密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

映画・ドラマに忍び込む、戦前回帰、国粋主義礼賛

ずいぶん前から、気になっていた。戦争映画・ドラマが変わってきている。日本人の美しさ、忍耐強さ、礼儀正しさのみを強調、じゅすいに国を思い命を投げ出す若者と見送る家族に涙が誘われる。昔見ていた映画には、戦時下の暴力、粛清、狂気、横暴も描かれたいた。ずいぶん綺麗事の部分が増えたと感じる。


具体的には、横山秀夫氏の小説『出口にない海』の映画化作品を見たとき。
”人間魚雷回天”出陣の若い兵士を送り出し、私も息子のような彼らを送り出すのは辛い、と一人涙する、上官(香川照之くんは大好きだけど)こういう人もいたかもしれないけど、皆こうなら、バンザイ玉砕なんて起こらなかった。日本の軍隊のよくわからない風習の一つ、むやみに理由なく殴られるシーンも見られない。原作には、上官の卑怯と言っていい身勝手さ、上からの圧力、周囲への同調圧力で狂わされて聞く若い兵士たち、不安定な魚雷のため、訓練で命を落とす、また目的を達成できず生還したものへの、生き恥を晒すな、という死ぬことへの強要が描かれたいたが、そんへんはみんなパス。お国のために潔く死んでいく若者と、涙をこらえ見送る上官。


リテラの記事の、大林宣彦氏・塚本晋也監督の言葉に強く共感した。


 終戦記念日が近づいてくると、毎年のように太平洋戦争を題材にしたドラマや映画がつくられる。1年に1度でも、戦争について考えることの意味は大きい。
 しかし、近年、戦争を題材にしたドラマや映画の潮流は様変わりしている。良いほうにではない。悪いほうに、だ。『あんにょんキムチ』や『童貞。をプロデュース』などのドキュメンタリー映画で数多くの映画賞を受賞している松江哲明監督は、今年1月に出版された芸術批評誌「REAR no.36」(リア制作室)でこのように指摘している。
「最近出てきた体験者じゃない人がつくる、あまりにも現代的な視点が強すぎる戦争映画にすごく違和感を持っていたんですよね。『永遠の0』(2013年、山崎貴監督)とか。SFレベルの、ものすごく都合のいい解釈の映画だなって。孫が調べていって、価値観が変わっていくというのを一つのドラマにしているんですけど、分かんないことを排除しようとするんですよね」
「『永遠の0』を見て、分かりやすくしているが故にすごくなにかを隠している都合のいい映画で、SF的、架空戦記ものみたいだなって」
『永遠の0』のような「架空戦記」は、戦争に向かう兵をとにかくヒーローのように描き、その死はドラマチックに描かれる。それは戦争の悲惨さを描いているようでいて、実はその真逆。観客はむしろ、国のため、家族のために死に行く若者を英雄として、憧れの対象として捉えてしまう。
 だが、実際の戦争における死は、そんなにドラマのあるものではない。砲弾などにより人間は一瞬のうちにただの「肉塊」になってしまうし、深刻な食料不足から「食人」も行う。むごたらしいものだ。

現に、過去の映画はそのような戦争の実相をきちんと描いていた。たとえば、陸軍に召集され戦友たちが死んでいく姿を目にしている岡本喜八監督は、1971年公開の映画『激動の昭和史 沖縄決戦』で、140分近くの上映時間のうち半分以上を物語上の余韻も何もなく、ただただ兵士や沖縄市民が死んでいく姿を描写することに費やした。セリフらしいセリフを与えられる者もほとんどおらず、死に方はそれぞれだが、人々はただ死んでいくだけで、そこにヒロイズムのようなものはかけらもない。


しかし、近年の戦争映画や戦争ドラマは『永遠の0』に代表されるように、一見戦争の悲惨さを描いているように見えて、実際は戦死者をヒーローとして描き戦争を賛美するようなものばかりが増えている。たとえばNHKでは今年、石原さとみ主演で『戦艦武蔵』というドラマが放映されるが、これも告知されたあらすじを見る限り、まさに軍艦版『永遠の0』というべき代物だ。


「塚本君は「キネマ旬報」のインタビューで、「戦争映画でカタルシスを与えるようなことは絶対やっちゃいけない」とも言ってましたね。僕ね、あれに共鳴したの。“カタルシス”って実は恐ろしい。どんな悲しい悲惨な映画をみても「悲しい」って泣くと、観客はホッとするんだよね。だから戦争映画を悲しく描くのは恐ろしいことでね。どんな反戦映画を作っても「お母さん、お国のために行ってきます」という兵士に対して、観客が「お兄ちゃんかっこいい!」とカタルシスを持ってしまったら、今度戦争が来た時に「僕もあんな風に戦争でカッコよく死のう」と思ってしまうんです。ウチの恭子さん(引用者注:大林監督の妻で映画プロデューサーの大林恭子氏のこと)のお兄さんは海軍で亡くなったのだけど、この方たちは「二度と未来の若者たちには、自分たちのように戦争で殺される体験はして欲しくない」と願いながら死んで行ったのです。その戦争を描いて、また同じことが繰り返されたら、これ、犯罪ですからね。確かに戦争自体を見るのは辛いわな。だから、辛くない戦争映画を作っちゃ犯罪なんだよ」
「『永遠の0』(13年)もカタルシスが過剰。あの映画を観て泣いていたら、あなた方の子供が皆戦争に行っちゃうよ。映画って怖いくらい影響力が強いんです」


TVドラマにも、釈然としないものが差し込まれている。近代史ドラマも増え、なかなか面白いものも、多いのだけど、例えば”天皇の料理番2015版”など、後半の戦中、戦後は、アメリカ人の日本人いじめが、かなり強烈に書かれたいた。そういう人もいたかもしれないけど、それなりの教育を受けた、アメリカ人たちが、公式パーティーで自分たちのために調理サーブしてくれている日本人シェフを池に突き落として笑い者にする何んて考えられない。実際、秋山徳蔵の日記にも、そういうことは書かれていない。単なる一例だが、要所要所でドラマにほんの少し過剰に演出し、日本軍国戦前賛美が挿入されているように感じられる。また、耐えてついてくる妻、お国のために涙を飲む家族関係なども上っ面すぎてなんだか、胡散臭い。


電通のマニュアルでドラマに少しずつプロパガンダを入れ続け、世論や流行を作り出す、という方法論があるそうだ。何気なく楽しく見ているドラマだからこそ、警戒なく作られた情報を無意識に信じてしまうだろう。若い世代の右傾化は、こういうことの影響があるのではないかと危惧している。

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