密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

”無職の専業主婦”も男性優位社会の女性蔑視

「働く女性の声を受け「無職の専業主婦」の年金半額案も検討される」という記事に、
女性たちから怒りの声が上がっているという。


”無職の専業主婦”という言葉は、外に出て働いている、金を稼いで食わせてやっている、そう考える男性の典型的発想の表れとしか思えない。特に政治の中枢にいる、家事など絶対手伝わない、かつ”親学”とかの影響で、女性を家庭に縛り付けることを推奨し、”伝統”など称して、育児・介護の全責任を女性の押し付ける 甘やかされたニッポン・オヤジ連は、女性活躍を掲げ、低賃金労働に駆り出し、彼らの理想である専業主婦は、男に寄生して生きているという認識を崩さない。


家を掃除し、食事を作り、生活の様々な雑事をこなし、そして子供がいれば、子供の世話、介護が必要な両親がいれば、介護も、という重労働。そして、可視化されないその労働に対しては、対価はもちろん、感謝さえされない。 どれだけ工夫して家を居心地よくしても、美味しい食事を作っても、評価が上がるわけでもなければ、出世するわけでもない。(その上、聞くところによると、子供の持ち物の手作り強制、キャラ弁など超人的能力を必要とする環境に生きている)


女性たちはわかっている。だから、”専業主婦は無職” 年金半額案が働く女性の声のように言われることに違和感を感じ、怒りの声を上げている。



「働く女性の声を受け「無職の専業主婦」の年金半額案も検討される」
 ゴールデンウイーク中に出たこんなタイトルのネットニュースをめぐって、女性たちが一斉に怒りの声をあげている。
 問題の記事は、「週刊ポスト」2019年5月3・10日号の記事を、系列の「マネーポストWEB」がネットニュースに転載。政府が年金制度における「第3号被保険者」の改革を検討していることを伝えたものだ。


「第3号被保険者」というのは、会社員や公務員など厚生年金や共済組合に加入している「第2号被保険者」に扶養されている配偶者のことで、本人は保険料を支払わないが基礎年金を受け取ることができる一般的にはサラリーマンを夫にもつ「専業主婦」であるケースが多いが、厚労省は社会保障費削減のために、その人たちからも保険料を徴収する、もしくは支払う年金を半減させる案などを検討しているらしいのだ。


〈第3号については共稼ぎの妻や働く独身女性などから「保険料を負担せずに年金受給は不公平」という不満が根強くあり、政府は男女共同参画基本計画で〈第3号被保険者を縮小していく〉と閣議決定し、国策として妻たちからなんとかして保険料を徴収する作戦を進めている。〉


そう、「第3号被保険者」切り捨ての理由を「共稼ぎの妻や働く独身女性などの不満」のせいにしたことについて、激しい批判の声があがっているのだ。
ー後略ー


ツイッターでの「#働く女性の声」というハッシュタグによる突っ込んだ批判をいくつか取り上げているが、この
〈若者vs高齢者とか『働く女性』vs専業主婦とか、子持ちvs子なしとか…とにかく自分達の失策を市民同士の対立構造に持ってこうとする政府にキレてる。
#働く女性の声〉

は安倍政権の浅薄な分断誘導を端的に指摘している。安倍政権の国民誘導は、どんどん幼稚になっている。よほど国民を低脳だと思っているらしい。


前にも取り上げた、内閣サイバーセキュリティセンター”【お願い 3/3】SNSやネットを恐怖と悪名の拡散の場にせず、楽しいこと、幸せなこと、ほっこりすることで満たせるように、ぜひご協力ください。仲間、友だち、家族のみなさんにも、このお話を共有してくださいね。”などもよほど頭の悪い単純な人間に語りかけている口調だし、脳内を”ほっこり”させた無思考で生きていてほしい政権の本音が出ている。


毛ば部とる子さんのブログで連続して取り上げられている道徳教育もしかりだ。
道徳とサムライと安倍晋三 | 毛ば部とる子
道徳教科書が示す「権利と義務」 | 毛ば部とる子
仕事に「誇り」は必要なのか? | 毛ば部とる子


『どうして、サムライは愛され、尊敬されるようになったのでしょうか。それは、サムライの心を持った人たちが武士道という生き方をつらぬいたからです。』(中略)
『困ったとき、悩んだとき、サムライはどうやって自分の行動を決めていたのか。彼らが歩いてきた道は、今も私たちの行動のヒントになるはずです。強くて、やさしくて、かっこいい生き方を、これから菊千代(文中の登場人物)と学んでいきましょう。』(東京書籍・新しい道徳2より引用)


サムライは愛され尊敬されているのか?武士道は、武士たちが闊歩していた時代には存在しなかつた言葉だ。まあ、サムライといえば、ルパン3世の石川五右衛門を筆頭にアニメで活躍するSFスーパーサムライなどが、子供たちの頭に浮かぶだろう。
かっこいいと思う子もいるだろうが、漫画の主人公だから愛され尊敬されるように設定されているわけだ。現実のサムライ社会はいつの世も繰り返されるヒエラルキーの社会だ。


ともあれ、今の中学生が、こんな幼稚な、明らかにヘンテコな設定で、ヘンテコな価値観について考えさせられることに素直に従うとも思えない。まあ、ワタクシの子供時代も、道徳の時間などは息抜きの時間くらいなものだったから、本気で取り合わないとは思うが、国がそういう方針でこれを教育としているというのが大きな問題だろう。


教科書に、「サムライが強くて、やさしくて、かっこいい」と書いてしまう関係者は、何かに当てられているのだろうか。司馬遼太郎の幕末小説を、完全なる「史実」と信じ込んで、そのディテールすべてが実際にあったことと誤解する危うさに、なにか似ている気がしてならない。


そして、「菊千代と武士道を学んでいきましょう」を引き継いで、この菊千代が「父上」と、武士道について語るというシナリオ形式で話が進むのだが、その会話の内容というのがまたズッコケる。


「お年寄りに席を譲るべきか」と「アフリカの恵まれない子供への募金について」である。


このテーマを語るのに、わざわざサムライにする意味が分からない。
そもそも、武士道とほとんど関係がない。


これでは、道徳の教科書というより、思想の教科書という方が実態が近く、しかも筆者が現実とフィクションをかなり混同しているという点で、危うさを感じる。


「サムライが、武士道が、強くて、カッコイイ、優しい」なんて、フィクションを教科書に書いて、いったい子供をどう教育しようとしているのか。<毛ば部とる子さんのブログより>


ここで自民党のキャンペーン七人の侍ともリンクする。菊千代は、黒澤明監督『7人侍』で三船敏郎が演じる登場人物の名でもある。そして菊千代は、偽の侍である。仲間にバカにされて、武士においての幼名で呼ばれている。


なんても都合よくパクって、表面をなぜて、捻じ曲げる。本質よりイメージを先行させる広告代理店的展開にはうんざりさせられる。これが、トレンド作りならまだしも、政治の現場であり、子供達の教育だ。


こんな調子で、働く女性VS専業主婦 で世論誘導して、盛り上げて、社会保障を削る口実にしようというのがセコいし、国民を舐めている。


しかし、彼らがこういう方法で味を占めているのは、どんなこと酷いことをしても、選挙で勝ってしまうという成功体験が、国民はうまく誘導すればいい、受けそうなキャンペーンをはれば、悪いことは忘れると高を括る結果になったのだ。


そんな彼らの根強いキャンペーンの一つが、『野党がだらしない』である。これこそ、自民党にとっての強力で不動の刷り込みネガキャンだ。


反安倍メディアや言論人でも、このネガキャンを広めてしまっているのだから、とても成功している。バカな宣伝でも繰り返し耳にすれば、脳が侵される。


いい加減、こんな人を食った宣伝に乗せられのは、やめにしよう。
諸悪の根源、幼稚で倫理観を劣化させる、無能なやってるふりだけの安倍自民党政治を見限ろう。


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