密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

虚偽真実????嘘はついたが隠蔽ではない???

5日の参議院予算委員会で飛び出したこの言葉、”虚偽真実” 禅問答か?実存主義・ドイツ哲学か?よたよた答弁根元大臣が、意味不明の造語を(多分官僚が屁理屈で作ったんだろう)言い出した。


安倍総理は、蓮舫議員の質疑に、『虚偽真実の定義を法律で定めた』と述べた。いつどんな法律で『虚偽真実』などという定義を法律で定めたのか?蓮舫さんここをもっと突っ込んで欲しかったけど、あっさりスルーしてしまった。一体いつどんな法律で定義され、どう定義されたのか?ものすごく気になるが、調べた限りでは答えは見つからなかった。


ネットの中でも、#虚偽真実が話題になっている。


トランプの台頭で一般化した、ポストトゥルース(ポスト真実)
世論の形成において、客観的事実よりも感情的・個人的な意見のほうがより強い影響力をもつこと。受け入れがたい真実よりも個人の信念に合う虚偽が選択される状況をいう。
これは、真実以上に伝わりやすいということで、真実に変わる真実という意味ではない。感情的・感覚的個人の思いは、その人の本心ではあっても真実とは言わない。そんなことは子供でもわかる。”きも可愛い”的な定義がなされていいものでもないだろう。
フロイト説の言い間違えに深層心理が反映する、”立法府の長・森羅万象担当・私が国家”
などはこれに当たるだろうが、安倍総理の本心・深層心理願望ではあっても、これは真実とは言わない。


Wikipediaの真実の定義の中のこの部分
:真実は真実でもある事実の提示や自明な範囲で皆で一致し、共有されるべき事が求められる対象であるが、私的かつ個人的な範囲では他者と一致していなくても、その人物の主観という範囲での合意として真実と言えるが、人間が社会的動物として生きると言う前提がある以上、その趣での真実は他者との社会的な関係性の中で個人的な主観が許されない場合は真実ではなく、相手から見れば嘘ともなりえる危険性を孕んでいる。
こういう言葉で定義難しいのですが、この図は、明快だ。言語も日本語より英語の方が合理的ということもある。

虚偽真実などと言い出すのは、Belief(信じること、個人的・内的主観)
とTruthと混同させているからだろう。BeliefとTruthが重なる部分これを、Knowledge(知識ー広く社会に認識されたもの)と分類される。信じたことが真実である場合、これが知識となる。



さて安倍総理は、一体どんな定義を法制化したのか?(安倍総理は閣議決定ではなく法律で、といった)どなたかこの定義をご存知の方、教えてください。


もう一つの、???論理。嘘をついたが、隠蔽する意図はなかった。ではなぜ嘘をついたのか?を追求しなければならない。そこが聞きたい。(これは6日小西議員がこの点を厳しく追及していたーこれは別の記事で書きます。書いているうちに事実がどんどん進むので、追いつけない、、、、)

毎月勤労統計不正を巡り、厚生労働省の特別監察委員会の樋口美雄委員長は6日の参院予算委員会で、再調査の際に当時の担当室長らに不正を隠蔽する意図があったかどうかを「直接質問していない」と明らかにした。樋口氏が現職の労働政策審議会会長(厚労相の諮問機関)をはじめ、約20年間に延べ35の同省審議会委員などを歴任していたことも判明。野党は中立性が確保できていないと批判した。
 監察委が先月公表した追加報告書は担当室長らの虚偽説明を認定したが、組織的隠蔽を重ねて否定。立憲民主党会派の小西洋之氏は「監察委が勝手に隠す意図がなかったと評価しただけだ」と指摘した。


嘘がざっくり2通り、一つは、人を騙して利益を得るためにつく嘘 利益とは金銭はもちろん、他人の歓心を買うため、自己肯定のため(安倍の嘘、問題発言の根源はここだと思っている。そのために他の人たちの人生が大きく狂う悲劇が起こる)ということも含まれる。もう一つは、不都合な事実を隠すためにつく嘘。


何かを得るための嘘と何かを守るための嘘 得るための嘘の補填のために守るための嘘をつかざるを得ない人が出てくる。


どれだけ、言葉を弄してもうその構造はこの2つ。そして、安倍のBeliefがTruthにされるような国は明らかに独裁国家だ。国民はこの危機感を共有しなければならない。

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