密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

"核のボタン”はトランプから案外遠い

人治独裁国家である北朝鮮のトップはさておき、民主主義国家であるアメリカの核ミサイル発射ボタンは、トランプが思っているほど、彼の意のままにはならないという、事実レポート。米政府もさすがに、国民や国際社会に、自意識肥大のビックベービーが核のボタンにその小さな手を乗せているという不安なイメージを是正せざるを得ないようだ。

ワシントン(CNN) トランプ米大統領は北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長に対して自身の机の上には常に「ボタン」があると警告し、米国の核のボタンは北朝鮮のものより「ずっと大きく、もっとパワフルだ」だと豪語した。こうした状況を受け、核弾頭を実際に発射する際にどういった手続きが必要になるのかを巡る問いが改めて浮上している。
トランプ氏はツイッターへの投稿で、金委員長が「核のボタンは常に机の上にある」と述べたと指摘。「疲弊して食料に飢えた政権の誰かが、彼(金正恩氏)に私も核のボタンを持っていることを知らせてくれ」とし、「私のものは彼のものよりも、ずっと大きく、もっとパワフルだ。そして、私のボタンは機能する!」と続けた。
大統領が核攻撃を発動可能な「ボタン」に指を乗せているというイメージは数十年間にわたり、こうした命令が実行に移される過程のスピードを象徴的に表現するのに使われてきた。


一般的な見方とは逆に、大統領の行く先に常に付随する「核のフットボール」と呼ばれるブリーフケースにはボタンは入っていない。ケースに収納されているのは、トランプ氏が本人の命令であることを確認して攻撃を発動させる際に使う機器や意思決定のための書類だ。
米デューク大のピーター・フィーバー教授は昨年、連邦議会で、「大統領は自分でボタンを押して、ミサイルを飛翔(ひしょう)させることはできない」と証言。「使用されるシステムはボタンではない。大統領が机の上で偶然体重をかけてしまって、直ちにミサイルの飛翔につながるようなものではない」と述べた。
また、大統領が発射を決定する際には、攻撃命令に必要な物を持ち歩く軍の側近に加え、司令官からミサイル格納庫内で働く軍要員に至るまで、全てのレベルの人員と協力することが必要となるとも明らかにしている。
トランプ氏がどこにいる時であれ、「フットボール」が腕のそばから離れることはない。フットボールを運ぶ軍側近は大統領と同じエレベーターに乗り、同じホテルのフロアに滞在する。周辺警護を担う米大統領警護隊(シークレットサービス)の要員も同一だ。
フットボールの正式名称は「大統領緊急カバン」。ホワイトハウス軍事局のトップを務めたビル・ガリー氏の著書によると、この中には次の4点が収納されている。


攻撃の選択肢の一覧を記した黒い手帳、大統領の本人確認のために使う認証コードを記載した小さなカード、大統領が避難できる掩ぺい壕のリスト、緊急警報システム使用に際しての手引書だ。
オバマ前政権下で戦略軍司令官を務めたロバート・ケーラー氏によると、核兵器の使用を命令できるのは大統領のみ。
核兵器発射のプロセスの大半は機密情報に当たるが、ケーラー氏は、現行システムの中にはいかなる命令であれ合法で、規模の面で適切な対応となるよう確実にするための数段階の安全策が存在すると説明した。


ケーラー氏はまた、「これは人間が管理するシステムで、自動的には何も起きない」と指摘。米軍がやみくもに命令に従うことはないと付け加え、核兵器使用に際しての大統領の命令は合法的なものでなくてはならないと強調した。
米戦略軍のジョン・ハイテン司令官も昨年11月、上院外交委員会の公聴会で、核兵器発射を命じられた際の対応について同様の見解を表明。「私は大統領に助言し、大統領は私に命令する。この命令が違法だった場合は、私から大統領に違法だと伝える」と述べた。
その先の展開としては、大統領が「ではどうするのが合法的か」と尋ね、一緒に選択肢を考えることになるという。「それほど複雑な話ではない」と、ハイテン氏は語った。


はっきりと記憶がないが、日本の報道では、この「核のフットボール」をアタッシュケースと表現していた記憶がある(いかにも007あるいはSFチックな核発射ボタン内蔵のイメージ)しかし、”鞄” である。

常に大統領と行動を共にするカバンの中に「ボタン」は入っていない。


一旦国民に選ばれたら、問答無用の権力が行使できる(そうトランプはそうイメージしていただろう)が、そんなすぐに独裁に転じられるようなシステムを許すはずがない。


アメリカの民主主義獲得への歴史は長い。より良い制度へ右往左往して、多くの血も流された過去もあり、現在も進行中である。 選挙によって一旦選ばれた大統領が、どれほどトンデモないやつでも、どれほどとんでもない一部の偏狭な人々の方向しか向いていなくても、簡単に覆さない。選挙制度に歌詞があっても、民主的手続きを踏まなくては覆らない。これも民主主義だ。同様に、たった一人の人間が権力を行使して、国民の意に反する大虐殺を行うことはできないように二重三重に縛りがかけられている。


日本は制度がゆがめられ、人事権を一極集中させるという独裁の常套手段が実現してしまっている。これは危険な状態だ。 多様な意見を許容し、権力者の暴走食い止め、人権を擁護する側にも戦う力が大きく与えられてこそ民主主義は守られる。権力者の暴走を許し、食い止める手段である司法立法も封じ込められたいる日本が、武装するなど、核を手にするなどもってのほかだ。


しかし、アメリカの幼稚なメガ・ベービーには、それなりのベービーゲートが用意されている。


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