密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

無神経五輪相+訳のわからんXX議連+七輪何が悪い?日本人の不寛容と不見識

ますます情けない国を世界発信してしまう日本。
リテラ記事には五輪至上主義の蔓延に対して、いくつかの問題をあげて、批判している。


 白血病という深刻な病を患った五輪水泳の池江璃花子選手に対し、 「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている。(早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい。リテラはこの部分を割愛、これもある種の印象操作、良くないよね、こういうの。)1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、下火にならないか心配している」
という酷く無神経な発言を五輪担当大臣が行った、という件。


 斎藤工主演、白石和彌監督のタッグで話題を集めている映画『麻雀放浪記2020』(4月5日公開)が、自由民主党の議員によるクレームで公開できなくなるかもしれないという話。これにおいて、ゴルフ議連に続き、高い報酬を税金からもらって何をやっているんだという、「頭脳スポーツとしての健全で安全な麻雀を推進する議員連盟」〜「麻雀議連」が発起人甘利明・岸田文雄氏 での試写でクレームが入った、という話。


 アリアナ・グランデ氏が「七輪」と彫ったタトゥーに対して日本人から容赦ない嘲笑を受けた件


に関しては、神経を疑う。これ以外に言葉はない。この言葉で最も傷ついたのは、池江璃花子選手であり、彼女のこれからの闘病に寄り添う家族や周囲の人たちだ。今まで一所懸命に励んできて夢の舞台にあと一歩というところで、病気が発覚、苦しい治療も予想される中、日本国益第一的な価値観のこういう言葉を、簡単に公に口にする人物が五輪担当相。またしてもあり得ない安倍政権。


 映画で描くディストピアを現実世界を気づつけるから上映するな、なんて言い出したら、まともな文化国家ではない。ましてディストピアと言ったって、五輪中止の設定、くらいでガタガタ騒ぐな。しかも、彼ら麻雀議連は、『麻雀が2022年の北京オリンピックの正式種目にすることを目指しているという。』これはさすがに冗談でしょう?もし本気ならそんな頭のイカれた人たちを議員にしておけない。オリンピックで、麻雀・チェス・オセロ・バックギャモン・双六も、となるとまず最初にエントリーは、ビリヤードじゃないか?冗談はさておき、こういうくだらない趣味的グループを作るのはいいが、そこで権力を行使したり、自分たちの嗜好の法制化を企てて、国会の審議時間を浪費し、与党議員のみならず野党議員の時間も浪費させ、税金の無駄遣いを生むのだから、わきまえて、こっそり趣味的に静かにしているべきだ。これは前に書いた、ゴルフ議連暗躍記事。
ゴルフ好きの議員、そこでの人間関係で仕事をしやすくしたい議員とその周辺のためにさ


アメリカでは漢字のタトゥーを良く見かける。日本人が読むと変な意味だな、と思うものもあるけれど、入れてしまった人に、自国文化を得意になって押し付け、それ変だよ、などという無神経なことはとても言えない。タトゥーは入れた人が思い入れ、気に入っていれば、それでいいのだ。 七輪は確かに、日本あるいは中国でも、土製調理器具をさすが、そのほかに中国の思想のSeven Chakra(7つのチャクラ)のことを、七輪・七輪光、というのだそうだ。これを、アリアナ・グランデさんに教えてあげたい。日本嫌いになっても、中国を好きになるかもしれない。この問題ついてニューズウィークの冷泉氏が日本人の不寛容というコラムを書いている。不寛容な日本人に寛容すぎる論ではあるが分析として一読の価値があります。



本当に悪質と思うのは、グランデさんは「七輪」の2文字の下に「指♡」という文字を追加しました。本人サイドとしては、「バーベキューグリルの七輪ではない」という主張をする意図だと思います。
ですが、炎上はさらに激しくなり「文化の盗用だ」とか、「日本語を日本のことをよく知らない人に使ってほしくない」といった批判もあったそうです。結果として、グランデさん本人は「日本に移住しようと思っていたが、日本語のレッスンをやめる」と宣言するに至ったそうです。』
こういう人は非文化的人々だと思う。文化とは何かにいろいろな議論があるが、『人類の理想を実現して行く、精神の活動』でもあるわけで、ケ*の穴の狭いことをごちゃごちゃ言っていること自体文化から遠すぎる。
姪っ子が小さいころ、Dさんにメリークリスマスって、英語でなんていうのって聞いて、と言われて、それは今でも語り草。英語文化の盗用?いえいえ、メリークリスマスは日本の中で日本なりの位置を気づている、”文化”になっている、それでいいのではないか。


日本人だって、英語の文字表記をかっこいいものとして使い、会話の中にもカタカナ英語が溢れている。その言葉をたった一つの意味で流通させていることで生まれる誤解も多々ある。ヨット(豪華な個人船舶・日本のヨットはセルボート)とかマンション(ロッフェラ家級の豪邸)のように過剰宣伝?過剰イメージアップ使っている。


前出の姪っ子Sが訪ねて来た時、バックプリントにHipPopNiggerと書かれていて、Dさんが出かける間際に気がついて、慌てて、服を変えさせたことがあった。


日本で、小さなの女の子が、”Love Child"というプリントのTシャツを着ていて、困惑したこともあった。”Love Child"は片親の子供という意味で、もちろんそれに誇りを持って着せているなら、それもいいけれど、多分違うと思う。


こうした、言葉の思い違いは、どこの国でもある。間違えを指摘するなら、相手の状況(タトゥーのようにすぐ消せないとか、身につけていると危険が及ぶ言葉とか)を考慮して、思いやりと謙虚さを持って、指摘するべきだろう(多少のことなら、微笑ましく見ておくのがよろしいかと)。滅多に持てない優越感でここぞとばかり騒ぐのは、箱入り島国民族の劣等感の表れで滑稽だ。


オリンピックのための一億火の玉・自己犠牲おもてなしの空気、読まなくていい。ただスポーツの祭典で興味のない人がいてもいい。


それにしも、映画、新)放麻雀浪記 見てみたい。


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