密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

「笑いは地球を救う」英ドラマ・Life's too short

障害のある人たちをドラマ的に、感動ありきで作りこむのなら、当事者が不快に思うのは当然だろう。誰も他人の偽善的自己満足や同情の対象になりたくないだろうし、自分のことは自分でしたい、誰かに頼まないで、自分だけの意思で物事を行いたい。
友人の全盲の音楽家が、『何がしてみたいと言うと、いきなり走り出してみたい』と言ったことがある。

番組では、自身も障害者で「感動ポルノ」の言葉で問題提起した豪州のジャーナリスト兼コメディアン、故ステラ・ヤングさんの「障害は体や病気よりも、私たちを特別視してモノ扱いする社会の方」との発言を紹介した。


 出演者は「笑いは地球を救う」と書かれたそろいのTシャツ姿。難病の大橋グレース愛喜恵さんを主人公にした模擬ドキュメンタリーも流した。生活の大変さや障害者になった衝撃、明るく前向きな姿を強調。本人の実感や意思を無視して「感動ポルノ」に仕立てられるさまを示した。


こうした、当事者からのユーモア(サーカズム)が発信されることは、とても大事だと思う。イギリスのドラマLife's Too Short は ドゥオルフ(発達障害?正式に医学的にどういう状態かわからないが、顔立ちは大人になるけれど身長が伸びない。全てが子供のまま成長が止まってしまう人たちはミジットと呼ばれている。)の俳優Warwick Davis の日常の葛藤(のように、多分オーバーに)ドキュメンタリー風にしている彼自身の企画ドラマ。彼の行動の原動力のプライドや見栄、意地が滑稽に、決して美しくなく、時に残酷な笑いを生む。しかしその葛藤が人間そのもので、誰でも持っている部分である。日本で放送したら抗議が来そうなほどエッジであるが、”かわいそうな障害のある人”を徹底的に否定する。

アメリカに住んでしばらくは、話せない、聞くことが理解できない、運転ができない、全て、夫Dさんの助けがいる状態になって、それが思いの外ストレスで、誰にも断らずに、助けを借りずに、物事をしたい!!、一個の人間として、対等に扱われたい!!という欲求と不満が渦巻いて大変苦しかった時期がある。その時、前出の音楽家の友人の気持ちが少しわかった気がした。


健常者の初めに感動的結末のストーリーに当てはめるドラマではなく、障害者の側からの発信をもっと作れるように、製作者側も視点を変える必要がある。



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