密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

日本でのナチス礼賛の怪

とても不思議なのが,日本でナチスを肯定する発言を行っている人がいるということだ。アメリカであれば,それが政治家であれば、政治生命の終わりだろうし、企業主だったら,痛烈な不買運動,抗議運動にみまわれる。イスラエルとアメリカが、とか、ユダヤマネーがとか云う,下世話利害関係の問題でなく、ナチス肯定発言は、あの苦しみを味わった人たちとその子孫に対する人間として当然の配慮であり、心底の同情心であり、非道への怒りであるからだ。日本に対しては、ヒロシマ、ナガサキについての展覧会などがなされるごと、それが凄惨な悲劇であると云う展示内容に退役軍人協会右派が”戦争を終わらせた功績”などという主張することがある。詳しい年代は忘れたが、スミソニアンのディレクターは、原爆展の開催に職をかけて開催し、退役軍人協会の圧力で職を辞したと云う話を聞いた事がある。ナチス礼賛をしている人たちはこの退役軍人協会の主張をどう思うのだろうか。


私は恥ずかしい事に最近まで、ナチス=アウシュビッツ=ガス室虐殺という程度の理解しかできていかった。強制収容所は劣悪な環境で過酷な労働を強いる。役に立たなくなれば処理される(その他の非道な扱いも含めて)筆舌に尽くし難い扱いがなされた。しかし絶滅収容所というのは殺す為に収容する、この事を知らなかった。日本の通勤電車の状態の家畜用車両に詰め込まれ、飲食、座る事も出来ず3−4日も運ばれ(中には人に挟まれたまま絶命人もいた)たどり着いたところで、服をはぎ取られ,髪を切られ,ガス室への通路に何時間も並ばされ,殺され、まとめて廃棄される。人々を待ち構えている運命から欺くために、周りに花壇を作り、シャワーを浴びた後,労働して我慢していれば、いつか解放される、と信じ込ませる。最悪を予測したくない人々の一抹の希望につけ込む。こうして、列車が到着するたびに何台もの貨車に詰め込まれた人たちが,”処理”されつづけた。これは,”捏造”ではなく、関わった人物からの多方面の証言、物証、写真資料などが残されている、が,ドイツにもごく少数だが捏造だと云う人間がいるらしい。しかし、ドイツの社会は、現在まで、ナチスの戦争犯罪への裁きー自分たちの歴史への自己検証は続いている。


日本は政府主導で、歴史修正主義をご丁寧に,他国に新聞広告をだしたり、ユネスコへクレームをつけたり、着々と国際社会の不信感をかっている。アジア全域にわたる慰安婦問題,南京のみならず中国全土での略奪、強姦、虐殺。被害者に対して一抹の痛みでも感じるなら、ああした主張は出来ないと思う。最近NYCのカフェテリアで、腕に数字の入れ墨をした人をみた。強制収容所の生還者である。今の技術であれば消す事も出来るのだろうが、あえてその皮膚の上に消せない過去をとどめ続けている人たちがいる。それに引き換え、ナチス礼賛者の言動に見るあの無邪気さ軽さはなんなんだろう。温室社会が醸造した人間性の劣化に他ならない。


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