密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

教育と自衛隊体験

リテラの記事:稲田朋美自民党政調会長「でも、たとえば自衛隊に一時期、体験入学するとか、農業とか、そういう体験をすることはすごく重要だと思います」と発言。教育の一環として自衛隊の体験入学を男子・女子に限らず組み込むべきだと云う(農業とか?同じラインではないでしょう)。彼女らは戦後教育が日本を駄目にしたと言うが、敗戦後、教科書は民主主義教育ななったが,教育の現場では,体罰が行われ、部活でも根性論のしごきは普通。家庭でも”愛の鞭”と云う名の下で、両親のストレスが,暴力、暴言を呼ぶ状況が多く行われていた。明らかに軍国主義教育、理念の名残であり、自分たちの受けた有無を云わさぬ支配、暴力の連鎖であり、大戦時子供時代を過ごしたストレスーそれに引き換え、恵まれすぎている,甘やかされているという気持ちもあったのではないかと思う。最近の子供たちを見ていると,この連鎖がやっと薄まって来ていると感じる。多くの若い人たちが自発的に発言行動し、大人たちは彼らを認め彼らに学び,自らも変化しようとする行動をおこしている。


アメリカに来て感心した事は、大人の子供への接し方で、ほとんどの両親は子供に声を荒げる事がない。ぐずる,きかん気の子供に大しても、目線を同じにして,落ち着いた声で、言葉によって、話し合いをする。子供が納得するまで、決して感情的にならず、子供が感情的になっても、それは社会に通用しない、正しい態度ではないと諭す。謝ればキスをして抱きしめる。子供が泣きながら部屋に駆け込めば、時間を置いて部屋を訪ね二人の間の問題について話し合う。ノックをし、少し話していい?と聞いてから部屋に入る。時に、ママが攻防に疲れきっていたり怒っていたりする時はパパが交代,あるいはその逆もある。ただし,両親は一枚岩で決して子供の側につかない。親がカッとなって怒鳴ったり、叩いたりしてしまった場合は、子供に謝り,許しを請う。これがベイシックである。良く出来ている人も入れば、努力のいる人もいるだろうが、私のあった人たち−若いカップルも含め、全員がこの態度をとっている。日頃はくだけている(クレージーともいう)人も、子供といる時には、大人の威厳を感じる。子供の要求に妥協しない−うるさいから,可哀想だからと云う理由で、主張を変えたりしない,変えるのは子供が論理的に親を説得した時だけだ。ホームパーティーなどでも、子供はメインではないので、大人たちは自分たちの楽しみを優先,子供は我慢である。時には子供でグループを作り,庭や子供部屋で楽しむし、大人の会話に入りたければ”エクスキューズミー” ”メイ アイ トーク サムシング”と云って,注目を喚起する。それでもなかなか注目されないと、”ハロー アイ アム スピーキング イングリッシュ!!”と、ここまでくると、大人たちも苦笑いで”OK"と注目する。子供の頃から社会に受け入れられるための方法を学ぶ。


この方法は非常に実によく機能しているようだ。子供たちは論理的で,自分の主張を持っているし,それを伝えるすべを早くから構築している。「子供は口を出すな」「女はだまれ」「生意気を云うな」「子供のくせに」「女のくせに」「青二才のくせに」日本には、年齢、性別にたいしての、全く論理性のない有無を言わさぬ命令形の言葉はたくさんある。こういう言葉と,愛の鞭で鍛え上げられることが、いい教育なのだろうか?


息子さんが米海軍に就職した友人が、まず心配した事は、軍隊では最初に”自分の頭で考える”ことを放棄する教育を受けることだ。戦地で上官の命令にいちいち自分で考え吟味していたら,行動が送れ、自分自身と仲間の生死にかかわるからだ。自衛隊も軍隊だ。上記の教育としての自衛隊入隊は、自分の頭で考える事の放棄の訓練の勧めではないか。その他に,企業新人自衛隊研修ー体育会系人材確保などを政府が企業に提案を検討ということもあった。国立大学の人文科学系学部の廃止もしかり。現政権は国民の自立的思考の排除を計画している。加えて,教育の場での教師の政治的中立をもとめ、文部科学正副大臣に体育会系、対話より力の威嚇による飼育を是とする人物を据えている。教鞭をとる人たちも踏ん張り時である。子供たちに取って一番大事な事は、尊敬できる大人に出会うことだからだ。


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