密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

In Personal は大事な一線 古市発言の問題点

昨夜のネット党首討論会での、司会者古市氏の小沢代表に対する質問、その後の対応などが、話題になっている。古市氏は小沢一郎代表に対して「再婚相手は見つかったんでしょうか?」と質問し、小沢氏は不快をあらわにした。


その後、きちんとした謝罪が必要と考えたのか、そのような指示が番組側から出たようだがこれに対して、(古市氏はスタッフから手渡された紙を見て)「読んだ方がいいのですか? 先ほど小沢代表に対しまして、大変失礼な発言をしました。発言を撤回して、心よりお詫び申し上げます」いやいや棒読みをアピール。



その後、「政策っていうのはマニフェストを読んでもわかるじゃないですか。こういう(ネット討論の)場があるということは、人柄を見ることが一個、意味でもあると思ったんですね。聞き方はちょっと失礼だったかもしれないですけれども」と発言した。


小沢代表は表情を変え、「(古市氏の発言は)あなたがたの釈明ではないよね。おかしい。こういう場でそんなことを言うなんて、どうかしている。党首討論と関係ない。お詫びするならお詫びするで、きちんとしなさい。そんな言い草ないでしょう」と述べた。


ネット番組なので、予定調和を避け、”司会者として、各党首の人柄を浮かび上がらせたい、という思いがありました”と古市氏は番組後のインタビューに答えている。


視聴者を楽しませたいという、志と切り口はわかるが、小沢氏への質問が不適切なのは、
”In Personal”に踏み込んだ質問だからである。


”In Personal”はアメリカでは、個人的なこと、プライバシーに踏み込んでいる”と警告するために、用いる言葉で、ここを踏み越えないことが、人間関係の上で、大変重要である


日本はこの線引きが曖昧で、例えば女性に会うと、挨拶のように、”太ったんじゃない?”
”彼氏できた” ”結婚まだ”など、現在ではセクハラに分類されるこも、実は”In Personal”
の不適切でもある。誰も、家に招かれて、相手のタンスの引き出しを覗いたり、いくら持っているの?と相手の財布を取り上げて、中身を見たりしないだろう。
まあ、それと同じことなのだ。


ちなみのこの日小沢氏は発言をせず、それが古市氏の、まあ軽い浅薄な質問を引き出したのだが、この討論会前、午前中に行われた、シールズ主催の有楽町集会を、葬儀出席のため欠席している。これも”In Personal”であるが、欠席の理由として、集会で発表されたので、ここまでは問題ない、ここから、誰が?どういう関係の人が?など本人が話さないことを追求するのは”In Personal”に踏み込んだことになる。


ある程度の年齢の人物の再婚について、ネット公開の場、しかも、時間の限られた、政策討論の場である不適切に加え、エイジハラスメント、”In Personal”の問題も含む、最悪の質問であり、その後の、子供じみた、言い訳、態度も、いただけない。


日本の社会は、この”In Personal”のセンスが、やや欠如している。それは、何が個人の領域なのかが、センスとして備わっていないということと、自分と、他人の区分けができていない、個人主義と、利己主義の区別がついていないということの問題でもある。


欧米では、タブロイド紙の地位はとても低い、それは彼らの商売が”In Personal”を暴きたて大衆の興味を満足させるためだけにあるからだ。老舗週刊誌もその傾向を強めているーいやもともとタブロイド誌だったのかもしれないが。日本のテレビ番組もほとんどは、タブロイド化している。辞任した、舛添氏の追及でも、”In Personal”にまで踏み込んで、報道、バッシングしたことでもわかる。


日本が日常的に”In Personal”のセンスを持つことができれば、大きな部分での社会的生き辛さが、解消するだろうと、常々私は思っている。


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