密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

上から目線の頭でっかち企画、押し付け豊洲市場の不評 

やっぱり、である。なんでも小ぎれいに現代建築整備をして、画一的な都市開発を行うのが、利権優先の自民党系国政、都政の昨今の典型的なやり方。なんでもCool Japan臭がプンプンする。 前回の帰国で、Dさんと築地市場に行ってきた。市場というのは、どこでも、活気と混沌の中の秩序が魅力であるしそこをおとづれたい人はそれを味わいたくてやってくる。野外の空気や様々な匂い、人々の雑踏、掛け声。非常に独特で面白い空間だとDさんも大喜び。信じられないくらい狭い寿司屋(とても美味しかった)も語り草。


ゆりかもめの汐留駅近くのパークホテルのアートプロジェクトに参加してそこに滞在していたが、周囲は未来都市のような様相で綺麗で、樹木も配置された都市デザインにびっくりした。いつの間に、、という感じ。そこで長期間過ごして、綺麗で清潔な街並み、かっこいいレストランは値段もそこそこ味もそこそこなのだが、飽きてしまう。一番飽きのこなかったのが、新橋駅周辺に広がる、小さな食堂・飲み屋が密集するエリアだ。
活気というか熱気というか、仕事を終えて疲れているはずの人々が、ものすごいエネルギーを発し、飲み、食い、喋る、など醸し出す空気は、本当のCool Japanだ。
ここが開拓されてカッコいいビルに、全店写って、”サラリーマンの憩い・小さな共同体・食のテーマパーク”的なものにされたらがっかりだ。次回帰国時にそういうことが起こっていないことを祈るばかりだ。


豊洲には入ったことがないが、その情報や、写真で見ると、現代的に機能化された、しかしそれは、企画者から見た機能化であり、かっこよさであり、観光客が喜ぶだろう的机上論、その正体は、旧態然の箱物行政と、新体制の宣伝ビジネス利権による、生ものを扱う長い伝統の破壊だ。
現場知らずの行政の築地破壊 伝統の潮待ち茶屋の重大な役割 - 密接な関係にある他国から


現に、相次ぐターレーの事故 エレベーター事故、解消されない有害物質を含む地下水の染み出し、出現する黒い粉。使い勝手の悪さ、生臭さがこもる館内など。


観光客に焦点を当てたかのような設計も、盛り上がるのは日本のワイドショーで、電通的広告の誘導も、海外には通用しなかったようだ(当たり前だ)

オープンから半年以上経った豊洲市場。開場当初こそ外国人観光客が大挙していたが、ここ最近はチラホラとしか見かけなくなった。それもそのはず、複数の海外メディアが豊洲市場を酷評し始めているのだ。



 米国の水産業界専門ニュースサイト「SeafoodSource」は13日付で〈観光客の誘致に苦戦する豊洲市場〉との見出しを掲げ報道した。豊洲市場と築地場外市場の両方を訪れた上で両者を比較。〈豊洲市場への観光客はほとんどいなかった。(中略)しかし、築地場外は中国人や韓国人、マレーシア人、日本人の観光客で賑わっていた〉と築地場外に軍配を上げている。


■無味乾燥な「ビルの集合体」


 マグロの競りについても、〈旧築地市場は先着順で観賞することができた〉とする一方、〈豊洲市場では2週間前にオンラインや電話で予約しなければならない。(中略)これを利用する外国人はほとんどいない。大半の人は、建物2階の見学者通路の窓から眺めるが、これは活気ある競りを体感することができない〉と酷評。


英字ニュースサイト「Tokyo Daily News」も14日、〈豊洲市場が直面する困難〉との見出し。旧築地市場については〈訪問客は複数箇所から敷地内に出入りできた〉と評価したものの、豊洲市場については〈入り口に警備員が常駐している〉と閉鎖性を批判した上、〈ビルの集合体〉とまでこき下ろしているのだ。



 豊洲市場開場前、米国の女性シンガー・ソングライター、パティ・スミスは、ライブの壇上で「ノーモア・ホテル! ウィー・ウォント・フィッシュマーケット」と叫んでいた。外国人がいかに旧築地市場に魅力を感じていたかがよく分かる。無味乾燥な豊洲市場は、見放されてもしかたあるまい。市場問題に詳しい建築エコノミストの森山高至氏はこう言う。


「築地市場時代は、現場で仕事する業者と東京都の市場当局が、何とか観光客に臨場感を味わってもらえるよう、見学者の動線を管理していました。業者の仕事の邪魔にならないよう、ギリギリの調整をしていたのです。ところが、豊洲市場では業者と見学者の動線を明確に分断してしまった。『観光客はガラス越しに見学させればいい』という乱暴な設計になっているように見えます。これでは、外国人観光客が来なくなるのも当然でしょう」


 都は豊洲市場と周辺エリアの「にぎわい創出」事業を展開しているが、とても実現できそうにない。


NYの魚河岸フルトン市場(かつてはイーストリバー沿いにあり、独特の雰囲気を醸し出していたが移転。現在はマンハッタン北のブロンクス)跡地は、お定まりの観光客用モールに変わった。

かつてのフルトン魚市場。NYの魚市場はイタリア系が主流。今もブロンクスで営業中だが日本と違って夜中2時から5時(だいぶ前に調べたところによると)まで営業で、フルトンのように電車でも行かれないため、一般の人向きではないようだ。


旧ビルディング外見はそのままでレストランに

実はここで、毎年クリスマシ時期にサンタの衣装を着た人々が、クリスマスツリーを模した壇上でコーラスを行う。上の写真は、夜に始まるのでその準備に集まって着ているのだろう。まだ小さかった姪っ子を連れて行ったが、その寒さたるや、目を開けているのも痛くて大変、定期的に屋内に逃げ込みつつ、鑑賞した。サンタたちは立派なもので、寒さに立ち向かい美しいハーモニーを奏でた。いろんな意味ですごいなぁと感動した。

現在はフルトンストリートと呼ばれ観光客で賑わう。アメリカ人って、古い外観をかなり残す。綺麗に全部整備しない。雑多な部分、歴史、年代を感じる質感を大事にするところがいい。でも内容は小洒落なカフェとか土産物屋で溢れている。


パティ・スミスが、”ノーモア・ホテル! ウィー・ウォント・フィッシュマーケット”と嘆いた背景にフルトン市場移転とその後のチープな開発があるかもしれない。


どこもかしこも、同じ発想でどんどんCoolにいていく。その実本当にCoolなのは何かを熟考しない一面的な企画立案者。その目的は、為政者と広告宣伝者とゼネコンの税金山分け企画だ。


今に、日本津々浦々が、為政者とその周辺の”改革”で、辺野古の様に築地のように、そこで暮らす人々を無視して飲み込み、後に残るのは”Coolな改革”、民意を顧みない強権政権の”未来構想”の空疎で巨大な残骸だ。人々の血の通った営み、暖かい生活の匂いは消されてゆく。


No More Cool, We want a Warm Life.




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