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”我が闘争”読後レポート まさに安倍政権の教本

前の記事で、ヒットラーの我が闘争を学校教材として認める閣議決定を海外メディアが報じ始めた。いい機会なので、昭和16年に日本で出版されたものを読んでみた。


序文からして、帝国軍部の国民教育の様相が色濃い。
全体を通じて、オーストリア・ハプスブルグ王家とオーストリアのドイツ人に対する自己の劣等意識に裏打ちされた彼らへの否定。共産主義と相容れなかった(論破された?)恨み、その背後にユダヤ人がいるという妄想と、当時富を得ていたユダヤ人たちが真のドイツ人の富を盗んででいるという妄想(これはヒットラーだけではく当時の貧しいドイツ人に信じられたいた。現在の移民が仕事を奪うと熱り立つトランプ支持者と同じ、また在日韓国人が特権を受けて優遇されたいるというのも同じ。)が中核をなした、負け惜しみと恨みの書であり、敗戦の復習を近く国民教化の計画書。内容は同じことの繰り返しが多く(表現は劇的で、一つの執着が渦のようぬぐるぐるスピードを増しているようだ)
そして、自己鼓舞と自己優位性の誇示が散りばめられ、よほどヒットラーと価値観を共にしていなければ、同じ憤懣が渦巻いてうなければ、退屈ですらある。


書いた本人が「ヒトラー一揆 (Hitlerputsch)」の失敗による、拘束中(でも、普通のアパートの個室に軟禁状態だった)ので、その暇とストレスと憤りで書きなぐった、自己肯定のための本。民衆支配のマニュアル本、思想でもなんでもない。


過剰なドイツ民族の優位性へのこだわりと、特にユダヤ人に対する、冷静さを欠いた妄想的恨みがエスカレートしてゆく。
筆が進むにつれ、キリスト教(特にプロテスタント)、オーストリアへの憎悪から、ポーランド人 チェコ人(その他東欧諸国)への批判も始まり、結局すべてを否定するので、正しさとは、真実とは=ドイツ人だけになっている。


ドイツ弱体の恐怖から、ドイツ国民の徹底教化プランを提唱し、 武力による侵略植民地化の必然を解き、平和はユダヤ人の陰謀といい、また、”パンのための戦いと(ドイツ)自由のための戦い(英国)”の例を引き、民衆には理想などを見せる必要があると、プロパガンダのテクニカルな重要さを考察している。


何より1915年の第一次大戦下での、連合国側の宣伝ビラ(ヒットラーにとってはフェイクニュース。事実はドイツ国民説得するための終戦の呼びかけで、ヒットラーは、まず無知な女子供によってこのビラが支持されたと愚痴っている。)がドイツを苦しめ敗戦したと断じている。


また、反戦を呼びかける、新聞、学者・文化人への批判。共産主義者による反戦運動の広がりに対する憎しみ、そしてまた、その陰にユダヤ人がいる、という妄想。


印象的なエピソードは、118ページ第一次大戦で従軍し毒ガスで目をやられたヒットラーの入院中の病院の前を、『数台のトラックに分乗した船員が、ユダヤ人に指揮されながら、手に手に赤い旗を振って、革命歌を高唱しつつ通って行ったのである』”ユダヤ人に指揮されつつ”は疑わしいが、11月革命の発端を目撃したものと思われる。これはヒットラーにとって相当のトラウマになったことだろう。弱り目に祟り目とはまさにこのこと。しかし彼はこれで政治家を志してしまった。そして明らかにこのトラウマが、共産主義者虐殺、ユダヤ人ホロコーストにつながったのだ。


この後ヒットラー君の大活躍の記述になるのだが、ここでもユダヤ人に対する強迫観念全開で、全て悪いことはドイツ帝国の瓦解を企む悪の枢軸ユダヤ人の陰謀(と操られている共産主義者)になっている。
*ヒットラーの帝国崩壊の敗因の分析
1新聞: 新聞を読むのは、1それを無批判に鵜呑みにする人、2どんな記事も信用できない(という域に達した人々ーと彼は書いている)3批判を見て判断する人がいるが、大半は、1の人々であり、新聞が絶対的な支配力を有するのは、この人々である。
ほとんどの新聞はユダヤ人に支配されていて、政府は何ら対策を講じなかった。


2性と結婚の問題:ユダヤ人の世界侵略に性を利用する。まあ要約すると、敵国人を誘惑して子供を産み民族を劣化させる、という、トンデモな、、、。


3:ドイツ軍大敗の責任を裁く。帝国ドイツ軍は対外対内問題で優柔不断で臆病。議会は無脳力であり戦争を恐れ、極端にこれを避ける努力のみをした。(いいことじゃん!!)
しかしその努力が反対に、大戦に導くことを全然気づかなかった。(これは史実上何を指しているかが不明。当時の左翼政権が降伏を受け入れたことか?ドイツの右派は、戦い続ける、敗北を受け入れないと主張して政府の決定を裏切り”後ろから刺された”と表現し不満が渦巻いていたー何処も同じだ、、。)


この反省点を踏まえ、ヒットラー・ナチスは、新聞(メディア)を制御し、ユダヤ人を殺し、全体主義の独裁国家に突き進んだ。


彼は、日露戦争を賞賛し、二度目の世界大戦の必勃を解き、英米に低く見られていると憤り、平和的経済的均衡など役に立たないと断じている。国民の鼓舞に国歌「ドイツよ上へ!」の重要性と、「ハイルー万歳」と宣誓させること、特に青少年へのそれの必要性を説き、戦闘による英雄的精神の賞賛を広める。


ドイツ国民を強くするために、ドイツの労働者の潜在エネルギーを国のために集中すること、大衆の国民教育のための社会改革、そして『我々の国家主義的な観念の一面を、無慈悲なほどに、また狂信的なまでに、大衆に向けて繰り返すことのみが、唯一の大衆獲得法である』と書いている。


国会で何を聞かれても自分たちの観念(安倍政権の場合は、観念というより幼稚でいい加減な、自分たちに都合の理屈だが、)だけを繰り返す、安倍政権の姿がダブる。『民衆の見解なるものは、大体において感情でなり立っているもので、理性の領分は極めて狭い、したがって民衆は、理知的な中途半端なものに無感覚であるが(ここは訳が悪そう意味が通らない)が、暴力には容易に征服される』とも書いている。大衆は強者の勝利を望むとし、弱者に対し滅亡あるいは隷属しか望んでいない、と定義して強者の論理を展開し、大衆掌握に非常なエネルギーを注いで行く。そして悲しいかな、それは成功を収めるのだ。


民族の血の純潔、優れた肉体、女子は子供を産むためのものベースであり、男女とも、個性は二次的なものとされ、国家のための優秀な国民であることが第一義であるとしている。そして『我々ナチスは大衆の主人でなくてはならない』と書いている。


この人は、チラシのデザインの色の効果にも気を配り、演説のコツ、哀調を交えることから、身振り手振りまで、本当に細かい未来の計画をしている。 読んでいくと粘着質の思考に気分が悪くなる。しかも大きなお世話にユダヤ人日本壊滅陰謀論まで、、、。


この本は大衆掌握の為に愛国ー自国の優位性を声高に叫び人々を鼓舞し独裁を完成、その後の恐怖政治による大衆支配の教科書である。


また今のネトウヨの陰謀論、全体主義者の自国、自民族礼賛、排他、弱者排除思想、差別主義、妄想的共産主義及びシオニズム恐怖症、の原書であり、どのように扱っても、学校教育に活用は無理だ。安倍内閣はここから子供達に何を学ばせたいのか?


ヒットラーの主観で語られた状況、歴史的推移には客観性がなく100万歩譲って、これを教材で取り上げるには、別の角度からの注釈が多数必要で、教育勅語のような、反面教師的な部分での使用であっても、とても困難で、多くの誤解、偏見が生じる可能性のあるトンデモ本の類だ。


ただ、読んでいただければわかるが、今の安倍政権は確実にこの”我が闘争”をマニュアルとしているしとしか思えない。 誰かが読んで、作戦を採用しているのだろうと思う。
思い当たること満載である。”ナチスに学べは”は本当だった。恐ろしい話だ。



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