密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

男性・女性のステレオタイプによる生きづらさ・女性車両に乗り込み抗議した男性たちを幼稚だと評した理由

だいぶ前の記事、なぜ女性専用車両が男性差別だと考えるのか? - 密接な関係にある他国から にコメントをいただきました。コメントは公開させていただき、そのことについてまた少し書きたいと思います。


はじめに、このコメントを送ってくださったtararamaさんは、日本社会で、男性はこうあらねばならない、というステレオタイプに生きづらさを感じ、また女性側も被害者の側面だけでなく、過剰に攻撃的出会ったり、差別的であったりすることに、不満を感じておられるのだろうと推測しました。コメントの一文『ここでは指摘しませんが、隔たった女性視点ばかりの社会にたいする不満が男性に溜まりつつあるといったところです。』については、少し具体的にお話しいただければ、個別のテーマとして取り上げ考えてみたい旨を返信させていただきました。


その上であえて、男性が女性専用車両に乗り込んで抗議を行ったことに対して、私が幼稚と断じた理由を書かせていただきたいと思います。
便宜上コメントの一部を転載させていただきました。(tararamaさんへの、印象操作や、誘導になっていると困るので公開コメント蘭で全文もお読みください。)


女性専用車両に乗った少数の男性を率直に勇敢だと思いますよ。白い目でみられ、あるいは非難もされるでしょう。異性の専用車両にあなたは敢えて乗りますか?私は御免こうむりたいですね。かなりの意志のちからが必要ですからね。


また、男性の場合は素直に感情を表現しずらいのですね。男のくせに…泣くな…なんてね。男性が素直に「ギャー」とか、ゲイではなくて友情から男同士で手を繋げる社会となれば、男性の自殺率・うつ病・犯罪率・ホームレスの数値が一気に下がるでしょう。平均寿命も伸びます。


一部の男性にせよ、女性専用車両に乗る理由を言えたことは今後の希望となるはずです。


そもそも、この問題は、女性専用車両が象徴になっているだけで、実際には他の部分に根強い感情があると思いますよ。ここでは指摘しませんが、隔たった女性視点ばかりの社会にたいする不満が男性に溜まりつつあるといったところです。これらの抑圧されたエネルギーが一線を越えれば、マグマとなって転がり、噴出することになりますね。フェミニスト運動と逆のことが起こるはずです。


女性専用車両の設置は、世界各国でその国それぞれに世相のにより、実施さている制度で、宗教的理由などの加味された結果である国の多数あるようです。
原則は
女性専用車両は指定した車両において女性以外の乗車を、男性の任意協力のもとに遠慮願うもので、鉄道車両、バス・タクシーなどにおいて設定されている。但し、事業者によっては男性の同伴、幼児、身体障害者の乗車が認められることもある。(by wiki)
日本においては、
女性専用車両は、1912年(明治45年)に東京の中央線において朝夕に限り導入された「婦人専用電車」が最初とされている。その後短期間に興廃が繰り返されたが、1980年代末には大阪で痴漢を咎めた女性が逆に強姦被害にあうという「地下鉄御堂筋線事件」が発生[19][20]。それを機会に結成された団体などが性犯罪防止を鉄道各社に訴えた。この動きが底流のひとつとなり、21世紀の女性専用車両を形作ることになった。2000年(平成12年)には京王電鉄京王線で試験導入された「女性専用車両」を皮切りに関東・関西の鉄道事業者を中心に導入が相次ぐ。また、札幌、名古屋、福岡など各都市圏においても拡がりを見せた。法的には鉄道営業法第34条2号の「婦人ノ為ニ設ケタル待合室及車室等ニ男子妄ニ立入リタルトキ」という文言があるものの、21世紀現在の女性専用車両においては国土交通省は「鉄道営業法34条2号」は適用されるものではない、との見解がなされ、各事業者が任意に設定した制度として扱われる。


という経緯で実施されている。もし、この制度に不満を持つのであれば、抗議すべきはこの制度を導入実施している各事業者にであり、利用者であり女性たちに対して行われるべきではありません。それが幼稚ではない抗議のあり方と言えるのではないかと思います。


もちろん、この抗議者たちが、最初は各事業者に抗議や改善要求を行い、それが受け入れられずこのような形に至ったとしても、それが決して”勇気”などではなく、一番やりやすくストレスをぶつけやすい対象に、直裁に不満をぶつける行為に他ならず、社会手にに成熟した抗議行動とはほど遠く、また、一般市民に対する、相手への圧力、恐怖や不快なんを与えることで自分たちの主張を通すという意味において、”テロ”に近い発想を持つとも言え、加熱すれば危険でありとも考えます。これは、在日特権に対する講義を、一般の市民に拡声器で恫喝する行為も同じであると考ええます。


もし、女性専用車両に不満があり改善を求めるなら、事業者への抗議、その際に署名を集めることは必須であろうと思います。そうした上で、存続の賛否、改善の有無を議題に乗せ、また女性車両利用者の側も意見を述べ、社会に注意を喚起し、より良い制度に高めてゆくことが、生産的方法でしょう。


自分が怒りをぶつけやすいところに直裁に向かってしまうことは、子供であれば”甘え”として、しばらくはなら許される行為でしょう、しかし成長するうちに、それでは通用しない、また現状を変えることができないことを学び、社会的態度を身につけてゆくものだと考えます。


自分の幼児性は、パーソナルな中にとどめ、全体を俯瞰し、対立相手の立場も想像し、その上で、最も論理的な妥協点を探ることが大切だと考えています。


こういうことを無視し続ける現政権の幼児性がまかり通る世の中で、日本の長い歴史で培ってきた”思いやり”民主主義社会を構成する人間としての最低限のセンスが失われてゆくことが最も危惧される悲しむところです。


これは私個人の”幼稚”な私感ではありますが、男性は女性(子供・老人・弱者)を大切に思い守る姿が美しく、男性の存在価値を高めると思います(偏見・逆差別などと言わないでくださね、ワタクシがそういう男性に好感を持つし尊敬するという私感で、そいいう男性を何人も知っています)アメリカでは(多分ヨーロッパも)良識として社会の根底にこれがあると感じています。


しかし、日本ではもともと男性が課長性の元、庇護者である、女性・子供・老人を守るという意識の上に、支配が根ざし、庇護=管理という意識が強くあったと思います。故に、戦後の民主主義・男女平等を、増長・男性の領分を犯す・十分な尊敬の欠如、という不満をかかえる人々も出てきている。そのような人々を勇気づけ活気づける、国粋主義・戦前回帰・家長制の復活を支持する安倍政権の存在であると思います。


庇護欲求は愛に根ざし、愛は無償なもの。庇護の代償が服従であれば、それは庇護ではなく支配です。(女性も特にドメスティックな環境において愛という名目の支配管理を行っていると思います。これもとても深刻な問題であると思っています)


tararamaさんのおっしゃる通り、人にはそれぞれの個性があり、自分の中のAnima(女性的側面)とAnimus(男性的側面)のバランスも異なります。そうした個人の多様性に社会的なステレオタイプ(それも日本独特の、かもしれないですよ)で圧力を加えられない社会であればいいし、そういう社会にしていかなければならないと思います。


あなたが男性を嫌うように、私も女性を嫌います。それは不快な音の連続によって不眠症になるように、その音にヒステリックに反応します。おそらく、あなたと私は似ているのだと思います。立場が逆なだけで…。


…と、男性視点でお邪魔しましたが、やはり相互理解しかないと感じてなりません。私だって、もう少し楽な世界に住みたいのです。


そう、相互理解こそ、その架け橋です。そのためにも、対話は必要だと思い、あえて、女性車両乗り込みの人々への意見を書かせていただきました。tararamaさんにとって、批判と感じたり、無理解あるいはきつい表現があったかもしれませんが、それは本意ではありません。


相互理解の過程ではお互いに痛みを伴うこも少なくない、そこで扉を閉じてしまっては、
相互理解も多様性のある社会も遠のいてしまうと思っています。


私の論点で不公正不見識な点があればご指摘ください。過ちては改むるに憚ること勿れですから。


不快な音だけでなく、それぞれがハーモナイズできる音をどこかで見つけられる信じています。


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