密接な関係にある他国から

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新潮社ヨイショ感想文キャンペーン中止はあいトリとは全く別次元

新潮社とは日本にいた頃、文芸作品の装丁の仕事などでお世話になった。故久世光彦氏の死のある風景でもお世話になった。矢来町にも何回か足を運んだ。そんな関係上、見知っている人も数人いる。とても個性的ではあるが、優秀で文学好きが半端ない人たちだった。


今日、ハフィントンポストで、百田某の新作キャンペーンの炎上という記事を読んで、目を疑った。

出版大手の新潮社は10月5日、作家・百田尚樹さんの新刊『夏の騎士』の宣伝キャンペーンを中止することを発表した。
同社は公式ツイッターで、「お騒がせをし、申し訳ございません。 多くのご意見を受け、中止とさせていただきます。(中略) 今回皆様からいただいたご意見を真摯に受け止め、今後の宣伝活動に活かして参ります」とコメントしている。 キャンペーン開始から、わずか2日での中止となった。



同社が中止を発表したのは、10月4日から実施していた「読書がすんだらヨイショせよ #ヨイショ感想文求む」と題した宣伝キャンペーン。


朝日新聞デジタルによれば、キャンペーンは、ツイッターで百田さんの新刊小説の感想を募集するもの。「『夏の騎士』を褒めちぎる読書感想文をツイートすると図書カードが当たるビックチャンス」などと呼びかけていた同キャンペーンについては、新潮社が企画立案し、事前に百田さんに伝えた上で、同社の責任の下で実施したという。


これについてネット上では、「書評は作者をヨイショするためのものではない」「企画段階からなぜ違和感を感じなかったのだろうか」などと批判や意見が相次いでいた。
同キャンペーンに関する同社のツイートは6日現在、すでに削除されている。
一連の騒動について、『夏の騎士』の著者である百田さんは、5日夜にツイッターを更新。「新潮社も悪意があったわけじゃない。善意の企画が空回りしただけ。それに、全部をお任せにしていた私のせいでもある。私は炎上慣れしてるし、少々のダメージくらいはどうということもないです」と綴っていた。


◇「 #表現のこれから 」を考えます◇
「伝える」が、バズるに負けている。ネットが広まって20年。丁寧な意見より、大量に拡散される「バズ」が力を持ちすぎている。 あいちトリエンナーレ2019の「電凸」も、文化庁の補助金のとりやめも、気軽なリツイートのように、あっけなく行われた。「伝える」は誰かを傷つけ、「ヘイト」にもなり得る。どうすれば表現はより自由になるのか。ハフポスト日本版では、「#表現のこれから」で読者の方と考えていきたいです。
記事一覧はこちらです。


最後の文章をつけたということはハフィントンポストは、この問題を愛知トリエンナーレ問題とリンクさせているということか? もしそうだとしたら、変なまぜっ返しは、表現の自由の議論を混乱させるので、やめてほしいと思う。わずか2日でキャンペーン中止という書き方も引っ掛かりを感じる。これは出版社の宣伝表現の自由の問題でなく、出版倫理の問題だ。ある一定の意見を寄せれば、金品を得られる、ということを宣伝のツールにしてなんの恥も感じないということが問題なのだ。


文字を、言葉を扱う、それも(娯楽から)純化した芸術性までをも支える老舗出版社が、一定の傾向を限定し、感想を募る、あろうことか金品で買収するとは驚天動地だ。そしてそれが自分たちが守ってきた文学作品、作家とその編集者の矜持を貶めるということも、分からない。新潮社におけるこうした出来事は、品性という言葉も死に絶えた感のある昨今の社会全体の良識の低下・劣化が徐々に人々のセンスを狂わせていることの最も最たる現れとも思う。


リテラはこの問題をもっと掘り下げている。
当初、新潮社による発表では、作者はおまかせで全く感知していなかったとされた板が、作者公認であったのか?なんとなくこのセンス、作者主導?あるいは作家と一心同体となりやすい編集者の悪ノリ、そんな感じを受けなくもない。


リテラ表題も、”百田ファンが「左翼の妨害」「あいトリと同じ」 単に企画がバカすぎただけなのに” まさにその通りで、こういうことで、やっと日本で始まった表現の自由についての議論を何度もいうが、混ぜっ返して欲しくない。次元の全く違う話だ。



ところで、これをめぐってのネットの面白い動きがある。
新潮社による“ヨイショ感想”の見本ツイートに始まる、健全な市井の人々による、ネット大喜利 LOL!!

新潮社版“ヨイショ感想”の見本ツイート
「国語の教科書にのせるべきだ」読了後、最初に心に浮かんだ気持ちだ。
この作品は人生に必要なすべてをおしみなく読者に与えてくれる。
知らぬ間に涙が頬をつたっていた。「そうか。この本と出会うために、僕は生まれてきたんだ。」〉


ハッシュタグ「#夏の騎士ヨイショ感想文」 



〈読んだら身長が3センチ伸びました。〉
〈読んでませんが、内容が永遠の0でした。〉
〈ウィキペディアから剽窃していない、その独創性とアイデンティティに涙が止まらない 〉
〈よく炎上するのでBBQの焚き付けとして最高でした。〉
座布団一枚!!
〈新潮社が社会的に没落していくシーン、戦前みたいで怖かったです。読んでないけど〉



こういうところ、元禄庶民文化みたいでいい。一時炎上といえば、ボキャブラリーと品性に乏しいネトウヨバッシングだったけど、最近の展開、いいよね。


見るのも載せるのもヤダこのセンス。まあこの方はこういう売りで人々を楽しませているのだろうから、、、
グログロナンセンス・醜悪の極み。


もちろん作家や各界著名人からも多数の非難のコメントが寄せられたようだ。まあ、これを受けて中止に至ったわけだが、新潮社担当の言い方が、まるで安倍政権不祥事コメント
新潮社の担当者は朝日新聞の取材に対し「このキャンペーンは『夏の騎士』の魅力をより多くの方に、知っていただくために新潮社が企画、立案したものです。読者の方に楽しんで参加していただくための宣伝手法ですが、それを当方の意図とは違った形で、受け止め、不快に感じられた方がいらっしゃったとしたら遺憾です」とコメント(リテラより)


日本語で商売している人間が、こんな明白な過ちも素直に認められないのか?自分たちの意図を伝えるために言語が存在しそのプロがみっともない言い訳だ。加えて、”不快に感じられた方がいらっしゃったとしたら遺憾です”と個人の受け止め、感じ方に矮小化するとは、、、。かつ遺憾とは、「思い通りでなく残念なこと。残り惜しく思うこと」自己の正当性は担保しつつ結果が違ったことに対する悔恨の念を示す言葉だ。ここで使うか?言語で商売している人間が。こういうことが平気で行われ、出版社の人間までも悪影響を及ぼしているのは、謝らない安倍政権自民党不祥事ご対応の、偉そうな言い訳である。


まさに、悪貨が良貨を駆逐する。魚は頭から腐る。


それでも、悪政下に置いて日本の市井の人々の諷刺精神は堅調であることは喜ばしい。
新潮社編集者諸氏、言葉に拘泥し文学を愛する気持ちがあるなら(まあそれも売り上げに拘泥し利益を愛するに取って代わられたのやも知れぬが)下品で行けてない広告を打ったり、下手な本心のない謝罪なんてせず、まっとうな庶民の洒脱に学ぶべきでは?


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