密接な関係にある他国から

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幼児首相に手をやく世話係菅義偉官房長官ため息とトンズラ慰め隊

このコラムが面白かった。
伊藤智永氏のコラム”時の在りか”より、
https://mainichi.jp/articles/20171007/ddm/005/070/009000c
衆院解散に反対だったはずの菅義偉官房長官に、側近議員が
「なぜ同意したんですか」と尋ねたら、答えたそうだ。


「反対したさ。でも、総理が言うんだ。国会が始まったら、またモリ・カケばかりだろ、もうリセットしたいんだって」


 安倍晋三首相が国会開会中は疲れきっていらいらし、国会が終わって外遊に出ると元気になるのは、衆目の一致するところだ。


 思えば10年前、第1次政権を放り出したのも9月、臨時国会初日に所信表明演説まで行った翌々日、各党代表質問の1時間前だった。理由は腹痛とされているが、記者会見で本人が述べたのは、国会運営の行き詰まりである。


 対テロ戦争の米軍艦艇に自衛隊が海上給油するための法律の期限切れが迫っていた。安倍首相は民主党の小沢一郎代表に会談を持ちかけて断られ、万事休した。


 今回の解散理由である「国難」も、信を問うより先に国会で話し合うべきだが、伝家の宝刀を握る人は国会そのものが嫌だという。返答に窮した菅氏の顔が目に浮かぶようではないか。


そこへ小池百合子東京都知事が「私がリセットします」と割り込んできた時は、安倍首相も虚をつかれただろう。


 しかも、民進党の前原誠司代表が、党丸ごと希望の党に「合流」を即決して、首相は一時「どんな選挙結果になろうと、自分が責任を取る」と悲壮な言を口にしたという。


 しかし、それから1週間余、


 「排除」「踏み絵」「持参金」「股くぐり」「私は出ない」「全てが想定内」


 など情味を欠いた言葉が飛び交い、選挙戦に入る前に新党「ブーム」は失速気味である。政局が静かだった8月、小池氏と会った旧知の大学教授は、築地市場移転の話を振ったら、
「どうだっていいじゃない、そんなこと。もっと前向きに次のこと考えなきゃ」


 と一笑に付され、国政への野望に鼻白んだという。


しかし、ここまでの運びを見る限り、「勝負師」の看板と裏腹に、今回は保身が先に立ち、まだ大きな賭けに出ていない。側近がテレビで「(政権交代は)次の次(の衆院選)くらい」と明かした見通しは、小池氏が内々に語らなければ口にできないはずだし、それどころか今や選挙後に自民党と提携する可能性すら隠さない。小池氏のリセットとは、与野党の政権交代ではなく、自らの政権取りに向けた第一歩という意味だったのか。


小池戦術に選挙1回分の「間」が入ると分かって、自民党の「ポスト安倍」候補たちは「小池氏は明日の同志か」とそわそわしだす。対抗馬を立てず秋波を送られた公明党や無所属候補たちの対決ムードもしぼんでいる。


同じく前原氏の「合流」も、選挙向けの「衣替え」を装いながら、実はひそかに「解党」の口実を探していて、今が好機とリセットボタンを押したのではないのか。でないと、「想定内」のセリフは出てこないだろう。


政治家それぞれにリセットの意味が異なり、小池氏は各人に都合のいい希望をまき散らす時の女神(失望に変われば魔女?)として降臨したように見える。


置いてきぼりの私たちにも何かおこぼれの希望は残されているのか、それはまだ見えない。


選挙が政治家の生き残り競争に終始したら、私たちは何を選べばいいか。個々の政治家の生き方に票を投じたらどうだろう。


 暴言や不倫の話ではない。今が「国難」ならなおのこと、各候補が歴史の評価に堪える政のプロと言えるかどうか。右往左往は野党に限らない。「1強」にへつらい、議論を封じる与党のふがいなさも審判を受ける時である。


福沢諭吉の「丁丑(ていちゅう)公論」を読んでみる。西南戦争で政府に反逆した西郷隆盛を、当時の新聞・世論は口を極めてののしった。これに対し福沢は、政府は必ず専制になる、だからこそ、国民は「抵抗の精神」を持ち続けることが大事なのだと西郷を擁護した。「抵抗」は「独立」の意味。


 同じ本の「瘠(やせ)我慢の説」は、徳川幕府代表として戦わずに江戸城を明け渡し、新政府で出世した勝海舟を、内戦回避の功は認めながらも「立国の要素たる瘠我慢の士風」をそこなったと非難する。


 常識とは逆さの人物評が、政治家の何たるかを考えさせる。


 蛇足ながら、冒頭の有名な句、「立国は私(わたくし)なり、公(おおやけ)に非(あら)ざるなり」


 の逆説も長い思索を誘う。


格調高いコラムのまとめですね。最近舌足らず意味不明日本語さえも歪める総理+暴走暴言副総理のせいで、日本語の格調も読み方も意味も破壊、劣化の一途をたどっている自民党日本語。


その自民党子飼いのネトサポの選挙撹乱暗躍計画総決起総会?とそこに慰めを求めて駆け込んだトンズラ首相という恐ろしくも情けない、日本の右派愛国事情。幾人かの保守論客が彼らの極右行動は保守ではないと発言して久しい。



ルワンダのジェノサイドのきっかけは、政府広報がフツ族の若者を煽り、インテラハムエという自警団組織にツチ族虐殺を先導指導させた。


またナチスも、若者を煽り、SAという政府と関係ない武力組織を容認、支援し、共産主義者、ユダヤ人への攻撃に駆り立てた(のちに勢力が拡大しすぎヒットラーを脅かしそうになったため粛清された)。


二つともあくまでも、政府に共感する人々の自発的行為、と言い訳し、虐殺を行わせた。
ネット上のデマ拡散、”フルボコ””炎上”などは、流血なき暴力であり、政府が非公式に愚かでルサンチマンを溜め込んだ人々に給料を与え、自発的集団暴力に駆り立てる構図は同じである。


しかし、どうだろう?一旦求心力が衰えれば、彼らの攻撃性はかつての彼らのアイドルに向かうこともある。


今、安倍総理は自分を持ち上げ、たたえる人々の中に逃げ込み、いい子いい子されて、見たい現実を拡大して自分を支えている。末期症状である。


こういう、夢見がちな自己実現をしている、首相をはじめ彼の信者たちの言葉の暴力に屈することも、トンデモフェイクをほんの少しの疑いのタネにすることも、もう賢明な国民はすることはないだろう。庶民の怒りはもっと地に足のついたものだからだ。


加えてまだ慰めを必要とするトンズラ総理のマスターベーション

私利私欲がないというより公私の区別ができていないというべきだ。
ネチサポだの、AbemaTVだの、避難所でウルウルしていたくても、必ず、私物化の責任は取ってもらう。そういう選挙にしなければならない。



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