使われる肖像なんてどうでもいい、という安倍政権の本音
昔、大蔵省(旧)造幣局造幣局の近くに住んでいた。そこは桜が有名で、桜の時期は一般の人にも解放し、同時に、どのようにお札などの原版を作るか、を見せてくれた。
この原版は、銅を刃物で彫って(エングレービング)作る。大変高い技術力が必要で、
10代の頃からこうした仕事に適した人材を青田買いで採用し、日々このエングレービングの練習に励むそうだ。
作業に励む部屋には、西洋の名画の模刻、自然界の生物の描写などが飾られたいた。
大変な研鑽を積んでも、やはり、才能というものは重要らしく、「天才と言われた方がもうすぐ退官を迎える、そこで、新紙幣の発行がある」、というお話だった。
(そして、福沢諭吉・夏目漱石がこの方の仕事として世に出た)
自分の仕事がお札になる、などということは、本当に希にもないことで、あとは、切手、とか、印紙などである。
ワタクシも版画を作るので、とても興味深くお話を伺ったし、また、毎日銅板に向かい、
しかし、一生日の目を見ないこともあるかもしれないという仕事とは、大変にストイックだなぁとも思った(その後、造幣局勤務であった方が、版画専門の画廊で自作の個展を開かれたのを見に行った。なんとなくホッとした。)
今回の、新札の見本画像のお札を見ると、これはエングレービングなのだろうか?と疑問が湧くが、ネット上では判別がつかない(見本だし)。今、画像加工などコンピューターでやれてしまうから、写真を取り込んで、絵画的処理を施すこともあるかもしれない。しかし、ひとつひとつの線を集中して刻む行為の上に日本国の紙幣がある、というのは大きな意味があると思う(と思うことが古いのだろうか、まあ、たかが金券だと行ってしまえばそれまでだが、日本の紙幣は重みがあって大変美しいと思ってきた)
それはさておき、、人間の顔というのは、左右対称ではないことは周知のことだ。だから反転などすれば、アイデンティティーを欠損する。
右から見た場合と、左から見た場合は違う角度であって、反転は別物だ。
反転との指摘でが出たのであれば、きちんと、精査して、間違えがあれば、差し替えなくてはならない(そしてすでに刷ってしまったものは、コレクターアイテムとしてのちに高値がつくだろう)ところがこれを訂正もせず、お得意の「問題ない」という態度なのだから救いようがない。自分たちの目的のためにはなんでも使い、しかし、その使われる者(物)への敬意など全くない安倍政権らしい対応だ。
原版を作る職人さんは、自分の表現はできうる限り持ち込まないようにきちっと、写真の陰影をなぞる。複数写真を見て、作った、など、詭弁も詭弁。複数から抽出して肖像を描けば、作った人間の主観が入る。そうなれば、人によって味方異なる、似ている似ていない論争になる。そうならないように、写真を克明に再現することに腐心する。
菅氏の論拠がいい加減な嘘だということは、特に髪の生え際、見れば一目瞭然。多数の写真など参考に使用などしていない、一枚の写真の反転使用だ。
反転で作ってしまう(というより刷ってしまう)ことはよく?あることだが、間違えとして正されるのが当然だ。津田梅子氏及び彼女に思い入れのある人々にも大変な侮辱である。
この反転新札は安倍政権の、なんでも自分たちの都合で使いちらし、しかし物事
の本質など、どうでもいい、心のない(知性も倫理観もない)政権キャラクターの象徴となるだろう。
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