密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

兵器使用緩和検討ーすでに始まっている惨劇の序曲

参議院選争点ずらしの最高司令官。いずれ安倍神軍にさせられる自衛隊員は不安を隠せない。当たり前だ、どれほど高い志を誓って国民を守ろうと入隊しても、遠方の、日本に何の関係のない戦いで、命を危険にさらし、単に国際社会の力関係の手駒に使われるのでは、納得ができないだろう。



こうした、現場の隊員、ご家族の不安をよそに、解釈改憲(いや、もう解釈ですらない憲法無視の道理引っ込む無理やり法制)で開けた一穴から、止まらない本流が流れだそうとしている。



自衛隊員が相手に危害を加える武器の使用を許される「正当防衛・緊急避難」の範囲について、陸上自衛隊が従来より広く解釈する方向で検討していることが、防衛省関係者への取材で分かった。安全保障関連法の施行で国連平和維持活動(PKO)の任務によっては隊員のリスクが高まるとの指摘がある中、任務遂行のため武器使用に柔軟性をもたせる狙いがある。同省関係者は「今までは非常に狭い武器使用の考え方だったが、解釈を転換する時期に来ている」と言う。


こうなることは、自明の理であり、今後現状に即してとめどなく範囲拡大してゆくだろう。それは、戦死者、負傷者数の拡大に比例し、誤殺の犠牲者数にも比例してゆく。


アメリカ軍のベトナム・イラクの退役軍人たちの会・”冬の兵士”この人たちの証言、特に
実近のイラクでは、この武器使用、攻撃対象の範囲がを示すマンデート(司令)が毎日変わったという。最後には、”動くものは全て撃て”であったという。


人の心を狂わせるものは、恐怖である。その”恐怖”の伴侶は”差別”。虐殺という子供が生まれる。 自分の命が危険にさらされ、自己防衛本能が、攻撃性を生み出すとき、その対象を自分とは違うもの、同じ人間と見なさないことにより、冷酷で残酷な行為も平気になる。 どの戦いに巻き込まれた兵士も、そのほとんどが、誰かの息子・娘であり、誰かの恋人であり、友人であり、夫であり、妻であり、父であり、母である。そして殺された人たちもそれは同じ。そんな簡単なことが、通用しなくなり、正常な感覚に立ち戻ることを許されない、それが戦争だ。


最初は、兵士の安全のためにと、兵器使用範囲を拡大、拡大 拡大
体と心の壊れた兵士と、死体の山。だから、日本は戦争を放棄した。小さな範囲の拡大が
とめどなく行われることを身を以て知った戦争の後で。


手足のない人、心の壊れた人、悪夢の苛まれ続ける人、家族を失った人、そうした人たちが社会に溢れ、それを許容できる社会保障体制と社会の精神的許容の準備もない今の日本


戦争法案・安保法案は廃案にしなければならない。自衛隊のあり方を再考する国民的議論は、安易で自己陶酔的な戦前回帰を熱望する現政権下では行えない。


止めるなら、今しかない。独りよがりで、日本の根幹を勝手に変える安倍政治にNOを!!!


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