密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

アメリカ—日本、謝罪をするという意味

オバマ大統領の広島訪問は、被爆者の方々に、深い印象を刻んだ事と思う。
引退前の花道作りのパフォーマンスとディスる意見もある中、オバマ氏の誠意を肌身で受け取ったのは長い間、悲惨な経験、現状を抱えながら、平和を訴えてきた被災者の方々とそのご遺族だったのではないか。


オバマ大統領が自ら折ってきた鶴と、被爆して鶴を折り続け、12歳で亡くなった禎子さんモデルの像

日本人には当たり前に折れる鶴,でもアメリカ人にはかなり難しい事だと思う.大人の折り紙クラスでも上級編に近い。正直に少し手伝ってもらったとオバマ氏も告白?している。特に左は頑張った感じがでている


生存しその人生を原爆症や被爆者差別と戦ってきた被爆者やそのご遺族は、実は端で米国の非道に腹を立て、許さず、糾弾したい人たちには想像できないほど、平和の為に、二度と自分たちのような人を出さないで欲しいと云う、未来への平和の希求を第一に考えられていた事に、改めて、深い感銘を受けたし、その方々に対してオバマ大統領は自分の出来うる限りの心を表し、全身で向き合った、それが解ったから、謝罪の有無を超えて、未来を見据えるメッセージにもなったのだろう。


原爆投下の罪の所在については、夫とよく議論をする。その話題になると、原爆と云うとんでもない爆弾を過小判断で使用し、その結果の重大さにほっかむりをしている憎きアメリカ、という気持ちがむくむくとわいてくるから不思議だ。
しかし、たぶん同じような怒りを持って、アメリカの謝罪を求める人たちは、アメリカの誰への謝罪をもとめているのか? 被爆者、犠牲者への後悔と謝罪の念であれば、今回のオバマ大統領の行動は、アメリカ人が見れば十分示されているという事なのだ。
しかし国の判断として原爆投下が間違えであったと、日本に謝罪するという事になると、これは大方のアメリカ人は『では、どうやって日本を降伏させれば良かったのか?』
『地上戦で、日本の全ての人たちが特攻で攻撃してくる、その人たちを皆殺しにするまで、自国の兵士をその泥沼に陥らせるわけにはいかなかった』『都市大空爆でも、降服を受け入れず、原爆使用を突きつけて、降服を迫るも拒否、第一弾を広島に落として,3日の猶予(短すぎると思うけど、、)を与えるも,降服を拒否。第二弾を長崎に落とし、それでも,降服の様子が無く第3弾を倉敷か新潟などの落とす準備もあったようだが、ここで、昭和天皇は無条件降服を受け入れた。


これに答えられなければ、原爆投下への全面的謝罪はアメリカ人の考え方として、筋が通らない,日本が国として謝罪要求することは不当である、ということになる。


被災者へのオバマ大統領の対応を謝罪ではないと感じるのは、日本と,アメリカの謝罪に求める態度の違いではないか。日本は大きな罪、責任に着いて謝罪をするなら、人間の尊厳もかなぐり捨てて平身低頭、或は尊厳を叩き潰して謝らせる,事で納得する。
(たとえば、スマップ謝罪のように、)


アメリア人は,人間の過ちに寛容で、言葉や態度で、反省や理解や寄り添いを表せば、その人の尊厳まで放棄する事を求めない。滅多な事では謝らないし,一点でも自分に分があれば謝らない,対等な話し合い、交渉に持ってゆく。 全く分が無くても、謝っていても偉そうと云うか,どうどうと謝って、心がこもっていないように日本人の私には感じられる事がある(主に夫に対して)。


今回の事も一部(?)の人が謝罪していないと強弁し拘ることを、夫Dさんは,日本人とアメリカ人の謝罪に対する認識の違いという。『死んでお詫びーHarakiri』の国と,『生きて、今後の変化に努力しろ』のアメリカ。


日本人が納得するような謝罪をアメリカから得る為には、ではどうしたら日本を降服させ,戦争を終わらせる事が出来たのか、一億総玉砕を目指していた日本人が、きちんと筋の通る論理をぶつけ彼らを納得させなければならない。


彼らは、原爆を正当化させている訳でもなければ、日本人は殺してもかまわないと思っている訳でもない。


オバマ氏は原爆が非人道的な兵器で、決して、二度と使用してはならないものという認識も示した。謝罪を口にしない事で腹立たしいのは仕方ないが、直接、接してオバマ大統領の心からの寄り添いを受け止め、未来の平和の為に心の交流を果たした被爆者,及び遺族の方々に学んで、不信と憎しみの感情を煽るのはやめるべきだと思う。



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