密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

これはちょっと許せない、老いと収穫期人生を軽視する小泉進次郎氏の認識

若いうちは、年をとるということを甘く見ている。だから、人生100年時代、なんてトンデモないスローガンを打ち出してしまう。


アメリカの老人たちは、日本と比べて、大変若々しく、エネルギッシュだ。待ちに待った引退後の人生を楽しむことにとても積極的だ。またそうした楽しい老後計画があるから一生懸命働ける。そんな彼らでも、90歳を超えると、膝などの故障が出る人が多くなる。膝の人工関節設置手術など、普通のことのように行われている。そして、95歳を超えると行動力が狭まり、動作もとても遅くなる。100歳を超えることは、アメリカでもハードルが高い。


本当の意味での老後がハーベスト(人生の収穫期)という認識のない、年をとるごとに過酷な扱いになる日本社会で一体どうやって人生100年を生きろというのか?


一般受けだけはいい、冷酷プリンス小泉進次郎氏のこの考えは、許せる限度を超えている。

厚労省の統計不正には、さすがに与党内からも厳しい意見が出ている。その急先鋒は毎度おなじみ、自民党の小泉進次郎厚労部会長だ。


「厚労省、目を覚ましてほしいというか、ちょっと危ないぞと」などと批判し、「解体的出直しの気持ちを持たないと社会保障改革はできない」と苦言を呈している。


 だが、進次郎氏が思い描く社会保障改革も、国民にとっては「ちょっと危ない」。なぜなら、それは国民に「死ぬまで働け」と強いる冷酷なものだからだ。年明けの「福島民友」に掲載されたインタビューを読むとハッキリ分かる。進次郎氏はこう話している。


■74歳まで現役で働け


<厚労部会長として社会保障改革に取り組めば取り組むほど、間違いなく「人生100年時代」は日本が世界にアピールしていける商品だという思いを強くしています>
商品?何を売る?意味がわからん。



<例えば「現役」の定義を18~74歳に変えます。今のままだと現役世代の割合は大きく減っていきますが、定義を変えれば30年先でも現役世代の割合はあまり変わりません>


 現役世代を増やすには定義を変えてしまえばいいとは、厚労省の統計不正と変わらない発想である。人生を「商品」と言ってしまうところにも、国民を労働力としてしか見ていない本心が透けて見えるが、インタビューの中で、進次郎氏は「死に方」についても不穏な発言をしている。


<父は動物や虫が好きで「ライオンを見てみろ。自分の力で食えなくなった時が死ぬ時だ。人間も同じ。だから自分の力で食べられる時までが寿命であり、それが一番幸せだ」と言っています> ライオンは腹を満たすために、狩をする。満たされればそれ以上狩をしない。自分の力で食べられないのは何も寿命に限った頃ではなく、自然環境、などで餓死することもある。そもそも彼らは、働きすぎたりしない。自分のため(子供のため)だけに必要最低限の狩をする。会社や社会に生かされて働く人間と一緒にすること自体、ミスデレクションだ。”自分の力で食べられる時までが寿命であり、それが一番幸せだ”これは、安楽死の議論であり、老後の幸福論の議論には当てはまらない。


<私も延命は嫌ですね。痛みは取ってほしいけど。さっき生き方改革と僕は言いましたが、生き方と終い方はセットなんですよね>
だから、安楽死と、老後設計を一緒にするな!!!


要するに、国民は74歳まで働いて税金も年金保険料も納め、自分の力で食えなくなったら延命治療を施すことなく死んでいく。そういう未来図を夢想しているわけだ。


「国民人気が高い進次郎議員ですが、その実態は、弱者に冷たい新自由主義の申し子です。根っこの思想は安倍首相と変わらない。進次郎議員の政権批判はいつもポーズだけで、結局は政権維持に協力してきました。国民はパフォーマンスにだまされてはいけません」(政治評論家・本澤二郎氏)


 自民党政権が続くかぎり、国民は搾り取られる一方だ。


小泉進次郎氏のような政治家が勘違いしているのは、人間は何のために働くのか?という定義が、”人の役に立つため”というただ一つの価値観に集約されているためだ。
彼らのように、人を押しのけ、参謀術数を駆使して勝ち残り、権力を手にして、人を従え、普通の人間では動かせないお金を動かす、快感だろう、だから力を失ったら死ぬ。
現役で無くなったら死ぬ、という発想も、貧しい発想だが頷ける。しかしそれを全国民に押し付けるな。


人間は、自分の個人の生きる時間を、切り売りして、生きていくためのお金を稼ぐ。それでも頑張れるのは、その頑張った人生の収穫期に、今まで我慢してできなかったこと、やってみたかったことを、自由にしていい時間と、それを支えるお金を得られるからだ。


人に求められる喜び、賞賛される快感、やりがいと達成感、そういうことも人生の意義ではあるだろうけれど、どんな人間も、求められ続け、賞賛され続けることはできない。
人のため社会のために働いた後は、自分のために時間を使う、小さくても、自分だけのやりがい、自分だけの達成感、自分へのご褒美の時間、そこに価値観の合う友人、パートナーがいればより幸せだ、長年連れ添った人、新しい恋、それもありだ。それが老後だ。 
進次郎氏お望みの”死に方”は、その先で本人あるいは家族により選択されるものだ。


だいたい、老後という言葉にも、日本の老いに対するネガティブさ、役立たず感が現れている。ワタクシはアメリカのHarvest(収穫期)という表現が好きだ。
社会の価値観からRetireし、自分価値観で生きる、それぞれの人生の収穫を楽しむ、それを支えるのが年金だ。その時間がないのなら、なんで自分をすり減らし、働かなくてはならない。


日々食うためだけに必死に働く、そこに将来の展望も、もちろんHarvestの夢もない。灼熱の地を飢餓を抱えた徘徊するライオンは、年齢を待たずに倒れる。100年なんてとんでもない。


だいたい人生100年を標榜しているのに、本人は安楽死願望。スタイリッシュなお坊ちゃんのイメージのようには、人生そう綺麗には終われない。


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