密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

謝罪にマウンティングを要求する日本社会

安田純平氏の日本記者クラブの会見についても、バッシングがされているという。

ジャーナリスト 安田純平氏 会見 2018.11.2
会見はジャーナリストらしい、冷静で、事実に基づき、観察眼とその精神力は大変なものだと感じた。拘束された組織についても、専門家らしい分析が加えられ、テロリスト集団とひとくくりにならないこと、彼らもある種、人間としてのコミュニケーションを持っていることなどを伝えた。今後、大変貴重な体験レポートがいずれ出版されるだろうと期待される。彼は、きちんと謝罪と感謝も述べた。しかし、バッシングしたい人々には、不満であったようだ。

<記事部分>
この会見がおこなわれていたのと同じ時間に放送されていたワイドショーでは、生中継でその模様を伝えながら、醜い自己責任論が吹き荒れた。安田氏が解放された当初から自己責任論を煽りに煽った『バイキング』(フジテレビ)だ。
 たとえば、安田氏は会見冒頭で「今回、私の解放に向けてご尽力いただいたみなさん、ご心配されたみなさんに、お詫びしますとともに、深く感謝申し上げたいと思います」と述べたのだが、東国原英夫はこの言葉について、こんなことを言い出した。
「最初に謝罪とお礼等々がありましたので。あれで一応、僕の気持ちはホッとしました。あれがなかったら、ちょっと席立とうかなと思ったくらいです」
 

そもそも、安田氏が会見で「お詫び」する必要はどこにもない。逆に、「お詫び」をさせてしまうこの国の受け止め方、空気のほうこそ問題なのだが、それを東国原は“謝罪がなければいきりたつところだった”と言うのである。
 

だいたい、安田氏と対論しているわけでも、会見場にいるわけでもなく、たんに番組でコメントするだけの人間が「立つつもりだった」などと言うこと自体が笑止であるが、一体、安田氏が東国原にどんな迷惑をかけたというのか。しかし、こうした東国原の上から目線の発言に対して何のツッコミもないまま番組は進行した。
 

この最中、会見では、拘束から解放にいたるまでの過程が事細かに安田氏より説明されていたのだが、これに対しても、土田晃之は「ぶっちゃけ早く質疑応答が聞きたい」「『観音開きの窓』(と安田氏は説明していたが)、いや窓2個でいいじゃないっていう。細かいディテールをすごく話してくださっているんで」と言い、安田氏の説明が長すぎると批判。さらに、元衆院議員で弁護士の横粂勝仁は、こう話した。


「理路整然として、ものすごい誠実に説明されているのは感じるんですが、少し気になったのは事実ばかりであって、内心、感情というのがほぼ言われていない」
「人質になってしまった瞬間のこと、日本政府を巻き込んでしまったときのこと、後悔とか恐怖とか、そういうものは何も語られていないので、質疑応答でそれがどう語られるかですね」
 

拘束中に何が起こったのかという細かな事実よりも、日本政府を巻き込んでしまったときの感情、後悔を語るべき──。つまり、東国原や横粂弁護士らは、「事実を語る説明会見」ではなく「後悔を語る謝罪会見」を求めていたのだ。
 現に、横粂弁護士は、安田氏が家族に対するメモのなかで、身代金要求を「放棄」しろ、「払っちゃあかん、断固無視しろ、無事帰る」というメッセージを暗号にして伝えていたことについても、「ご本人が払わなくていいと言ったって、結果払うだろうって気持ちがあったのかも聞きたい」「結果払うというのが世の中なので、それに対するどれくらいの覚悟があったのか、自分だけで完結できないってことがわかっていたかどうか聞きたい」とコメントした。
 

拘束されて身の危険に晒されているなかで、「助けてくれ」ではなく「無視しろ」と暗号メッセージを送ることはバレるリスクを考えればとても勇気のいることだ。しかし、そうした状況への想像力を働かせることもなく、“本当のところ、日本政府が身代金を払うと思っていたのでは”とゲスの勘ぐりをして、「覚悟があったのか聞きたい」などと言い出す……。これは「日本に甘えるんじゃねえよ」とバッシングしているネット上の自己責任論者とまったく同じだ。


こうした人々が望んでいるのは、”泣いて土下座”といった行為であり、これは、単なるマウンティングにほかならない。
マウンティング 【mounting】
サルがほかのサルの尻に乗り,交尾の姿勢をとること。霊長類に見られ,雌雄に関係なく行われる。動物社会における順序確認の行為で,一方は優位を誇示し他方は無抵抗を示して,攻撃を抑止したり社会的関係を調停したりする。馬乗り行為。

相手に乗りかかる・のしかかかる行為を意味する語。動物が交尾のため背後から乗りかかる体勢、あるいは、サルやゴリラなどの霊長類が自分の優位を顕示するため相手に乗りかかる体勢などを指すことが多い。
つまり空いての尊厳を叩き潰し、自分の優位性を確認したい、そうしないと満足しないという心理である。こうした謝罪に対する要求は、アジア社会で顕著に見られる。


文化大革命においても、自己批判を強要し、その文字化したものを首に下げ衆目に晒すという行為が行われた。ワンマン企業、体育会系企業などの、土下座強要もある種のマウンティング行為であり、上下関係を徹底的に可視化させて支配する行為である。


芸能人の不倫に対するヒステリックなバッシングも、然りで、自分が攻撃していい人間が尊厳を剥奪され、マウンティングされるところが見たいという、それによって、自分の優位性を感じ、日常のストレスを発散できる、ある種の代償行動である。
代償:ある目標がなんらかの障害によって阻止され達成できなくなったとき,これに代る目標を達成することによってもとの欲求を充足するような行動。代償行動がもとの欲求を充足する程度を代償価といい,これは,もとの行動と代償行動との類似度,代償行動の困難度,その現実性の程度が高いほど大である。<コンパクト>


自分には何の関係もない”有名人”をマウンティングできることは、大きな代償価を得られるのだから、やめられない。そうした人々の要求に応え、番組を構成するTV。
他人を匿名のカーテンの裏から、攻撃し、代償行動でストレス発散。こうした悲しい社会が今の日本を覆っている。それだけ社会が閉塞しているのだろうし、個人という単位が侵されている、一億総マウンティング社会。相手にのしかかられ、尊厳の放棄を求められたものの、悲しい代償行動が、集団バッシングだ。


安田氏はジャーナリストとして正しい行動をとり、極限状態でもジャーナリストであり続けた。個人として自分の足で起立した人物を、自分の足で立っていない人間たちが、数の力で引き摺り下ろそうとしても、無理である。


高遠菜穂子氏も、伊藤詩織氏もしかり。攻撃するより、彼・彼女らの、不屈の強さに敬意を払い、に学んだらどうだろう。



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