密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

山本太郎・れいわ新選組 寄付9000万円達成

山本太郎氏は、5月13日の明大前街頭記者会見で、この日、寄付金額が9000万円に達したと報告した。月末までの目標額一億にもうすぐ手がとどく。
まずは良かった。


YouTub太郎・令和新選組の動画アップ数が以前の2倍以上?応援してアップしている人たちもいるのだろう。


こうした型破りで、果敢に、世の中既存の制度に挑む若者(?)を、応援できない日本社会。出る杭は打たれる日本社会。しかし、人々の反応は、彼の本気の訴えに、日増しに熱く盛り上がっている。


演説とは、人々を立ち上がらせるものでなくてはならない、と、ドラマ・ウエストウイングの中で、大統領スピーチライターのトビー・シーグラが言った(次席ライターと二人して、何度もスピーチ原稿を破り捨て、それでもまだ納得せず、一体どこが悪いんですか?と言う質問に対する答えだ。)


そう、演説とは、人々が思わず立ち上がり、歓声をあげ、勇気付けられ、自分の思いを叫び、未来を見つめる目を見開かせる、そうしたものだ、と言うことが、ドラマではなくとも、実際のアメリカ大統領選でよく目にする光景だ。そしてそれは、本当に感動的である(人々が、ひどい言葉使いと幼稚なボキャブラリーに歓喜する場合、その反知性主義的興奮に危険を感じるが、しかしそれも、トランプな人たちにとっては、小難しい言葉をひねくり回す、高慢ちきのスメーティーパンツ(がり勉野郎)なんか、胸糞悪い(馬鹿にされてる気になるので)というもので、彼らの感動は彼らのもの。否定すべきではないだろう)


令和新選組旗揚げ後の、山本太郎氏の街頭記者会見は、以前のそれを明らかに変わってきた。政治の世界の、お仕着せをかなぐり捨て、本気で怒っている、その様に、人々の日々の不満が政権や既存政治家に対する、諦めの底に沈められた怒りが喚起されているようだ。


目立ちたがり屋のタレント議員、そうした一歩離れた冷めた目線から、明らかに熱を帯び、共感が高まっている。これが大化けするにはもう一歩、何かが必要だとは思うが(運か、偶然か、何か、)彼の行動がうねりになれば、日本人の政治参加の価値観が変わるかもしれない。


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丸山発言にみる強い日本を戦争で見せたいと言う人、どれだけいるだろう。

維新の党は、”ロシアと戦争” 発言の丸山穂高議員をさすがに除名処分にした。
問題の発言、報道によれば、丸山議員は11日夜、ロシア側住人と日本側住人との「ビザなし交流」の友好の家で、訪問団の大塚小彌太団長が記者から取材を受けていたところへ、このように割って入った。
丸山議員「団長は戦争でこの島(北方四島)を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」
大塚団長「戦争なんて言葉は使いたくないです」
丸山議員「でも取り返せないですよね」
大塚団長「いや、戦争はするべきではない」
丸山議員「戦争しないとどうしようもなくないですか」

と言うものだ。しつこく誘導質問を行いながら、13日の会見では、
「戦争で取られたわけですから、取り返すということに対して賛成か反対か聞いた。別にそういう話があってもいいわけじゃないですか。何をダメだとおっしゃっているのかよくわからないです」
と開き直るのだから、救いようがない。戦争体験者であり現在も故郷を取り戻すための人的交流を続ける大塚小彌太団長に、戦争乗せの字も知らない、きちんと知ろうともせず、自分の中のイメージ思い込みで、こうした言葉をぶつけることに恥ずかしさもない。


リテラが記事の中で、丸山議員が望む、”戦争で解決”の具体的シュミレーションをしていた。



丸山議員は「戦争で北方四島を取り返す」と軽々しく言う。では、自衛隊員が奇襲をかけ、島々で生活する民間人を殺して制圧するというのか。それとも、主権をかけてロシアに宣戦布告し、全面戦争でも始めるのか。ロシアの反撃と報復、国際社会からの制裁はどのように想定しているのか。いずれにせよ、多くの血が流される。むろん、憲法違反でもある。
 そもそも「ビザなし交流」は、日本側とロシア側の住民同士の対話と相互理解によって、領土問題の平和的解決を目的とした取り組み。そこに、「戦争で島を取り返す」「戦争しないとどうしようもない」としゃしゃり出てきた丸山議員は、はっきり言ってどうかしているとしか思えない。


日本の食料自給率は38%、制裁措置で食料輸入制限をされれば、そこでアウト。インパール作戦に代表される、旧日本軍部の兵站無視の無謀な戦いに再び突撃するようなものだ
ロシアの最高司令官はプーチンで、元KGB、軍略知略にとみ、侵略の経験も豊富、残忍さも定評がある。もちろん国際世論をこれ以上敵に回すことは避けたいので、日本から仕掛けてくれれば、御の字だろう。
日本の国会議員のこんな発言を当然、ロシアも北朝鮮も把握している。どこかのポイントで外交カードとして切ってくることもあるだろう。


好事魔多し、大阪で息を吹き返し公明党を追い出してその後釜に座ろうか、と目論む
維新である。彼らの敬愛してやまない、”保守タカ派のプリンス(いやもはやキング、エンペラー?)”の安倍晋三氏であっても、ロシアと開戦してまで、北方領土を取り戻すことはしないのは、無策擦り寄りヘタレ外交を見ても明らかだ。除名処分なんて、1党の問題ですまない。議員辞職してもらわねば困る。


拉致被害者家族もそうだが、自分たちの強気を標榜する人々は、悲しみを耐えている人々を神輿に乗せて自分たちの欲望を満足させたがる。拉致被害者のため、とか元島民のためとか言って、決して彼らの心に寄り添うことはない。彼らも藁おもすがる思いだから、
関心を寄せてくれるすべての人に対し、協力を拒まない、いや拒めない。


今回の丸山発言はそうした、想像力のない(当事者の心と、戦争の悲惨さに対して)上に、自己過信が過ぎる、世間知らずのある種の日本人の典型であり、日本がまた同じ過ちをおかす危険性を象徴している。



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安倍政権改憲広告ローラー作戦の恐ろしさ+アーチストその魂の売り方

池田香代子さんが、元広告代理店の著述家本間龍氏を招いて、改憲に向けた自民党(電通)の広告ローラー作戦を解説。
令和改元の号外に一斉広告を打つ自民党、社会全体を覆い尽くすラッピング広告など、今後改憲に向けて、膨大な資金力を持ち自民党が電通を使って展開する広告の可能性は考えるだに恐ろしい。



改憲へ 自民党広報が本気を出してきた 本間 龍さん 池田香代子の世界を変える100人の働き人 21人目


池田香代子さんも、度々、怖くなってきた、と口走った。全ては物は言いようで自分たちの都合のいいように言葉と理屈を操り制度を改悪してきた安倍政権。
前にも書いたが、10代に狙いを定めた、広告動画について、意味のない空疎な内容に首をかしげる池田さんに、本間氏は、10代にわかればいい、伝わればいい作り方をしているので、中高年はわからない、それでいい、そう言う目的だから、と解説する。
七人の侍?未来を作る?自民COOL企画で際立つ安倍晋三の異物感 - 密接な関係にある他国から


それにしても、10代の子供達というのは本当にこんなことに乗せられるほどバカなのだろうか? 社会を知る前の子ども時代というのは、鋭敏で潔癖、どこか大人を見下していたように思うし、それは、今の子たちも変わらないだろう。
それでも子供達は、見下しながら、長い物には巻かれろという、早熟な諦観を獲得するのか? 幾人かは巻かれ、幾人かは絶望し拗ね、幾人かは信じ込み、幾人かは疑問を持ち、幾人かは抵抗し戦う。それは全世代でも同じように思う。


上記の自民宣伝用のサムライイラストを書いた天野喜孝氏が、この制作へのコメントをサイトに掲載しているそうだ。
天野氏曰く『ベラスケスも宮廷画家だった』と、、、物言えば唇寒し令和の風。よほど、アーチストとしての良心が咎めているのだろう。


ベラスケスもゴヤもルーベンスも同時代宮廷or宗教画家だった。
ゴヤもポートレートを生業として王侯貴族に仕え、晩年に”我が子を食うサトゥルヌス”に代表される人間の暗部を主題とした作品を残し、商売上手なルーベンスは弟子を使いゴウジャスな静物画を売りさばき、肖像を描き、しかし、その宗教画では圧巻の世界を築き上げ、またゴヤとは別の意味で、”我が子を食うサトゥルヌス”を書いている。(プラト美術館で見たときに、ルーベンス嫌いが一変した。)


せめて権力になびくアーチストの処世術を言うのなら、ナチスに高額で作品を売り続け、
そのお金を打倒フランコ政権レジスタンスに資金おくり続けたピカソの例でも持ち出せばよかったのに(いや公安に目をつけられるか、、)。その方が子供達に受けただろう(しかし10代の子の何人がベラスケスを知っているだろうか? 彼がハンサムに漫画化されていなければー小林多喜二のようにー多分ほとんど知らないだろう。でもピカソくらいは知ってる子もいるだろう)


芸術家が時の権力者になびくと言う構図、しかしその裏でも芸術家たちは、色々な手段で
反抗・自己の作品の尊厳を保つ作為を試みてきた。


宗教画の体裁を取りながら、エロスを描きいれた作品は山ほどある。静物画でありながら、その配置でモチーフで、人生の悲哀・無常感、金・権力の虚しさを表したヴェニタス画、美しい花の影にうごめく毛虫も好んで描かれた。そうしたものが人気を博したのだから当時の人々の絵画に寄せる見識の深さを見る思いだ。


ミケランジャロにひどく横柄な態度で接したし役人はシェステーナ大聖堂の壁画に、蛇に股間を食われて苦しむ姿で描かれた。


東京美術学校(現在の芸大)の秀才の誉れの高かった藤田嗣治は、多くの日本軍礼賛の絵画を描き、戦後心が砕けて、フランスに渡り、日本国籍を捨てた。
戦時下の状況から、靉光は戦争画を描く事を当局より迫られ「わしにゃあ、戦争画は描けん。どがあしたら、ええんかい」と泣くようにいったという。結局、軍礼賛絵画を拒否したため画材などの配給も受けられず、ボロボロの画布にくらい粗悪な絵の具を塗り重ねた作品を残し、戦地に送られ、戦地からの復員を待たず、38歳で病死した。


アーチストといえども、いろんな人がいる。世の中とうまくやれる人、やれない人。
それでも魂の売り方に気をつけないと、一番苦しむのは自分自身だ。


今の日本を見ていると、アーチスト(美術家・音楽家・演技者・コメディアン・パフォーマンサーなどなど、)が、権力を持つ側に取り込まれることが、圧力・脅迫などを抜きに容易に行われているような気がする(5輪と言う餌も下がっているし)。名声・資金力・影響力・人間関係それらが自分のバックにつく、誘惑に抵抗できるアーチストは少ないかもしれない。(総理大臣はそうしたコミュニケーションには特にマメなようだし)


そして、そうでない人たちは、今とても苦しいだろう。ネット上で炎上などと言う匿名リンチが横行すれば、それはとても怖いだろう。英雄的に振舞う必要はないし、多くの犠牲を押して信念を貫くなど誰にでもできるものではない。どこまで妥協できるか、どこまで誘惑に抗えるか、そんなレベルなのだが、それでも、自分の魂の売り方をよくよく考えた方がいい。ただ、政治家は真剣の上にも真剣に、考えて欲しい


このままではいけないと思いつつ日々を過ごし、言いたいことを飲み込んだり、言いたくないことを笑顔で言ったり、やりたくないことを引き受けたり、心の中であれこれ思い、迷いためらう、そんな善良な人のために、中原中也『寒い夜の自我像』第1章を、、、。


きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱(たづな)をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!


その志 明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、
人々の憔懆のみの悲しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を、
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。


蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)か儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌める、
寒月の下を往きながら、


陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!



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