密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

 大人への通過儀礼としてのハーロウィン

樹々が赤や黄色に色づき、家々には、骸骨や蜘蛛の巣の装飾、明日はハーロウィンだ。
残念ながら、展覧会準備のため、31日はフロリダに移動しなければならない。毎年やってくる可愛いトリック&トリーター(お菓子をもらいに来る子供達はそう呼ばれている)にお菓子を配ることができない。


ハーロウィンは、家族で屋内に集まるサンクスギビング・クリスマスと違って、地域の人たちとのコミュニケションで成り立っている、みんなの特別な楽しみだ。あまり夜外に出る機会のないアメリカの子供達は夜の徘徊も楽しみだし、若いパパママも仮装を便乗。昔を懐かしむ。


子供たちはある時期、ハーロウィンを卒業する。年齢が決まっているわけではなく、また両親や学校に言われるでもなく、自分から申告する。「もう小さな子じゃないから、ことしから、トリックorトリーターにはならない」と、言いだす子供たちの申し出を、両親は感慨を持って聞く。10代の子達の中にはトリックorトリートはせずに、友達同士で馬鹿騒ぎすることもある(主に、卵を投げつけるいたずら、泡スプレーを掛け合って騒ぐが定番で、もしお酒を飲んで騒いだり、子供達の楽しみの邪魔、近所迷惑になるようなら警官が取り締まる。)卒業しても、名残惜しさが残っているのだろう、しかし、いたずらも定番の域を出ない可愛いものだ。


そして家庭を持ち、子供達をトリックorトリートに連れて行くとき、また人生のステップを感じる。子供がいなくなり(うちは元からいないが)訪れる子供達にお菓子を配るとき、スーパーヒーローや妖精のお姫様になってとても嬉しそうな子供の笑顔を守ってあげたい気持ちが湧き上がる。


ハーロウィンは成長・成熟の日でもある。そしてその主役は子供達である。大人同士の仮装パーティーもするが、あくまで主役は可愛いトリックorトリーターであり、彼らを喜ばせたい大人たちである。(大人たちには、ルネッサンスフェアーやコミコンなどがあるからね)


日本は、常に外国の風習を独自のものに変えて楽しんできた。クリスマスは、男女のロマンスの夜になり、デートやプロポーズの機会でもある。アメリカは家族が集まり食事をし、その家の歴史の木であるクリスマスツリー(デコレーションに、思い出をプラスして年々飾りが増える)の下に山盛りのプレゼントの箱が積み上がる。そして翌朝一斉に開ける。バレンタインは、日本とは逆に、男性が女性にチョコをプレゼントする。


別にアレンジはいいと思う。クリスマスツリーやライティングはロマンチックでもある。
しかし、ハーロウィンの不評はどうだ。今年は渋谷で若者が暴徒化したという。


ハーロウィンは子供達をワクワクさせる日であって、いたずらをしてはいけない年齢の人々のいたずらを無礼講で許す、そんな日ではないのだ。
トリック(暴挙)に走れば、トリート(逮捕)を受けるのが大人のルールだ。


多分、住宅地とかでは、子供中心のトリックorトリートが行われていているのだろう。(日本だと配るお菓子の評価がされそうだけど、、)
だから、渋谷・六本木は特殊なケースと思うが、こうした羽目の外し方をする全ての人が、成人式や花火大会で華麗な逮捕歴をもつ”やんちゃ者”ばかりというわけではないだろう。彼らが暴走し、仕掛ける過剰なトリックは、どんなトリートで収めることができるのだろう。安定した経済、将来の展望、安心できる人間関係。若者たちが向かう殺伐とした攻撃性は不寛容な社会に向けられた悲鳴であるかもしれない。


とにかく現実的には、こうした荒れる地域は、ハーロウィンをもっと祭化し、マンハッタンのように参加型パレードを実施いてもいいと思う。”木更津キャッツアイ”で有名?になった”やっさいもっさい”もグループ参加に地元ヤンキーグループが参加し一部大人が眉を顰ませたが、彼らは自主的に参加し、独特の美意識で練り歩き、”やっさいもっさい、オッサ!オッサ!!”と掛け声をかけている姿は、微笑ましくもあった。無軌道に暴れるなら、パレードでいかに目立つか、素晴らしいイメージを展開するかに夢中になったほうがいい。


中止と規制だけが解決の道ではないと思う。



PVアクセスランキング にほんブログ村

ランキングに参加しています。
宜しかったら、両方をクリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ