密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

日本は米国の属国ではない,しかし歴代政府は属国根性で対応して来た。


”宗主国・アメリカさま・アミテージ指令” まあ,一つの表現や,切り口として使う分にはいいのだけれど、天下の毎日新聞も,巨大なパワーを行使するアメリカに支配されて来た日本説を特集?とは。



ちょっと前、アミテージ氏が、日本で自分のレポートが指令書、日本をコントロールしていると云われている事を聞いて、『誰かをコントロールしようと思った事も、コントロールできた事もない』と驚き顔でインタビューに答えていた。この後に『もし誰かをコントロールできるなら私のワイフを一度だけでもコントロールしてみたいよ。』という典型的ジョークでも付け加えそうだった。これは,多くのアメリカ男性が、妻のユーモアを信じると前置きしつつ、言う冗談で、ちょっとアイロニカルな本音でもある。現代のアメリカでは、共和党員であれ,民主党員であれ,大統領であれ、どんなかたちであれ、社会的に認知されている人は、一番身近な妻をコントロールしよう、などと云う恐ろしい野望はもっていない。あるいは出来るなどと発言すれば、知性教養の欠如、最低の差別主義者扱いもやぶさかではない。 公に女性を物のように扱う唯一のアメリカ人男性はトンデモ・トランプぐらいだろう。



日本のように権力やお金,人間関係で,本当にその人を尊厳を屈服させると云う事は,アメリカではあり得ないし、だれもそういうことは望まない。パワーの勝ち負けはあっても、支配関係とは違う、交渉と契約の国。人々は社会の関係に置いてそれぞれの立場で一切のへりくだりをみせず、自分の立ち位置で生きている。個人の自由と尊厳、プライバシーの確立はたとえ親子でも暗黙にルールが守られている。





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たしかに、思いやり予算と云う,翻訳不可能な物をさし出され、開かれた扉なら,相手が閉ざさない限り、NOと云わない限り,自国の有利に交渉する。契約を有利に締結、維持する,これがアメリカ流であり、対等の交渉として認識しているのではないだろうか。
続報真相 「思いやり予算」増、なぜ? 「日本は米国の属国」説を考えるhttp://mainichi.jp/articles/20160115/dde/012/010/002000c
世界中の国と交渉し,日本よりもっとパワーがなく,貧困に喘ぐ国でさへ,自国への支援を有利な条件で交渉する為,アメリカを訪れる。どこの国もへりくだる必要はない、それがアメリカの理念だから。残念な事に、翁長知事が如何に立派な市民の代表であっても、一国の首相と対立する目的での訪問は、受け入れ方は難しい。関係の深い沖縄であれ、地方の首長は,その国の総理の頭越しに、大統領や,国務長官とはあえないし、アメリカは国と国との信頼関係とパイプを重視するので,内政に踏み込みすぎる事を憂慮するからだ(これもプライバシーの延長。自他の境がはっきりしている)


米軍駐留も、日本は基地の用地を提供、アメリカ軍は日本の防衛も行うという対等の契約で、本来はアメリカからの要求を,交渉しつつ相手に過剰に有利にならないようにおさえてゆくのが、基地提供国政府のスタンスであるべきだろう。もちろん軍−軍間のなにかがあるのかもしれないが、アメリカが筋の通らない要求をしたら、NOと云えば、相手はNOを前提に新たな交渉に入るだろう。感謝とか、お世話になっているかとか,思いやりとかは、無駄なサービスだ。




日本は属国なのではなくて、独自の属国暗示にかかっているのではないだろうか?ぜひ一度対米交渉を共産党の志位委員長に、お任せしてみてはいかがでしょう?


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