通し済ませてしまってきた事実が山のようにある)


ちなみに桜を見る会の問題は、飛躍も何もなく、公的資金で開かれる会をし的な関係者を大量に招き、自分との関係であられる優位性を見せつける象徴的な出来事で、論理が飛躍など全くない。「風が吹けば桶屋が儲かる」は論理の飛躍を象徴することわざでもない。


自分の行動の余波を隅々まで考え、公平公正を考えて行動することこそ、最低限の国のトップの資質である。資質のないものに力を持たせれば、こんなくだらない使い方をされるのは自明の理だ。


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