密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

ベトナム戦争Generation


夫のお父さんは,第二次大戦で、ノルマンディー上陸作戦の先攻パラシュート部隊として、参戦した。後数日作戦が遅ければ、生きて帰ってこられなかったのではないかと、夫はいっていた。この話を聞いた時日本と戦ったのではないと知って、身勝手のようだが、少しほっとした。



夫はベトナム戦争世代で、私は夫がベトナムで辛い経験をしたのではないか、人を殺したのではないか、とても気にかかっていた。もの静かで穏やかな夫にはそういった歪みは一つも感じないのだか、やはり知っておくべきと思い、ベトナム戦争について聞いてみた。その頃は徴兵は抽選で,高校を卒業すると同時にその抽選に入れられる。大学生は卒業まで免除されるが、成績,出席が悪い、単位を落とすなどすれば、その時点で抽選の対象になったそうだ。抽選で選ばれると、下級兵士,配属(海軍、陸軍、空軍)も選べない。大学卒業時志願すれば士官で、空軍や海軍を志願できるので、彼は空軍の士官の募集に志願したのだそうだ。最終選考で2名が残り、パイロット要請であったため、眼鏡をかけていた彼は、選ばれず、待機になった。面接場所のカフェテリアで、隣のテーブルから「ここにいてもいい事がないから、ベトコンを殺すのが楽しみだ」とい会話が聞こえ、寒気を覚えたそうだ。結局次の募集の前に,担当教授がディュークの大学院に推薦してくれ,奨学金を受けて3年大学院に在籍しその間に、アメリカはベトナムから撤退した。もし眼鏡をかけていなければ、枯れ葉剤を散布していたかもしれないし、人を殺していたかもしれない。そうなれば一生の心の重荷を背負い続けなくてはならない。彼は大変好運に恵まれたといえる。


ケリー国務長官とブッシュ2元大統領も同世代。ケリー氏は海軍士官として従軍し3つのパープルハート勲章(傷痍軍人勲章)とブロンズスターメダルをもらっているが、帰還後反戦運動を展開した。ブッシュ2はパパブッシュの力で兵役をのがれている。この二人が大統領選を戦った時,共和党は反戦運動をしたケリーは愛国心が無い,変わり身が早いと非難した。自分が戦争に行って,その酷さを身を以て知り、戦争に反対を表明する、筋が通っている,尊敬できる態度であるにもかかわらず、アメリカ市民は兵役逃れトンデモ大統領を選んだ。自分に従軍経験が無いので,湯水のように人の命を使い、多くのアメリカ兵
と,イラク、アフガニスタンの人々を殺害した。しかし、戦争責任の追求はされていない。


彼の幼なじみはベトナムの女性と再婚した。華やかで明るい彼女は、しかし1974年、妊娠中に北ベトナムのコミュニスト軍の侵攻を逃れ、身一つでフランスに亡命した。飛行場に向かう途中にも,たくさんの人達の死体の中を、ただ夢中に走ったのだそうだ。夫たちの同窓会(こちらは夫婦同伴)で、ベトナムに行った同級生を讃えるーそんな場面があって、その時、隣で彼女が泣きだした。恐ろしい記憶を思い出したのか,ただ肩を抱いている事しか出来なかった。



こちらに来てから、軍隊が身近になった。迷彩服の兵士が普通にスーパーで買い物をしているし、空港では手作りのWelcom Home Daddyの垂れ幕を持って,帰還兵に駆け寄る幼い子供や若い奥さんをみる。
一年に一度、マンハッタンからの電車の中で大きな体の青年たちが酔っぱらってはしゃいでいる。公共の場所で酔っぱらうことは、アメリカの社会では許されない,しかし周りはおおめに見ている。ウエストポイント陸軍大学校の卒業の時期,彼らはこの後、上級士官として戦地に向かう。本当に日本は軍隊に対して無菌状態だったと痛感する。しかし、それを壊す必要があるのだろうか?




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