密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

万引き家族をChatham映画祭で観た。

やっと念願の万引き家族を見ることができた。いつも外国のいい作品を上映していた、マンハッタンの映画館が閉館し(そこで是枝監督の”誰も知らない”も見た)、映画館で見るのは難しいかな?と諦めていたが、Beaconからさらに北に一時間ほどの小さな古い町Chathamで毎年模様されるFilmColumbia映画祭で上映されることを知った。Chathamはかつて鉄道で栄えた町で、古い映画館を復興したことをきっかけに9日間、一日3−4本の映画が二箇所で、上映される。ハリウッド的エンターテイメントではなく、ズシンと心に響く主題の作品が主だ。今までノーマークだったので、来年は数日滞在で来てみようかとDさんと話し合った。(レバノンの子供が両親を、自分を生んだ罪で訴える、というストーリーや、中国のゲイの男性のドキュメンタリーなど、見たいものもいくつかあった。)

万引き家族(Shoplifters)は、パルム・ドール賞受賞の評判も手伝ってか、400席ほどのシアターが満席だった。日本人はおろかアジア系はワタクシのみ。60歳以上の人がほとんどで、映画好きの人々の知的ハーベストを提供している。多くの人がこの小さな街に数日滞在し海外の珠玉作を楽しむ。


万引き家族は評判に違わず、素晴らしい作品だった。前知識のない人、日本を良く知らない人も多かったと思うが、終了後に観客から大きな拍手が起こった。


まるで昭和初期のような貧しく雑多な暮らしぶり、しかしそれは、”三丁目の夕日”とは全く異なった、行き場を失った人々の生き残るための葛藤と疼き、寄り添いが描かれていた。そしてそれは今の日本の現実でもある、斜陽の国の風景なのだろう。


ごくごく人間らしい人々が、何らかの理由で社会の底辺に押し流され、小さな岸辺に引っかかって共に生活した物語。敗戦後と高度成長前夜の高揚感や目標や希望とはかけ離れているその生活をつないでいるのは、原型的な人間らしい”家族ー人間同士”の関わりと慈しみで、その鮮烈さに胸を打たれた。登場人物がリアリティーを持って、それぞれの理不尽を抱えながら、強い存在感を示していたことが、人間に絶望しない強い光のように見えた。


しかし、こうして、押し出され、押し流されてしまう人々を生み出す現代の日本のリアルであり、その現状にやりきれない思いもした。


規格外のものを締め出す日本。社会に対する一方向の生産性で人間を図る日本。強者の論理が跋扈し、弱者を自己責任で恫喝する日本。そんな社会の行き着く先は、一定の価値観で他人を排除する、平板で無機的な生産性だけの社会になるだろう。我々は、その中にどのような幸福を見出せるのだろうか。


PVアクセスランキング にほんブログ村

ランキングに参加しています。
宜しかったら、両方をクリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ