密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

なんとも、ナイーフ日本 世界じゅうからカモられ、尊敬はされない。

飢えた子どもたち、将来に不安どころか絶望を突きつけられる若者たち、体で生活を支えるまでに追い込まれる女性たち、せっせと働いてきて、なお働き、切り詰め、不安におののく高齢者たち、そんな人たちを放っておいて、外面よく大量の血税をバラまき、案の定結果がこれ。

中国外務省は、ケニア政府は南シナ海問題で中国政府を支持する声明を発表しており、日本政府はケニアやアフリカへ自国の要望を押し付ける事をやめるべきである、との見解を述べた。
こりゃ、見事に一本取られたね。領海付近(しかし公海)に漁船団派遣する中国と、中国の周りの国々にお金をばらまいて恩を売りコントロールしようとする日本、どちらがより陰湿で危険に見える? 中国はデモンストレーション(後の布石)日本は金で縛ってコントロールを目論む(詰めが甘いというか、日本でしか通用しない)


中国外務省で実施された9月1日の定例記者会見の際に、記者から「ケニア外務省は、南シナ海問題で中国政府への支持を8月31日付けで再度表明しました。ケニア政府のこの発表は、日本政府と発表した日・ケニア共同声明やナイロビ宣言と異なるものとなります。外務省の見解を聞かせて下さい。」との質問が行われた。この質問に対して外務省の報道官は「ケニア政府は南シナ海問題において、中国政府の立場を支持する声明を発表してくれました。日本政府側が発表した日・ケニア共同声明は、日本政府が一方的に押し付けた声明ではないのでしょうか。日本政府は自国のみの利益を得るために、アフリカ諸国へ自国の要望を押し付けています。これは不適切で失礼であり、アフリカ諸国からの信頼は決して得られないでしょう。」と見解を述べた。
から目線、見透かされている。自国内からアフリカに新しい労働力を求めている中国は、一時のお金ではなく、ケニア発展の要なので、どちらを取るかは明白。日本の一時金バラマキにつられ安倍政権を支持してしまうなど、賢明でないことは、わかっている。


日本政府は「第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)」をアフリカのケニアで開催しており、アフリカへの基本インフラ整備の支援を行う事を約束し、この会議の成果文書として「ナイロビ宣言」を採択していた。この文書の中の海洋安全保障の個所には、【国際連合条約(UNCLOS)に反映された国際法の原則に基づく、ルールを基礎とした海洋秩序を維持することの重要性を強調する】との記載があり、南シナ海で不当な開発を進める中国政府を念頭におき記載された内容であった。
こういうのは、”念頭に置く” なんて表現ではダメ。はっきり書かなければ、どのようにも解釈できる、イエスと言った覚えはないとかわされてしまう。契約なんて、解釈で動く要素を徹底的に排除し、いかなる場合でも、内容変更、例外を持たせないように作る。
日本のように、どのようにも取れる内容で、権力側が、自分の恣意的解釈でなんでもできることが、有利に働くのは、国民が争いを好まず、諦めやすく、戦う方法を知らず、また胆力のない場合にのみ有効なのだ。


日本政府はケニア政府とも個別に会談を実施し、日・ケニア共同声明では【安倍総理から東シナ海・南シナ海についての日本の立場を説明。ケニヤッタ大統領は海洋安全保障についての日本の立場を尊重。国連海洋法条約・国際法に基づく海洋秩序や、航行及び上空飛行の自由、紛争の平和的解決の重要性を確認。】と明記されていた。しかしながら、ケニア外務省は8月31日付けで中国政府を支持する声明を正式に発表している。そのため、日本政府の想いは届かない形となってしまった。
”想いは届かない”とはなんともセンチメンタルな表現。しかし、ケニアははっきり宣言したが、安倍首相がバラ撒いて歩いている中東、アフリカ諸国も、同じ腹積りだろうし、媚びに媚びているロシアだってそう。71年前、敗戦国にもかかわらず、特段の搾取隷属を免れ、民主主義を与えられ、平和憲法に守られてきたラッキーな経済大国と、その体現たる苦労しらずの坊々首相。一度マンハッタンのチャイナタウンで、ナイジェリア人のバッタもんの時計売りと交渉してみるといい。


お金をもらって、それで恩に着て、尊厳まで奪い取れる日本と同じセンスの国などこの地球上にない。お金=パワー、お金=人間の価値、ではないのだ。 安倍首相がどんなに美味しい餌を投げ与えても(交渉において餌は見せるもので早々与えるものではな)いつまでたっても(と云うか益々)、国際社会で浮いているのは、めちゃくちゃ甘い見込み、自分の能力を認識しない大言造語、諸外国首相の自国運営に対する真剣さ、能力の高さ、交渉における狡猾さ、時に必要な冷たさ(安倍ちゃまは庶民に対しては常時冷淡さを発揮している、というか無関心なのだね)理想の高さ、現実の分析力、どれ一つとっても、十分ではない内弁慶安倍ちゃま首相。
お寿司でジャーナリズム、メディアの魂を売り渡すのも日本だけ。独裁国では、命との天秤でも、時に報道者の矜持に振れる(戦中日本にもそうした人たちはいた)。
安倍政権が、長期君臨できてしまうのも、長らく、事なかれ主義のお任せ政治をしてきた日本という特殊な閉鎖空間ゆえであると思う。


国内の安倍ちゃま絶賛支持率(モードへ持って行くメディア)そんなことは、金正恩大将軍様が、最も素敵な男性!!という北朝鮮女性の価値観(こちらは無理やり?)と大差ない。


頭のいいつもり、なんでも知っているつもり、自国が一番のつもり、世界中で、日本のやり方、価値観が通じるつもり、そんなナイーフ(生まれたままーの意味から、アメリカでは、純粋、世間知らず、箱入りのような感じに使われる)日本人。


言葉、風習の違う国とも、渡り合える人間力(多くの日本のNPOの人たちが示しているような)を培い、何よりそういう人間力を持った人を首相にしないと、民度が疑われる。



PVアクセスランキング にほんブログ村
ランキングに参加しています。宜しかったら、両方を
クリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村



人気ブログランキングへ