密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

”女子力”流布による巧妙な女性支配

アメリカに来て、一番幸せだったことは、一部日本男子の無神経な横暴にさらされなくて良くなったことだ。一体、何が違うのかというと、女性に対する立ち位置が根本的に違う。基礎が違うと言ってもいい。


西洋流レディーファーストもそうだが、アメリカの概ねの家庭では、母を家が絶対権力を握る。父親は、母親の意見をサポートし、「ママの言うことは正しい」と価値観を肯定し「ママを大切に」と尊敬と愛情育てる。 アメリカのかっこいい男とは、頑張る女性を誇りにし、支えることのできる男性。男性の話をニコニコして聞くなんて、おばあちゃんと孫の関係くらいだ。むやみに笑うと、gigglyと言われ気も悪がられる。gigglyは十代の女の子たちの自分たちの世界で盛り上がる騒々しさを指すのにも使われる。そして自分のことばかり話す男性は、男性からも女性からも嫌がられる(日本でも本音はそうだろうが)。


男女平等を逆手にとって、平等なんだから、女も男と同じことをしろ、などというこじつけは言わない。尊敬し大切にする。企業などでのガラス天井は言われ続けているが、実態は日本のそれとは比較にならないほど、能力主義である。
「全ての人は生まれながらにして平等であり、自由、そして幸福の追求する権利を持つ」
多くのアメリカ人が、このアメリカの独立宣言を誇り、努力が実る社会の実現を模索する

日本の男尊女卑思想の根本は、母親に対する尊敬を育てないことに一因があると考える。
父権制、家長制の考え方を今でも体に染みつかながら、その制度の崩壊により、男であることの責任、義務を放棄し、ただ男は偉い、尊敬されるべきだという、悪しき残滓が、昨今、社会に荒れ狂っていると思える。


正直、私が日本にいた頃(13年前)と比べて、女性の立場が弱くなったと感じる。
”女子力”という言葉の問題は、男性の都合によって、彼らが求める女性の行動、態度を
女性に納得させ、行わせるのにとても便利に利用され得るということだ。 日本の問題点の一つは、ある言葉が市民権を得ると、それを使えば、根本をスルーして、みんなが納得したような気になってしまうということだ。


アメリカのウーマンズ・パワーには、男の気に入られる見た目や、言われなくても面倒を見る気配りや、可愛いものいいなどは、含まれない。この日本の評価ポイントは、明らかな日本男性の価値観によるものだ。現状の改善に戦うより、現状をいかにうまくやり過ごすかを大切と考える日本の悪しき一面。それで傷つかず快適ならそれでいいのだろうか?



学校のアピールに「女子力」を掲げる女子校が増えている。どんな狙いが込められているのだろう?
「安心できるサポート体制で一人ひとりの女子力をアップし、未来に活躍する女性を育てます」。ホームページ(HP)でうたうのは聖徳大学付属女子中学・高校(千葉県松戸市)だ。


未来に活躍する女性=男性社会の中で、持ち上げられ華やかに君臨する?櫻井よしこ女史のように?


 女子力について「明確なビジョンを持ってきちんと自立できる女性になるための力」「必要とされ、頼りにされる力」などと説明し、学校説明会や新入生ガイダンスでは、必ず「女子力を高めていこう」と呼びかける。大野正文教頭は「礼儀作法に、学力や思考力、表現力などを兼ね備えた女性になろうと伝えている。『モテ』のような男性目線からの女子力という受け止め方をする生徒はいない」と話す。


「必要とされ、頼りにされる力」これには”必要とし頼りする”側あって成り立つ存在。
相手あっての自分は自立とは言えない。自立的立場であれば、目的が”必要とされ頼りにされる”である必要はない。すべての社会の関係は対等であり、自分が必要とし、相手が供給する、あるいはしない。相手の必要に自分の力を供給できる、あるいはできない、である。
 
男女別学の桐光学園中学・高校(川崎市)はHPで「桐光で磨く女子力」と題し、企業から出された課題をもとに議論し、発表するキャリア教育の取り組みなどを紹介。「社会で男性と同じ土俵に上がれる能力を育てると同時に、豊かな感性を育てる狙いがある」(中野浩教頭)としている。


 ログイン前の続き一方、同校で男子に求めているのは「桐光男子の人間力」。中野教頭は使い分けの理由を「能力があっても、女性の地位や立場は男性と同じではないというのが日本の現状だ。だからあえて男子と区別し、『女子力』という言葉を使った。女子が、男子と対等に能力を発揮していくために身につけるべき力ということだ」と説明する。
一体これは、どういう教育なのか?教育する側が考えていない。これは男性優位社会の肯定と、その対処を教えるということであり、かつすべての生徒に対して、男女を超えた人間力を養わなくてはならない教育者が、便利な奴隷マニュアルをやんわりと提示しているにすぎない。


 広島文教女子大学付属高校(広島市)もトップページで「『女子力』を伸ばす!」とし、「知恵」「知識」「知性」を兼ね備えた自立した女性を育てることをうたう。経済産業省が2006年、主体性や課題発見力、柔軟性など12の能力要素からなる「社会人基礎力」を提唱したが、同校の山田亨教頭は「ここに盛り込まれたような能力を総合し、女子校なので『女子力』と表現した」と話す。


 学校の話題を掲載する「トピックス」欄や、地元テレビやラジオ番組での学校案内などで「女子力」を多用するのは長崎女子商業高校(長崎市)。「進学決定!喜びの声 女子力でつかんだ合格!」「女子力!ポスターコンクールで賞をいただきました」といった感じだ。4、5年前から使い始めたという。


 尼崎正明校長は「18歳で就職する生徒が多い。女子力という言葉で、社会人に求められる言葉遣いなどマナーの必要性や、自立するための資格取得の必要性などを説いている」。学校が「女子力」を多用するようになってから生徒もよく使うようになり、「(授業や課外活動を)よく頑張ったね」と声をかけると、「女子力で頑張りました」などと返ってくるという。
女性の側にも責任がある。こういう言葉を簡単に受け入れ、もてはやす。異論を唱える、危機感を持つ意見は出てこないのか?(まあ、相手が陰湿だと、ボロボロにされるからねぇ、そうなると、誰もかばってはくれなし。時に連帯も必要)


■多様化する意味、人を傷つける事例も


 「女子力」という言葉が生まれたのは2000年ごろとされる。漫画家の安野モヨコさんが女性美容誌「VOCE(ヴォーチェ)」に連載していたエッセー「美人画報」の同年10月号で、取材旅行に同行した編集者の妻の魅力を「女子力」と表現したのが最初、と言われている。安野さんは、そのたたずまいを「素直な気持ちで女子としてかわいらしかった」などと評した。
この時点では、面白い感性の言葉、で別に問題もない。一体誰がこれを推し広めたのか?
”女性活躍社会”同様、”女子力”もその実体は男性側便利用語だ。
 
09年にはユーキャン新語・流行語大賞の候補となった。特定の言葉の検索動向をみるグーグルトレンドで「女子力」を調べると、ここ5年ほど安定して使われている。美容や着こなしへの意識が高いと「女子力が高い」と表現されたり、「モテ」や「気遣いのこまやかさ」などの度合いとして使われたりしてきた。


 最近は「女子力」の意味も多様化している。スポーツで活躍する女子選手の紹介記事の見出しで使われたり、「女子力」を掲げる女子校の多くが目指す「知的で自立した女性像」といった意味も増えたりしている。


 ただ、この言葉が人を傷つける事例も起きている。電通の新入社員で一昨年末に自殺し、長時間の過重労働が原因だったとして昨年9月に労災認定された高橋まつりさん(当時24)は、亡くなる数日前、男性上司から「女子力がない」と言われたことなどをツイッターに書き込み、苦しみを訴えていた。(錦光山雅子、三島あずさ)


 《「女子力」をテーマにした論文がある菊地夏野・名古屋市立大准教授(ジェンダー論)の話》 「女子力」という言葉に込められた意味の多さは、現代の日本で、女性に求められるものが揺れて複雑化していることを象徴していると言える。「気配り」「可愛さ」という旧来的な「女らしさ」と同時に、「強さ」「自立」をもって活躍することも期待され、そんな現状に若い女性たちが戸惑い、生きづらさを感じる一因にもなっているのではないか。


生きづらさを感じているすべての日本女性にも、ミッシェルの若者に向けた言葉を届けたいというか、この彼女の勇ましい顔をみてほしい。


人種差別主義者で、女性蔑視論者が大統領になろうとしているアメリカの今後4年間に立ち向かう顔である。彼女のパワーは人間性の持つパワーである。人間には、女性と男性(とその間)が含まれている。当然多様であってしかるべきだ。 一律に”女子力”(言い訳的に自立だの活躍だの付け加えたとしても)とんでもない。


CNN) ミシェル・オバマ米大統領夫人は6日、ホワイトハウスからの最後のスピーチで、米国の若者たちに「恐れないで」と励ましの言葉を掛けた。
各地の高校で活躍するスクール・カウンセラーの表彰式で語った。ホワイトハウスから去る日を2週間後に控えたミシェル夫人は、「皆さんのファーストレディーだったことは人生最高の栄誉。皆さんに誇らしく思っていただけたなら幸いです」と述べた。
スピーチの終盤では、何度も声を詰まらせながら「若い人たちに知ってほしい。あなたたちは大事な存在だということ、居場所があるということを」「だから恐れたりしないで。聞こえますか。どうか恐れないで」と呼び掛けた。
さらに「目標を見据えて、強い決意と希望を持ち、良い教育を受けることで自分に力をつけなさい。社会に出たらその教育を活用して、あなたたちの限りない未来にふさわしい国を築いてください」と語った。
ミシェル夫人はこの8年間、教育問題や肥満対策、軍人家族への支援などに取り組み、ホワイトハウスのスピーチでもさまざまな話題を発信してきた。この日の表彰式も、自ら主導してきた高等教育推進事業の一環だ。
ファーストレディーとして公の場に登場する機会としては、最後に11日夜のテレビ番組への出演が予定されている。


ことさらに男女の棲み分けを強調する昨今の風潮は、戦前回帰の一環であり、本質的な男女平等の逆行でもある。ちなみにトランプ支持者の目指す男女関係は日本のような男女関係だそうだ。


日本人が思っている以上に日本の男性支配社会は、国際社会で悪名高い。日本で美徳の、か弱い、可愛い、慎しみ深い、言われる前から男性のお世話。しかし日本人を妻にもつアメリカ男性が友人に彼女を紹介する時、なぜか、皆こう言う『うちのワイフは、典型的な日本女性ではないんですよ。彼女はものすごく強い、独立した女性なんですよ』


お国柄と言って仕舞えばそれまでだが、アメリカの女性たちは当然に主体的であり、妥協を許さない。けれど、堂々としていて、懐が深く、力強い優しさもある。


自立とは相手に簡単にコントロールされない、自分の視点、価値観を持つこと。
言葉に躍らせれ、それをホローして汲々とするのは自立した女性とは言い難い。


ただ現実的に、自分が主張し過ぎれば、空気壊すし、人間関係がギクシャクするし、ちょつと我慢して笑って過ごせば波風も立たず、あえて逆らった時の、不当で卑怯な、個人攻撃にさらされることもあるので、我慢してしまう、その方が賢い、という考えになるのは、痛いほどわかるけれど、それではこれからもっともっと現状はひどくなる。生きづらくなる。


たった一人で矢表立って、行動することは難しけれど、こうしたことも、現政権を倒し、社会保障を充実し、安定雇用を男女平等水準に引き上げれば、自ずと向上する。今、実権
・決定権が要所要所で男性に握られたいるから、機嫌をとってうまくいく方法を学ばなくてはいけなくなる。変わらなくてはいけないのは、学ばなくてはいけないのは、男性たちなのだ。それでも、どんな立場であれ、一人一人には投票という自分の意見を表明する、自分の希望を叶える手段がある。 


誰に媚びずとも、自分の能力と労働力の対価として安定した賃金が支払われ、笑顔は心から、優しさは心から、その相手と場所を選んで発せられる。笑顔、サービス、気配り、小さなハラスメントに笑顔で”大人”対応、そして仕事は男女平等、失敗すれば、女子力たりない? 冗談じゃなぁいよ。



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