密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

水清くして?不魚住 政府の想定外の人間は締め出される社会

水清くして不魚住、というが、別に清くもない、逆に濁りきっている(だから彼らには囲碁と違いい)現政権の支配する世の中で、締め出せれている人たちがいる。 世襲議員が跋扈する政界で、人の頭を下げられ、お金はどこからか融通され、自分達は支配者であると思っている人間たちに、”多様な生き方” や ”総活躍” なんて、ただの彼らの頭の中の都合のいい発想で、彼らは濁りきった一部の人たちの規範に当てはまらない人たちを支配しやすい規範に当てはめようと追い込み、そうでなければ切り捨てる。
”社会に見捨てられた人たち”は、自己責任論にさらされ、サポートを受けることにも罪悪感を持ち、もう頑張れない状況で頑張り、壊れてゆく。


こうした、命に関わる貧困とは、比べるものではないが、私がここ10年で日本に帰るたびに感じた、小さな締め付けを、書いてみる。 


大企業などの海外派遣でない、日本に住んでいない日本人で、自由業で有名人でもなく、日本でも収入を得ている(日本の収入も申告し税金はアメリカで払っている)こういう、曖昧なとポジションの人だと、どうも年々困ったことになってゆく。


まず、銀行の身分チェックが厳しくなり、チョットした変更も、本人が窓口で、身分証明書を持っていかなければならず、代理人にもかなり厳しい手続き(戸籍謄本取り寄せとか、続柄証明とか)が必要。
”海外在住なので”というと、「住民票のない人は、原則として口座は持てません」で口座を失いかねないやぶ蛇。以前使えた国際キャツシュカードも一方的に廃止の通達。
トラベラーズチャツクも、もう取り扱っていない(これはアメリカンエクスプレスとのトラブルらしいが)すべての人がクレジットカードを持つ前提なので、必要ない?
というわけで、やぶ蛇を恐れ、ここ数年日本の収入は動かせない(日本に行ったとき使う)。どんどん合理的?というか、誰かが便利なんだろうが、一定の規範、方向性にどんどん変わってゆくので、取り残される方はオロオロだ。


帰るたびに、公衆電話もどんどんなくなり、全員が携帯を持つ前提で世の中進んで行く。携帯が普及したので、公衆電話がなくなる、というより、携帯普及のために公衆電話を撤去という感じがした。


話はそれるが、旧国立競技場も、あまりにもさっさと、とり壊すだけ取り壊し、その後の迷走を見ると、無理にある方向に進ませるために後戻りできないように取り壊した感がある。


つまり、政府のプランがあり、そこに国民を従わせるために、従来のものを使いづらくしたり、禁止したりして、ある方向に誘導するという手口が、もう大ぴらすぎるほど、しかも立ち止まらず、異論が出る前にさっさと決行されている。 


未だにネズミのチョロチョロするNYの地下鉄は、常に全く意見がまとまらず、ずっと改築もできず旧態を晒しているが、これは多数決や、一部の合意で、こっそりやってしまうことを決して許さない民度の表れで、何一つ早く進まないが、これはこれで見上げたものだとも思う。


さて、この、国の上からコントロールが、若い家出少女や貧困シングルマザーの性の商品化生み出したということが、現在読んでいる鈴木大介氏の『貧困女子』に出てくる。


00年代中盤から、次々に施行された法規制が、”プチ家出ブーム”で短期都会に”避難”していた十代の少女たちを追い詰めていったという。
未成年が深夜に立ち歩くことを規制する『徘徊条例』深夜ネットカフェの未成年入店禁止、身分証確認の強化、プリペード携帯の購入も身分証が必要になり、少女たちの居場所を奪っていった。


その結果台頭してきたのが、身分保障や、一夜の宿と引き換えに、彼女たちの性を組織的に商品化、搾取するシステム。特に身分保障は少女たちにとって絶対必要で手に入らないもの、それを対価に、将来にわたって拘束する専門の業者が跋扈して、彼女たちを逃さず搾取している。


”不良で甘えていて家にいつかないのだから厳しく居場所をなくしていけばいい”という大人の上から目線が、彼女たちをより危険な蟻地獄に送り出している。


上から目線の戦前教育や、実態を深く考察しない、いや視察もしない、表面的な国にのみ便利な制度の法制化、国による若者への”躾”。こうしたクロウ知らずの甘ちゃん為政者の幼稚な思考と怠慢が幼い売春を生み、貧困を助長させてきて、今なお、”自衛隊体験入隊” ”厳しく鍛えなおす”だのというトンデモ意見を口にしてはばからない政府要職者がいる。


若い人に”しっかりして”欲しいのであれば、子供にストレスをぶつける親の貧困、離婚後の無責任夫の養育費不払いへの法的対処、将来に希望の持てる雇用形態、誰でも望めば教育を受ける機会が開かれる制度、そうしたことを重視するべきで、軍隊式に鍛えたり、取り締まったり、支配したりすることではない。


国は自分たちのプラン通りに国民誘導し、動かし、そのプランも一部の利益誘導であって、国民一人一人の生活のためではなく、国民はただ刈り取られる麦の一粒で、こぼれを落ちてた者には気にも留めない。こぼれ落ちたら自己責任。


種を蒔かずに刈り取るだけの日本の未来は、どこへ行くのか?



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