密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

TBS改憲特集は公平か?

展覧会準備が始まるまでのゴールデンウイークは、実家で、歳で色々回らなくなった両親のサポートと食事作りをしている。
父は一日中テレビを付けている。夕食の支度をしながら、何気なくテレビに目をやると、
TBSで、改憲特集。 反対は意見として、女性弁護士(テロップの名前は見逃した)が、多分,デモなどでのスピーチかなり感情的に安倍氏を攻撃する場面が映し出されていた。
この方も,冷静なインタビューなら,法的な根拠から自民党草案の危険性を訴える事が出来るのだろうが,画面に感情的に叫んでいる女性という印象が強く、普通に見れば好感が持てるものではない。


改憲の必要を説く安倍氏に対し、こういう場面補反対派の態度として映す事が公平であるのか?という疑念がわいた。


父は、子供時代を戦争で過ごした世代で、悪い人間ではないのだが、かなりの女性蔑視、人種偏見を持っていて、それを、当然の事として口にする。
物心がついた頃から,父の考えに非常な反発を持っていた。そして、日本にいた間、父ほどはっきり口にしなくても、父に近い感覚,考えの男性が世代を超えて少なくない数で,存在するという事を経験に寄って認識している。


女は、2、3日、1週間先の事は考えられが,5年10年先は考えられない。
女の浅知恵。理屈を言う女は不幸になる。等々 つまり,女性の思考、意見聞く前から男性に劣ると考えているし、意見を言う女は愚かであると,決めつけている。
ヒラリークリントンに対して,「亭主の後ろ盾だけででていて,あんな女の大統領は勤まらない。」と宣っている。救いがたい人である。


話を改憲特集の戻すと、その後,、個人の尊厳に関わる13条に「すべて国民は、個人として尊重される。」を自民党草案では「すべて国民は、人として尊重される。」と変えた問題にふれ、百地章氏が弁舌を振るう。 対して護憲派の大学教授も意見を述べるのだが、自民党草案反対の先頭に立つ、小林氏や、長谷部氏、樋口氏などではなく、あまり、
一般にお名前がでていない方(料理をしながらなので、これもテロップを見逃した。)
もちろん、その方の考え意見が不足というのではないが、百地氏は、意見を述べている場所が、日本会議かなにかの集会のステージ上で,大きな拍手を受け、ている、かたや,反対派の教授は自室でのインタビューのようで、かつ,解りやすく説明しようと、
『個人というのは、皆それぞれ違人格、思考をもつ事を,守られる,人と変えると皆一緒になってしまう』というようにおっしゃっていたが、TV上では、返って、根拠に乏しい、幼稚な意見の様に,見えてしまうけなんが感じられた。
そしてその後、国会での、大塚耕平議員が安倍首相に、改憲草案では個人を
人と言い換えているが何か、意図があるのか,という質問に、安倍首相は『特別の意図はございません』と答えた、ワンシーンを取り上げた。


国会中継を見ていたなら,安倍氏の態度が非常に不遜で,無責任、それなら何故返るのか?と突っ込めるが、特集の構成では、野党議員が,安倍首相が特別な意味がないとしている事を、重箱の隅のように突っついている,というようにも受け取れる。


そして、改憲の第一歩、緊急事態条項があげられ人としたあとに、幾つかの熊本の被災地ん写真が、放映された。 そして、その後反対はの意見として、仙台市長奥山恵美子氏
が、『被災地の事、現場のニーズは、その場の人がよく解っている、国の決定権や対策を
集中させるより,その地の地方自治体の判断、権限を強化し,国は資金面、物資面のサポートを速やかの行う事の方が,重要である』と述べた.大変、説得力の在る意見であり、彼女の話し方も冷静で穏やかであった。


しかし、前の書いたが、TVの前には、父のような人は少なからずいて、”女市長の意見”
として,無条件に軽んじられることもあるのではないか?なぜ、複数の被災経験の在る
土地の、市長や知事の意見を取り上げないのか? それこそ,熊本知事の考え、災害当時の福島県知事のどにも、インタビューすべきではないか?という違和感がのこった。


この特集をじっくり集中してみた訳ではないし、私の見方が、自民党草案に絶対反対なので、偏った憶測なのかもしれないが、メディアがこのような番組構成で、国民に改憲へのアプローチをつづければ、国民を解ったつもりにさせる事は用意で、反自民党草案を叫ぶ人々が、つまらない事で反対ばかりしている偏った人たちにさせられる可能性に、とても危機感を感じた。TBSがどんなスタンスなのか解らないが、私には公平をよそおって、安倍政権に利する番組構成に見えた。


個人主義の弊害の是正もあげられていたが、前提として,個人主義と利己主義のくべつのつかない、平和主義と事なかれ主義が同一線上に位置する日本。
未だに,日本は個人主義という事が定着していないと私は感じている。
しかし、大学生や,高校生、が危機感を感じてデモ行動をし、若い母親達が、行動を起こし、また,政権の無理解にも素早く反応し『保育園落ちたの私だ』という主張でデモを行っている事、これは、自分の思いを発言できるという個人主義基礎が育つ土壌画で来つつある事の証であり、日本の国民が自分たちの手で民主主義を選び取る行動の始まりであると思う。だから、次回選挙は負けられない。この動きを潰して、全体主義に戻す事は、
この国の未来の不幸であるからだ。



PVアクセスランキング にほんブログ村
ランキングに参加しています。宜しかったら
下のバーナーをクリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村