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教育勅語、道徳に活用はダメ、教材に活用はOK

戦前回帰大馬鹿内閣が教育勅語を教育に活用することを閣議決定した。閣議決定とは大臣全員一致。今更ながら、現大臣連中は全部安倍脳ということだろう。呆れ返る。


教育勅語を園児に唱えさせる幼稚園を経営する森友学園に安倍総理が100万円寄付した、しない、で総理への侮辱と解釈するくらいなら、教育勅語から距離をおけばいいものを、これでは、森友への寄付は名誉であって侮辱にはならないはず。


菅氏は「否定せず」と相変わらず。ただ一概に、戦後、臭いものに蓋、触らぬ神に祟りなし、的に、封印してきた教育勅語を、教育に活用、つまり、いかに日本国民は戦争に走ったか、世界に類を見ない、意味のない、自殺攻撃、神風、特攻、玉砕(バンザイ・アタックって呼ばれたるんだよ)はどのように作られたか、そうしたことを子供達に教えるのには、外せない教材なのではないかと思う。

菅義偉官房長官は四日の記者会見で、教育勅語について、道徳を含む学校での教材使用に関し「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」と、重ねて強調した。松野博一文部科学相も会見で「歴史的背景など、さまざまなことを資料を通じて教えたいという意図で使われるもので、そういった観点から教材に使われることは問題ない」と述べた。
 菅氏は「政府として積極的に活用する考えは全くない。一般的に教育は、学習指導要領に沿って学校現場の判断で行うべきだ」と言及。失効した教育勅語をあえて持ち出す必要はないのではないかとの指摘には、「大いなる勘違いだ」と反論した。
 松野氏は、中学や高校の歴史教科書などに教育勅語が掲載されていることに触れ「教育勅語以外にも、今の憲法の趣旨に反する文書や資料は多く記載されている」と力説。その上で「それをもって排除すべきだということではなく、何を教えるかだ」とした。
 

政府は三月三十一日、教育勅語について「わが国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切」とした上で、憲法や教育基本法に反しない形での歴史教育など一般的な教材使用は否定しないとの答弁書を決定した。
 さらに、菅氏は三日の記者会見で、道徳教育で教材で使うことについても「否定できない」と容認した。
◆民進「国会決議違反」
 民進党の泉健太衆院議院運営委員会理事は四日の衆院議運委で、教育勅語の教材使用を否定しない政府答弁書について、一九四八年に衆参両院で教育勅語の排除・失効を決議したことを踏まえ「過去の国会決議と大いに反する」と指摘し、与党に見解を求めた。
 泉氏は「決議違反なら、衆院としても対処するべきだ」として、佐藤勉議運委員長に調査を求めた。与党は「整理したい」として、持ち帰った。
 泉氏は理事会後、記者団に「教育勅語が教材の一つとして使われていい、とは絶対にならないと考えている。この件は、重要な問題としてとらえていきたい」と述べた。

菅氏発言
「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」


「政府として積極的に活用する考えは全くない。一般的に教育は、学習指導要領に沿って学校現場の判断で行うべきだ」


「教育勅語以外にも、今の憲法の趣旨に反する文書や資料は多く記載されている」と力説。その上で「それをもって排除すべきだということではなく、何を教えるかだ」


「わが国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切」とした上で、憲法や教育基本法に反しない形での歴史教育など一般的な教材使用は否定しない。』


これだけ読めば、もっともな意見だと思う。ただ、みんなが危惧しているのは現政権が実際に、教育勅語を肯定し、それを軸に教育を行いたいという下ごごろがあり、そこに臨む懐柔である、一歩一歩近づける布石である、と懸念されるからだ。


しかし、菅氏の言う通り、『何を教えるか』なのだ。『憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で取り扱うこと』が大事なのだ。


教育現場が、政権の意向を”忖度”しなければ、菅氏の言う通り、何の問題もない。教育勅語は、全日本国民に道を誤らせた根幹であるがゆえに、蓋をしたままにすべきではないと思う。(最近外しまくっている安倍内閣、これも墓穴にしてやればいい)


問題は、教育勅語の教材としての活用ではなく、どう活用するかを、政権の意向を”忖度する”教育現場にある。小林節氏は、「安倍政権は『親孝行』や『兄弟は仲よく』といった教育勅語の徳目は教育上、役に立つ価値観であると説明している。しかし、そういった価値観は『世界の常識』と言えるもので、わざわざ教育勅語を持ち出すべきものではありません。危険なのは『一身を捧げて皇室国家の為につくせ』という文言。これは『天皇主権の下に基本的人権を認めない』という趣旨で、明確に現行の憲法に反しています」と述べている。こういうことを若い世代に教え、歴史の問題として、自身の問題として、未来の問題として学校で論じてゆくべきではないかと思う。


野党が反対すべきは、政権の、教育現場への介入、教師の自主性潰し、そうした状況下で、教育勅語の正当化が行われる状況についてだろう。
そういう点で、この教育勅語を話題に乗せ、国民の関心を喚起し、間違った印象操作を行わせないようにすることも大事だろうと思う。


教師の方々には、腹をくくって、教育勅語の軍国化への役割、口当たりのいい一見よさげな言葉を並べ立て、全く違う結論に導く上層部主導の支配教育の恐ろしさを子供達に伝えるようにしてほしい。


そして、そうした教育者を、世間、社会が守り支えなければ、この国は、また同じ間違えを繰り返す。


戦前は今よりずっと女性の力が弱かった。自由な発言も”はしたない”と言われ、男に口答えをするなどもってのほかと、意見を言うことも許されなかった。発言の基礎を作る知識の習得、学習の機会も多くの女性には許されなかった。でも、今は違う。


女性の教育を受ける権利を主張して、銃撃を受けたマララさん、それでもひるまず学びの道を続けている。現代日本に生きている女性が、母親が、学校の軍国教育化に目を光らせ、異議を唱えても、誰も銃撃を受けたりしない。ほんの少しの勇気。


戦争は男たちが始める。雄鶏泣けば国滅ぶだ。このまま、安倍チキン総理を、屋根の上に乗せておけば、日本の未来はない。日本の未来は、女性たちの意識に委ねられていると言っても過言ではない。空気など読み合わず発言してほしい。学校も政府の意向の忖度より、意識の高い母親たちの要望に答えるのだから。


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