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「即位の礼」に万歳三唱と空砲 海外来賓に大日本帝国復活アピールか?

YouTubで「即位礼正殿の儀」見てゾッとした。



「即位礼正殿の儀」をノーカットでお届けします(19/10/22)


本日、宮殿の松の間で「即位礼正殿の儀」が行われている。一連の天皇代替わり関連儀式の中心のひとつで、海外から多くの要人を招き、新天皇の即位を宣言する。テレビなどのマスコミは“お祝いムード”一色だが、改めて考えなくてはならないのは、本当にいま、これほど大掛かりな儀式が必要なのか、ということだ。
ー中略ー
天皇自身が被災者を配慮してパレードを延期しようとしているのに、国民の側に立たなければならないはずの安倍首相や菅官房長官は、被災地のことなんて全く無視してパレードを強行しようとしていたのである。今日の「即位礼正殿の儀」を強行したのも、官邸の強い意向だ。
 しかも、儀式には、自衛隊が安倍首相の万歳三唱の掛け声に合わせ、即位を祝う空砲が発射される。陸上自衛隊の部隊が派遣され、専用の105ミリ榴弾砲を撃つのだが、空砲は事前に入念な訓練を重ねており、それだけでも数十〜百人の自衛隊員が使われている。警備も、警視庁が最高レベルの警備態勢である「最高警備本部」を設置し、厳重な警戒態勢が敷かれている。報道によれば、最大時には全国から集められた約2万6000人の警察官が警戒にあたるという。(リテラより)


国民の窮状に配慮して、即位のパレードの延期を強く要請し、安倍政権の説得という名の圧力に屈せず頑として首を縦に振らなかった新天皇徳仁さん、父君譲りの精神はしっかり受け継がれている。しかし外国から招待客のおとづれる「即位礼正殿の儀」で、どれだけ本人の意向が聞き入れられたか?この、万歳三唱や空砲のプレゼッンテーションはまさにやったもん勝ちの安倍政権テイストでしかない。


新天皇のお言葉は、日本国憲法遵守に2度も言及し、また父母の在位時の行動、気持ち、覚悟に触れ、その気持ちを受け継ぎ、国民に寄り添い、平和を願う気持ちを素直と言えるほどの平易な言葉で語られた。


それを受けた総理大臣のお祝いの言葉も、とりあえず、御言葉を復唱し、尊敬の念を表した。しかし、その最後に、戦前戦中を思い起こさせる、天皇陛下万歳!!と戦車の空砲で、天皇の”お言葉”をぶち壊した。


だいたい、平和を願うと誓う新天皇の即位の式典でなぜ戦車を導入するのか?


西洋式・軍隊式といったが、アメリカの大統領就任式で戦車が空砲をぶっ放すなことどない。空砲は、主に正式な戦死した兵士退役軍人のお葬式に、ライフルの空砲を3〜21発、(その人の貢献度による)。Dさんは戦車の空砲など、多分中国か北朝鮮くらいしかやらないだろう、と大いに呆れた。もはや西洋式でさえない。


日本人のバンザイ!!は、アメリカでも、戦争を知る、あるいは歴史を学び知る人々にとっては、バンザイ特攻の事実”を想起させ、”天皇陛下バンザイ!!”は”ハイル・ヒットラー”に通じるイメージがある。また戦後企業戦士が栄転(左遷)の同僚を見送る駅や空港で、『**くんバンザイ!!』とやる風景なども奇異なもの、帝国主義の名残とした伝えられてもいる。


新天皇は、この安倍総理の戦前回帰丸出しの万歳三唱と戦車空砲が、ご自分の即位に際し、行われることに、内心苦々しい、悲しい思いをされていたのではないかと思う。


平成天皇も、政府主催でおこなわれた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」の場で、でいきなり ”天皇陛下バンザイ!!”とやられ、非常な不快の念を表していた。
2013年4月28日に政府主催でおこなわれた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」をめぐる、天皇の“注目すべき発言”が記されていたのだ。
 4月28日は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、本土がアメリカの占領から独立した日だ。第二次安倍政権は3年前、この日を「主権回復の日」として政府主催で初めて式典を開き、天皇と皇后を出席させた(挨拶はなし)。式典の開催は、自民党が野党時代から公約にかかげるなど、安倍首相の強いこだわりがあったが、天皇・皇后は事前段階から周辺に拒絶感を吐露していたといわれている。
 そして式典当日、菅義偉官房長官が閉式の辞を述べ、天皇・皇后が退席しようとしたとき、あの“事件”が起きる。突然、会場の出席者らが両手を挙げて「天皇陛下万歳!」と叫んだのだ。安倍首相らも壇上でこれに続き、高らかに「天皇陛下万歳」を三唱。天皇と皇后は、足を止め、会場をちらりと見やり、わずかに会釈してから会場を去った。表情は固まったままだった。


また政府の一方的な”主権回復の日”制定に、
〈陛下は、式典への出席を求める政府側の事前説明に対し、「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘されていた〉


国粋主義的に天皇を持ち出すわりに、その心を無視し、陵辱してきた安倍政権、歴史の中で時の権力者に祭り上げられ利用されてきた代々の天皇の悲しさをみる思いだ。


日本古来の儀式に、また平和を願うと天皇が直接言葉で伝えている儀式に、軍隊式セレモニーを持ち込むことの違和感も、また憲法との不整合もリテラは分析している
そもそも「即位礼正殿の儀」は、単に皇位継承を宣言するだけの行事ではない。古事記にいう「三種の神器」である天叢雲剣(レプリカ)と八尺瓊勾玉が並べられるなど、宗教色の強い儀式だ。とりわけ、天皇は「高御座」という高さ6.5メートルほどの専用の玉座にあがるが、これは天孫降臨の神話の再現ともいわれている。そして、この高御座にあがった天皇に対して、首相が「天皇陛下、万歳」と号令をかけ、自衛隊の空砲とともに万歳三唱が行われるのだ戦後民主主義教育で育たれ、父君から象徴天皇の責務を伝えられてきただろう、徳仁さん、さぞや嫌な思い出座られているだろうと思う。)


同じ正殿内とはいっても、つまり、首相が天皇を仰ぐかたちとなる。これは憲法の国民主権と政教分離に反するのではないか。
しかも、これら代替わりの儀式は、明治時代に制定された登極令に基づいて行われている。天皇の装束などもこの明治期に変化し、即位礼正殿の儀で天皇と皇后が並ぶかたちになったのも、西洋の王室儀礼を参考にして変更したとされる。つまり、現在の即位正殿の儀の形式は明治政府が確立したものであり、戦後に登極令が廃止されても、大筋、いまだその前例のままにされている。その意味では、たかが100年あまりの「伝統」でしかないのだ。


平成への代替わりの際には、高御座や剣璽の使用、登極令に基づいていることなどについて違憲論争などがマスコミも含めて盛り上がった。ところが、今回の令和への代替わりでは、まったくと言っていいほどこうした議論が見られない。さらに言えば、即位礼正殿の儀もまた、完全な宗教儀式(秘儀)である大嘗祭へ連なる儀式だ。政権は国事行為にすることで宗教色を隠しているが、戦前の国家神道のベースとなった神話を踏襲していることには変わりない。


今回こうした政教分離原則や憲法との不具合に言及し出席を拒んだのは日本共産党だけだが、マスコミの共産党欠席へのインタビューには、非難めいた口調が混じっていた。
お祝いに水を差す、とか、天皇制を潰したいのか?とかいう非難めいた感情的な同調圧力(それに屈せず90年の日本共産党だ)に流され冷静な議論ができない。多勢に流れ、批判精神を失い、権力に迎合するマスコミの劣化の象徴だ。


天皇としてその座についている人物に対する気持ち、と、天皇という制度、あるいは天皇の位置付けについて論じることは全く次元の違うことだ。だが、感情的にごっちゃにしてしまう人がいる。


平成天皇明仁氏は立派な徳の高い人だと思うし、令和天皇徳仁氏も、本当に稀に見る人格の良い人だと彼を教えた友人からも聞いている。徳仁氏の結婚の発表の時、その日本語の美しさに注目が集まったし、また雅子さんが、「私の言葉で付け加えるなら」と異例の言葉を加え、男女平等意識を持った夫婦関係であることも示されようとした。(外国から人身御供結婚と言われ、国内では皇室の伝統の締め付けの中で、色々大変な目にあうのだが、本当によく頑張ってこられたと思う)こういう人が日本の象徴として他国との交友に努めたくれることは、安倍政権下で頭が腐りきっているいるために低下した、いや破壊されたモラルの日本社会に、良き日本人の象徴ー慎ましさ、やさしさ、思いやり、謙譲の美徳を思い起こさせ、また美しい日本語の継承ためにもーとして在ってくれることは、個人的にはいいことだと思っている。


しかし、戦後の歩みの中で、日本はきちんと自分たちが起こした侵略戦争の反省と徹底的に向き合うことをしてこなかった、曖昧さを残し、制度の検証も中途半端にしてきた。 それが昨今の歴史修正主義の跋扈を許してしまった。それは日本人の徹底的に本質的に考えること・物事を突き詰めることを、苦手であり、時には良しとしない、”良い加減” ”まあまあ”の感覚が、”そうしてはいけない部分”でも、臭いものには蓋的に、放置し先送りにして、それで済ませてきた。


しかし、そこでも、日本国憲法があったからこそ、この国はダラダラにならずに、また戦争に巻き込まれずに、やってこられたと思う。今のその憲法の完成度と理念の高さ、恒久性(読み手が見識があれば)ありがたみを忘れて、不出来な頭でひねり出した、自分たちに使い勝手のいい憲法に変えようとする輩によって、こんな天皇の政治利用を平気でやってのけ、世界の来賓にかつての大日本帝国を印象づけるような民度の低い装飾を見せてしまう。本当に嫌な気分だ。


経費についての部分の転載する。本当の安倍声援は我が世の春とばかりバンバン税金を気前よく使う。しかし国民の窮状など目の端にも入らない。


関連経費も莫大だ。昨年度予算と今年度予算に計上された皇位継承に伴う式典関係費は160億円超。これは、平成時の代替わりと比べて3割も増えている。きょうの「即位礼正殿の儀」だけでも17億円が費やされる。今夜には国内外の参列者らを食事等でもてなす「饗宴の儀」を行われるが、これは25日、29日、31日と4回に分けて行われ、経費は4億6000万円だ。それとは別に、招待した194カ国からほとんどが参加する賓客についても、滞在関連費として外務省が50億円を計上している。列島を台風が遅い、何千億円もの被害が出ているなか、これだけの費用をかけなければならないのか。


新天皇の平和主義も陵辱する安倍晋三、この式典を見てこの軍国主義志向に違和感を覚える日本人が少ないとしたら、もう危機的状態である。本当にこのままでいいのか日本!?


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