密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

ヘイトスピーチ抑止条例とシャルリー・エブドの風刺画


大阪市が国に先駆けて,ヘイトスピーチ条例を定めた。お維新の吉村新市長のもと共産と無所属会派,公明党のの賛成多数で可決。
http://mainichi.jp/articles/20160116/k00/00m/040/174000c
「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例案要綱(案)」(概要)
http://www.city.osaka.lg.jp/shimin/cmsfiles/contents/0000299/299848/youkouangaiyou.pdf
大阪条例なので、良い側面が多いと思うが、安倍政権下では一見良さそうな事も,眉につば、解釈範囲を常人の数倍の範囲で拡大しても悪用されないか注意の上にも注意しないといけない。


例えば条例案要綱より
1対象: ヘイトスピーチの対象は、人種又は民族に係る特定の属性を有する個人(安倍)又は当該個人の属する集団(安倍政権)に向けられたものとします。

2要件:ヘイトスピーチというための要件として、「社会からの排除等といった目的性(落選運動,反政府デモ)」、 「侮蔑・誹謗中傷といった態様面(極当たり前の政府批判、蓮池さんの最近の本)」及び「不特定多数の者が表現内容を知り得る といった対象者の不特定性(反安倍ブログ、ツイッター)」の3つの要件を設けます。

などの、いったいどの面下げて言うのか?と云うような事も言い出す。もちろんこの例は冗談ですが、『辺野古埋め立て、承認取り消し。 国、不服審査請求』の前例もあるし。安倍総理が言い出した時には要注意。でも、在特会のターゲットのなっていた人々は,少しは安心できるかも。


表現の自由はとても微妙なので、一元的に論じられないが、考えていかないといけない。
宜しかったら,前に記事;性の表現と禁忌 も読んでみてください。
http://artrino.muragon.com/entry/54.html
私は初歩的には,単純に『弱いものいじめは駄目』これにつきると思う。


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フランスの出版社シャルリー・エブド。本社へのテロ攻撃で犠牲者を出し,のちに『私はシャルリー Je suis Charlie』の合い言葉とともに,彼らへの支援が表明された。そして,今,彼らの新たな表現に非難が寄せられている。
http://www.cnn.co.jp/world/35076297.html


画面にはおびえて逃げ惑う2人の女性と、舌を出し、腕を伸ばしてそれを追いかける2人の男性が描かれている。添えられた文章は「アイラン坊やが大きくなったら何になっていただろう?」


これは,明らかに間違ったセンスの風刺。罪のない個人(公人でも,歴史上の人物でも、象徴的人物でもない)しかも,危険な国からの逃亡を余儀なくされ,その過程で子供を亡くした,その個人を,題材として取り上げている。風刺は弱い者をなぶって笑う物ではない。権力や社会情勢の大きな圧力、愚かなステレオタイプ、粛正、暴力の恐怖と戦う為の、皮肉と笑いの武器であるが故に,より意味がある。そういう意味で日本の先頃、難民写真無断偏向使用で話題になった漫画家さんの作品も間違ったセンスといえる。


前回の襲撃の原因になった作品もある人々にとっては、神聖で絶対的である存在を風刺した,しかし,これに暴力で報復がおこった事(あるいは暴力テロの口実に利用したかもしれないが)が間違えであり、風刺には風刺でやり返す,あるいは怒りの非暴力抗議デモも許されるだろう。同誌は日本のオリンピックを震災と福島原発にからめて風刺を掲載していた、これは私的にはOKで、”ふーん”であった。イラスト技術があれば、変形魚を出したフレンチレストランを描いて、客とギャルソン『これ福島』『いいえ、タヒチでございます』とでも,返したかったが。


攻撃の後、出版を続けて行く上で作家も編集者も精神的にも大変だっただろうとも思うが、抵抗、反論の手段を持たない社会的弱者をターゲットにして、なにが風刺。”Je suis Charlie”弱い者いじめは駄目!!


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