密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

Joey Ayoubさんブログと、アベ首相弔意に思う。

安倍首相はパリで発生した同時テロ事件の犠牲者に対する弔意を伝え、「フランスは非常に困難な時期にあるが、日本ができることは何でもする」と支援を表明。「国際社会の問題として強いメッセージを出すことが重要だ」と述べたそうですが、かたや、志位委員長の弔意「卑劣極まるテロ行為を強く非難し、犠牲者とそのご家族に衷心よりお悔やみを申し上げます。深い悲劇のもとにあるフランス国民に心からの連帯の気持ちを表明します」と述べたそうだ。


この違い、安倍首相は犠牲者に対して一顧だにしていない。人の顔が見えていない。悲劇を自分の言葉の発信の機会としかとらえていない。日本の能力(安倍の頭の中のそう司令官妄想)の顕示、国際社会のリーダーとしての発言(安倍の頭の中,世界の中心で咲き誇る妄想)を述べている、これで、相手になにを伝えようというのか。志位委員長は無駄の無い言葉の中に、テロへの憤り、犠牲者への哀悼、フランス国民への同情を表しています。これが,人間として,国の代表として、まず最低線伝えるべきことでしょう。


もちろん,ベイルートやイラクでも同時期にテロが起こり,40人以上の人々が亡くなっていても、国際社会の注目は低い。不条理です。Joey Ayoubさんのブログを読みました。とても遣る瀬ない思いがします。読んでみてください。


ブログ村野瀬玲奈秘書課広報室さんの転載
●HUMMUS FOR THOUGHT A Politically Incorrect Blog by Joey Ayoub
BEIRUT, PARISNOVEMBER 14, 2015
http://hummusforthought.com/2015/11/14/beirut-paris/
このブログの和訳をされた方のページ
https://www.facebook.com/tiro.maekawa/posts/10205633956068481
人種によって命の重さが違う,そうであってはならないのですが、現実的にはそういう事実が歴然とあります。アメリカでも、黒人が警察官や,ガードから、過剰な暴力をうけたり、射殺されるケースが後を絶ちません。フロリダでは、16才の少年がドーナッツの入った紙袋をもって,父を尋ねて来て、その地域の自称ガードのラテン系(白人とラテン系のハーフ)の男性に射殺され、裁判ではなぜか全員白人の陪審員で、無罪になり,全米の黒人社会が憤りデモがくり広げられました。加えて,この人はなまえが出たのをいい事にネットで,自分の愛国心ペインティング(アメリカの国旗など極右系題材)を売って,またそれを買うバカがいる(遺族がどんな思いをしていることか)今回のテロでは,既にテキサスなど保守派の州は自分たちの州に難民受け入れを拒否すると騒いでいたり、アメリカではこうした腹立たしい不条理が本当によくあります。数千年にわたる宗教対立と戦争そこからは派生したテロリスト脅威とは次元の違う話ですが,日常的に命の重さが平等でないと感じる事も多いのです。


自分の、何の根拠の無い優越感で(肌が白いとか,自分の神が絶対だとか)相手を同じ人間ととらえる事が出来ない人たちがいます。そういう人たちは、自分たちが正しいとか,相手を言いなりにさせる権利があると思い込んでいて、そのように行動します。政治的に、強権的に、暴力的に。


上記の我が国首相の感覚はこのような人たちと同じのもで、通常の人間の感覚から離れている。人間を全く見ていない、その現れの発言に聞こえました。戦死者を数字でとらえて、国益の効率判断する準備はすっかり整っているようです。


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