密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

”自衛隊明記は国の安全の根幹、でも何も変わらない”またも安倍論理の意味不明。

言語明瞭意味不明(いや滑舌が悪いので言語も不明瞭)安倍総理が勇ましくぶち上げるプロパガンダ、本人きっと自分では演説が上手いと思っているのかもしれない。そして悲しいことに、そんな筋の通らない安倍プロパガンダに何と無く納得してしまう人々がかなりいることも事実だ。意味のわからない教育勅語を暗唱させるなら、真の読解力を磨くことが必須なはずだが、そうされては困る人間が教育を平板に、言われてことは疑わず、丸呑みする人間を作ろうとしている。暗記より自分で考える、自分の価値を自分で認める、そうした”ゆとり”教育に性急にNOを突きつけ、社会に”ゆとり”差別まがいの風潮を広めたのも、そうして権力者側の価値観・危機感ではないかと思う。


アメリカは、まさに”ゆとり”的な人々で溢れている。その中で、各方面で超人的な能力を持つ人たちが生まれる。だからと言って他人と比較して自己卑下する人はほとんどいない。素直にすごい人はすごいと称賛し、でも褒めている自分の誇り存在は揺るがない。
ゆとり教育はもう少し精査して続けてゆくべきだったと個人的に思っている。一番大事なのは自分の頭でものを考え、自分の意見を納得しないのに引っ込めたりしない、そうした独立した人間でいることだ。前の記事に書いた、ドイツの教育の根幹”最後の一人になっても自分の意見を言える人間たること”と同義だ。


話は大きく逸れてしまったが、5日の予算委員会で、安倍総理が九条改憲・自衛隊明記についてぶち上げた。

衆院予算委員会は五日、安倍晋三首相と全閣僚が出席して、二〇一八年度予算案に関する基本的質疑を続けた。首相は、憲法に自衛隊の存在を明記する九条改憲について「自衛隊の正当性を明文化することは、わが国の安全の根幹に関わる。憲法改正の十分な理由になる」と意義を強調した。
 首相は「明記によって、自衛隊の任務や権限に変更が生じることはない」と改めて指摘した。
 茂木敏充経済再生担当相の線香配布問題への見解を問われ「政治家は与党、野党にかかわらず、疑問を持たれれば説明責任を果たしていくことだと思う」と話した。希望の党の玉木雄一郎代表が、政党支部から慶弔費を支出していた問題が念頭にあるとみられる。
 (清水俊介)


「自衛隊の正当性を明文化することは、わが国の安全の根幹に関わる。憲法改正の十分な理由になる」根幹ー 物事の大もと。ねもと。中心となるもの。つまり自衛隊を憲法に明記することが、日本の安全の中心となることである、ということだ。しかし、「明記によって、自衛隊の任務や権限に変更が生じることはない」。ではなぜ、明記することが安全の中心になるのか?という疑問が湧く。そこは何も説明されていない。


安倍総理のぶち上げ発言はいつもそうだ。さらっと聞くと良さげだが、よく考えると???となる。なぜかというと、本人も根本的にものを考えることが苦手で、イメージでうわっらを撫ぜて納得し、感情と理性とごっちゃにし、自分の盲信だけで突き進んでいるからだ。だから、野党諸氏や知識人が、憲法を遵守し擁護義務を負う内閣総理大臣(公務員)が改憲の発議をするなどとんでもない憲法違反であるということを理解しない。
したくないもから無視する、という僕ちゃんレベルの思考で押し通す。


しかし悲しいかな、アメリカもそうだが、憲法や法律、常識、の範疇では、大人として物事を論理的に思考し、公正中立の意識を”自分に”課せる人間が、国民の代表になるという前提があり、その人物の裁量に任されている部分が、子供じみた筋の通らない人間が何かの拍子で代表になってしまい権力を握った場合、予想以上に大きな混乱を生むことになる。これに選挙制度の弱点が重なり、今のアメリカと日本の悲劇が起こっている。


安倍総理は、なぜ自衛隊を憲法に明記することが日本の安全の根幹なのか?を説明しなくてはならない(誰か質問してくれ)『日夜日本を守り、災害救助に活躍する自衛隊の皆さんが活躍してくれているのに憲法違反と言われてかわいそう』という、幼稚の上にも幼稚な、情に訴えるような説明を安倍総理をはじめ劣化自民党議員がTVなどで吹聴しているが、そんなことで、850億円の血税を投じて、軽いお試し改憲の一環で行う必然性があるだろうか。子供達の何人が、自衛隊は違憲か合憲かで頭を納屋焦るだろうか?小さなお達は、お腹いっぱいご飯を食べられて、病気になったらお医者さんに行かれること、大きな子達は、将来の学費、そして学費がなくて自衛隊入隊を考えている子がいたとしたら、違憲合憲より、海外紛争地派兵の可能性があるのだろうかに興味が行くと思うけど、、。それに、こちらも命をかけて国民を守る消防署員・警察官(取り締まる・弾圧するになって欲しくない)はもとより、低賃金でお年寄りの介護をする介護職員、未来を担う子供達と、現状を担う働き手の両親のサポートに必須な養護・介護職員の処遇改善に当てる方がよっぽど国のためだろう。850億円あればどれだけのことができるだろうか。
安倍ぼっちゃまの「僕はおじいちゃん悲願の憲法改正したもんね〜」という自己満足のための850億円なら、もっと国民のために使って欲しい?


国会の場でも、もし国民投票で自衛隊明記が否決された場合、自衛隊は違憲になりかねないのではないかと問われた安倍総理は、可決されれば合憲、否決されても合憲、という珍答弁を行なった。つまり、この明記議論は、法的な土壌で意味をなさないということだ。


そもそも、自衛隊が憲法違反なのではなく、自衛隊が憲法違反の行為をすることが憲法違反なので、その憲法違反の行為とは何か?をまず論じるべきなのだ。


それをしないで、曖昧模糊の自衛隊、専守防衛を大きく上回る大量の兵器を保持し、集団的自衛感などという屁理屈で、日本と関係ない外地に武器を持って送られる昨今の自衛隊
それをそのまま明記すれば、自衛隊とはなんであるかがはっきりせず、どんどん拡大解釈されてゆく。


安倍首相及び英霊うるうる賛美の人々のイメージの中では、いざという自国のために命を捨てる自衛官を合憲にすることが日本人の使命、彼ら未来の靖国英霊を憲法で認めよ、そんなところだろう。


自分の命を賭してたたかうというのは、日本人好みのヒロイズムだが、それなら、自分でやってみろ。そうやって安全圏から若い人間をヤンヤン煽る為政者が、第二次大戦末期の馬鹿げた玉砕命令を出したのだ。


兵士は、必ず生きて帰ること、殺されそうになったら捕虜になれ。だから捕虜虐待は国際法で禁じられている。もちろんルールを守られないこともあるが、気構えとして生きて国を守り、生きて愛する家族の元に帰る、いかなる場合でも自分を犠牲にしてはならない。少なくともアメリカでは、独立戦争の時代からの認識だ。


命をかけるかかけないかは本人が決めることで周りから求められることは絶対にあってはならない。自己犠牲を賛美する風潮が抜けない日本では(こういう日本人の指向性はブラック企業なども利用していると思う)自衛隊員の命のためにも、彼らの行動規範を明確にする議論こそされるべきで、安易な憲法明記は、自衛隊員とその家族の人生を奪うものだと認識してほしいと思う。


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