密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

天安門事件から30年 独裁政権のやることはどこも似ている

1989年6月4日、民主化を求める大学生を中心とした市民運動の鎮圧に、軍が容赦ない攻撃を加えたという報道に、大きな衝撃を受けたこを今も鮮明に覚えている。

有名な、軍の戦車に対峙する市民 通称「タンクマン」(1989年6月5日) ARTHUR TSANGーREUTERS


思えば、それまでの、テーマを個人の内面的に限定してきたことを、社会的要素をテーマとして取り上げる一連の制作を始めた最初のきっかけが、この事件だった。

風解というタイトルのエッチング。風解とは外界から守られていた鉱物が外界にさらされることにより崩壊する、という意味。若くてあまりにナイーブだったため、主題にダイレクトに向き合う強さがなかったのか、こうした、妙に示唆的な作品になった。まあ今でも、プロパガンダのための作品は好きではないけれど。


私事はさておき、ニューズウィークの記事を読んで、当時受けていた事件の”印象”は、悲劇の表層をなぞったものであり、その根底にも権力闘争、下克上を目論む抵抗勢力トップは民主化と言いながら、少数民族への差別を隠さなかったことや、中国共産党のその後の人民掌握、行政などが、嫌に現在の日本とかぶるので、是非読んでいただきたい。

<筆者が中国と決別した1989年、青年たちは北京の広場を目指した──。それから30年で膨張した中国に日米は手をこまねくばかり>


1989年3月末。筆者は中国から日本に留学するに当たり、北京空港で2つの決断をした。1つはたばこをやめること。もう1つは違和感ばかりが募る中国との関係を一切断つことだった。前者はうまくいったが、後者はなかなか絶縁できず、今も中国ウオッチは続いている。


日本に着いて間もなく、天安門広場に民主化を求める学生と市民が集まり始めた。彼らは民主と自由、人権擁護といった必要最低限の要求を中国共産党政権に請願したが、そのやり方は実に伝統的だった。請願書を党指導部に渡す際、ひざまずいたというのだ。独裁者に民主化の下賜を祈願しているかのような行動に、筆者は日本から応援しながら違和感が拭えなかった。


中国への違和感は既に、首都北京の外国語大学にいた1988年秋から肌で感じていた。大学で助手だった筆者は当時、後に民主化運動の指導者となる青年たちと民族問題を議論したことがある。欧米の民主制度に憧れる漢民族の青年たちは、内モンゴル出身の筆者のような他民族に対する蔑視を隠そうとしなかった。


「中国は既に少数民族を優遇している」「少数民族は漢民族よりあらゆる点で劣っており、民主化や人権制度について理解不能だろう」──。共産党が実施する民族政策で十分だと、「民主化の闘士」や「旗手」は公言してはばからなかった。


華やかさと悲惨とのずれ
1989年6月4日、民主化運動は人民解放軍の出動で容赦なく鎮圧された。犠牲者数にはいまだに論争があり、中国当局は死者319人と発表したが真相は闇の中だ。「反革命暴乱」「政治的風波」と政府が断定した後は、十数億もの国民を金儲けに駆り立てた。


それから30年たった今、世界は中国をどのように正しく位置付けるべきかを問われているように思う。


第1に中国は30年間、自国を実態以上に見せる技を駆使してきたと、中国に残って政府が用意したエリートコースを歩み続ける友人たちは口をそろえる。経済発展を示す各種統計はプラス成長にしなければ、官僚は出世できない。実際はマイナス成長でも「発展」に粉飾していれば安泰だ。そうしなければ、国家の発展を阻害する無能幹部として失脚する。


当局は実態を把握しているが、もはや粉飾を止められない。「発展」したはずの農村で、1人当たりの年収が1万円に達していない現状を筆者は近年、何度も目の当たりにしてきた。片や沿海部には世界レベルの金持ちも多い。この天文学的格差は共産党政権のアキレス腱だ。


第2に、年間十数万件の暴動が発生しても政権が安泰なのは、最先端の科学技術で国民を一人残らず監視しているからだ。中国共産党は建国以来、戸籍制度を悪用して世界有数の個人データベースを構築してきた。国家にとっての善悪を基準に国民を選別。日々の行動から思想まで把握し、干渉が可能となった。



ただ経済規模は水増しされているとはいえ、大きくなったこと自体は否定できない。その経済を支えているものに、チベットや内モンゴルから産出するレアアースや、ウイグルの土地に広がる地下資源がある。


既にチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世はインドに亡命し、モンゴル人エリートも文化大革命などでほとんど殺害された。今ではウイグル人を100万人単位で強制収容所に監禁。共産党は自由気ままに資源開発の名の下で略奪できる。


こうした華やかな中国イメージと悲惨な実態とのずれはどこから来ているのだろうか。中国政府は現状を全て「共産党の実績」「中華民族の偉大な復興」と誇っている。一方、日本やアメリカはいまだに「自由貿易体制に迎え入れたのが正しかったのか」「建設的関与とは何か」と議論するばかりだ。


そんな日米を「民主主義ほど時間を浪費する制度はない」と冷笑しながら、中国は自信満々で独自路線を歩んでいる。


共産主義を標榜する国で格差社会!?親族お友達優遇の利権箱物行政は、数年前上海を訪れた時、友人が怒りを込めて建築物を指差し教えてくれた。


今の日本とどこが違う?流石にマイノリティーを軍隊を使って強制収容所に押し込めたりはしていないが、民意を示す沖縄の人々を、強制的に排除、見えないように女性や老人に絞め技など危険な暴力を用いている。在日韓国・朝鮮の人々に対するヘイトスピーチ、特に朝鮮学校のしかも年端もいかない子供達に向かって大音量で威嚇する行為を行なっている。自分たちの民族的優位性を声高に叫び、他の民族を蔑む発言を行なっている。


”マイナス成長でも「発展」に粉飾”もまさに、安倍政権のお家芸と化しているし、国民の知る権利など、もうおおっぴらに無視、国会軽視も今や無視と言える状態に発展。


”戸籍制度を悪用して世界有数の個人データベースを構築してきた。国家にとっての善悪を基準に国民を選別” マイナンバー、監視カメラ、改ざん道徳教育、教員に対する国歌斉唱の口元チェック、国会議員が国民を生産性のある・ないで選別、政治家の透析患者排斥発言。


”中国政府は現状を全て「共産党の実績」「中華民族の偉大な復興」と誇っている。”
日本はどうだ?外交の失敗を跳躍外交で成功に転じ、大失敗のアベノミクスの恩恵が津々浦々に行き届いていると宣伝し、低賃金の非正規雇用ばかりを増やして、雇用率過去最高と謳う。それでも隠しきれないと見るや、オリンピック政治利用、改元政治利用、天皇即位政治利用。パンがなければサーカスで、お祭り騒ぎでごまかして選挙を乗り切ろうという姑息。それにまんまと乗っかる従順で、未だに平和ボケの日本国民。


これで中国が共産主義であるゆえにひどい、と思い込んでいる日本の人々は自らの環境に大いに鈍感になっていて、民主主義とは何かも忘れてしまっている。
共産主義であろうと、資本主義であろうと、独裁国家の様相は同じである。



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