密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

八百万の神々が泣いているかも。

子供の頃、大晦日は障子の張りかえ、そして神棚掃除。正月にはお神酒をあげる。亡き祖父はいつも榊を緑に保ち毎朝,柏手を打って「家内安全、商売繁盛」と唱えていた。そうする事で一日が始まった。この姿勢は決して願いを叶えてくださいと云う物でなく,自分が努力するので見守ってください、人にはどうしようもない厄災を遠ざけて下さいといった類いの物だった。
800万もの神々は、山や川や海から、台所の釜にまでおわします。今なら電子レンジにもいるかもしれない。人間が自分たちは万能で、強者であると傲り高ぶらないように、自然をないがしろにし、つまらない物でも粗末にしないように,いろいろな物に神が棲んでいると思う。そういう敬虔を持って臨む。祖父のように毎日の始まりに,自らの一部のように行う行為、これが信仰と云うのだろうと、子供心には理解していた。


神道の、その原点は古来の民間信仰と儀礼の複合体で、動物や植物その他生命のないもの、例えば岩や滝にまでも神や神聖なものの存在を認めるいわゆるアニミズム(精霊信仰)的な宗教であり,そういう所が気に入っていた。 私の神道への理解は、ごく家庭的なもので、水木しげるさんの妖怪の世界に近いかもしれない。日本人の創造性、想像力にも大いに貢献していると思う。


今翻訳している夏目漱石に夢十夜のなで,運慶が仁王を彫る話がある。運慶の鑿さばきに迷いがないので,訝っていると,見物人があれは,この大木の中に既に仁王が埋まっていてそれを掘り出しているんだ,と答える場面がある。漱石は禅に拘泥しても、やはり神道的な感受性は切り離し得ない。私も作品は、物質の中には潜在的存在があり、それが自分の持つ潜在意識に感応して流れ出る物だ,と思って作っている。


アメリカの友人たちには”We have the eight million gods"とちょっと得意げ話している。それは自然へ、いや存在する全ての物への尊厳を持って相対する,謙虚で愛情の深い精神であるし,800万も神様がいるのだから排他性も皆無。そんな民俗信仰的な宗教のはずなのに、それを司るプロの神社が、政府と結託して改憲ポロモーションとは、、、。いや,彼らが支配に回りたいのか?
リテラ; 神社が初詣客を狙い改憲の署名集め!全国各地の神社が初詣客を狙って改憲の署名集め! 日本会議・神社本庁が指令、戦前復活の目的を隠す卑劣な手
http://lite-ra.com/2016/01/post-1863.html


”神道政治連盟”このネーミングからして,神道らしくない−なんて言っても神社本庁を本宗とする、日本各地の神社を包括する大親分なんで,きっとこちらが本家本元なんでしょうが。
しかし、日本民族の古来の習俗に由来する、自然崇拝・祖先崇拝を基調とした信仰、一番政治と遠い所にある神道が,政治と結びつき国を治めようとする。そのやり方は排他的で全体主義的な一神教が行き着いてしまいやすい世界に等しい。(故に天皇の存在が必要なのか?)周囲にいる八百万の神様たちもさぞやご不快のことでしょう。


一神教的な教義も,堅苦しさもない、自然と接し呼吸するように,何かの存在を感じ、日常生活に無意識にとけ込んでいる日本の土着信仰を、国民支配の宣伝の道具にしてしまえる神官たちは堕落の極みといっていい。神社本庁は太古の神々に恥じるべき。


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