密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

宗教界も世襲貴族の天下、既得特権維持に伝統、格式を持ち出す。

以前、アマゾンのお坊さん便について、
宗教の商品化,でもお布施高すぎないですか?
http://artrino.muragon.com/entry/158.html
と云う記事を書いたのだが、デンダイが、お坊さん便をめぐって、仏教の格差に、言及する記事を書いている。
ゲンダイ:謎が解明? “お坊さん便”でわかった仏教界の「格差地獄」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/177680/1
法要を営む際に、「アマゾン」で申し込むと僧侶を派遣してくれる「みんれび」のサービス「お坊さん便」(3万5000円~)。全日本仏教会が「アマゾン」に対しサービス停止を要求して騒ぎになっているが、賛否両論飛び交う中で浮かび上がってきたのが、僧侶を取り巻く格差。


「仏教会」がアマゾンに中止を求めた理由は、「僧侶の宗教行為を定額の商品として販売することに大いなる疑問を感じる」というものだ。
「仏教界には、お布施は“お気持ち”なので、定額で示すものではないという建前があります。“定額”として明示されると、法要儀式の商品化につながり、その料金を払えない人は法要を行えなくなる、という理屈なのです」



しかし実際には、葬儀や法要布施の額を寺側が示して要求するケースも少なくない。戒名も、ランクに応じて布施の額が変わるとされる。

「お坊さん便に反発している僧侶の多くは、外車を乗り回しゴルフ三昧の、いわゆる“宗教貴族”。ごく一握りのエリートたちです。1回の法要で10万円、20万円という金額をふっかける彼らにしてみれば、お坊さん便の“3万5000円”のような安い金額を提示してくれるな、という感情もあるのです」


どこもかしこも世襲貴族が甘やかされた自分の身勝手を、伝統だ、品格だ、といって正当化。彼らに取って伝統とは、既得特権の継続に他ならない。
それに引き換え、田舎のお坊さんは、法要1回あたり1万~2万円程度が相場、にくわえて、人口減少傾向ので、寺院の維持も難しく、難件も掛け持ち、寺院の維持と檀家の世話を行っていると云う。


「後継者がいなくなった寺を引き受けて、5つの寺の住職を掛け持ちし、お堂の手入れや檀家回りに奔走している僧侶もいます。ところが、信徒の少ない寺ではいくら頑張っても収入にならない。過労死寸前なのに収入は生活保護世帯並みという僧侶もいます」(東北地方のある住職)


こういう場所こそ全日本仏教会(全仏)が、助成するのが仏教者、仏の御心と思いきや、
ケアはしないが、宗派に納める上納金はあるという。


「檀家数や寺格などで金額が決まりますが、たとえばうちなら檀家が約40軒で上納金は年間50万円です。赤字の寺でも上納金は払わなければならず、宗派が貧乏な寺に金銭支援をすることは一切ありません。宗派に相談しても、宗教貴族がベンツで乗りつけて“う~ん、どうにもならないね”などと言って帰っていくだけです」
格差というより、もはや搾取構造だ。


「お坊さん便は、貧乏なお寺の僧侶の収入になるだけではなく、お寺と縁がなかった方に、きちんと法要を営み、教えを伝える機会になります。私の場合、同じ方から法要の依頼が来るようにもなりました。これも仏法を伝える一つの形ではないでしょうか」
(前出の近畿地方の住職)


こんな実情がありながら、全日本仏教会はお坊さん便に、異議を唱え米アマゾンに掲載中止を申し込んだそうだ。大乗仏教の風上にも置けない無慈悲さだ。
どの世界も、シルバースプーンを加えて産まれてきた、選民意識の連中が、中心にのさばって、他人は自分の為に働く者と思っている。


世界人権宣言第一条:すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。


世襲**が、既得特権をふりかざし、また特権の安定恒久化を目指しているのが、今の日本。根本的な改革が必要となってきている。



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