あまりに軽く、演技過剰。不都合な真実には目を向けないイージーさ
安倍晋三総理は、桜島をバックに総裁選出馬表明をし、自分に都合のいい成果を、舌足らずの口調で決然と言い切った。スローガンだけの勇ましい内容のない演出過剰の声明動画に鼻白んだ国民の多かったのではなか。そしてここにきて、安倍氏が、フェイスブック
投稿したこの句が話題を集めているらしい。
「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」
この句を知らない者でも、普通に読めば、自分の思いに比べれば桜島の煙は薄い。桜島は、何を象徴しているのか?薩摩藩氏たちの志が薄いという憤り?ということくらいは読み取れる。
ブログ:のら猫寛兵衛さんの説明が、見事なので、転載させていただきます。
桜島の政治利用2:「我が胸の燃ゆる想ひ」という安倍総理の胸のうち:のら猫 寛兵衛:So-netブログ
平野国臣といえば福岡藩の過激な攘夷論者。浪人となって薩摩藩士らとも行動を共にして倒幕を画策。NHKの『西郷どん』ではこれまで出てきたか来なかったか(幕府から追われる京都の尊皇派の僧侶・月照の逃亡を助けて薩摩に入った国臣だが、ドラマではこの場面、西郷どんしか出てこなかったような? 記憶になかとでごわす)。国臣はまた、錦江湾に身投げした西郷どんを助けてもいる(月照は溺死)。
国臣はその後、井伊直弼の暗殺計画の謀議にもからんで追われる身となり、肥後に潜伏したり、、その後にも鹿児島に行くが、薩摩の殿様・島津久光(斉彬の異母弟)にも大久保一蔵(利通)にも、なぜか疎んじられ、追放されてしまう。
そのときの平野国臣の恨み節が、安倍総理の引用したこの和歌なのだ。
我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山
私は、古き美しき日本を守り、天皇を敬い、幕府を倒し、外国人を討つという熱い思いに駆られているのに、
鹿児島のイモたちは、なんちゅうことはなかったよなあ!
という歌なのだ。寺田屋事件のあと国臣は急進派の取り締まりで捕まっている(島津久光の命令)。
釈放後、国臣は攘夷派の志士らと血気にはやり、再び捕らえられ、京都で投獄されていたが、禁門の変で火災が広がるなか、脱走を防ぐためとして斬首となった囚人のひとりであった。
幕末の不遇な攘夷論者の句を私物化して、己の無教養・無勉強(不勉強ではない)イメージ先行の軽さと、本質を調べもせずパクる浅ましさを露呈した。これが日本の総理大臣だ。
安倍晋三という人は一時万事これだ。平気で憲法のトンデモ解釈をぶち上げ、歴史修正主義を世界ん宣言し、イメージ先行で、本質や事実に目を向けない、ナンチャッテ国家日本を先導してきた。そしてこの先も、そのやり方で牽引してゆくという。
彼の軽さ、彼の大げささ、表層的で感情的な悪口レベルの当てこすりを、ワイワイと賞賛する一部の人々は、似た者同士の世界観の共有で、他の人間を抑え込もうとする、抑え込めるという妄想も共有している。
この句の後抜こう続く
「筑前の志士、平野国臣の短歌です。
大きな歴史の転換点を迎える中、日本の明日を切り拓いて参ります」。
”歴史の転換点” 国民にとって、戦後日本始まって以来の、暴力的方向転換を行う安倍政権によって、民主主義が失われる転換点だ。
日本を”切り崩し”一部の人間のための政治を行ってきた、安倍一派の独裁が完成する、日本の戦後民主主義の歴史的転換期となる茶番、総裁選の私物化に指をくわえて見ているしかない、自民党員でない国民はせめて、石破氏の一般支持率を上げることで、頭の鈍化した自民党劣化国会議員たちに次の選挙はないぞ!!と意思を表明すべきだろう。
腐臭が鼻につく、お軽いトリックスターはいい加減退場する時だ。
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