密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

星の王子様異聞 **の政治利用はダメという自己愛過剰の抗議

ソニーがらみの、バオバブ販売の記事が出た時に、そして、件のプラントハンター氏が、星の王子様の挿絵に挿入された箱を見て、イヤ〜な感じがした。


個人的なイラッとする嫌悪感だった。星の王子様に特別な思いを抱いている人は日本でもかなり多いはず。故郷に愛するバラを残し、内省的に旅をする、”星の王子様”は、無垢な子供の象徴として、大人のグロテスクな世界を見つめる。


もちろんそのグロテスクな大人の一人として、ノリで大切なものをいじってしまうプラントハンター氏の登場と理解して我慢すればいいのか? 表現の自由?経済活動の自由?
言葉の上っ面を撫で、成熟した文明国家の不文律を失っている。


日本は目に見えない大切ものを大事にしない国になってきている。作品は、その表現が立ち上がるまでの背景や作者の心、語られたこと、あえて語られないことへの感受性が大切で、研究者の研究によってより理解を深め、作者の思いは尊重される。今回のことは、著作権が切れた、と言って新手の商売で、著者の尊厳と、読者の思いを、踏み荒す、そんな行為に見える。


また、貴重な植物を、無理やり動かして、その場だけのお祭り騒ぎに使ってしまう暴力的なデリカシーのなさは、クリスマスツリーの件にも通じる。そもそも、日本の住宅で育てられる代物ではない。飽きたらボイのいつもの流行アイテムになる。1000年の寿命なのだから、どうやって大切にし続けるのか?しかも絶滅危惧種。

手に取るな、やはり野に置け蓮華草、、、
そう思っていたら、なんと販売中止になったようだ。

以前からこのプランツハンター氏の胡散臭さに怒っていた田中ヤッシー氏。やっぱりこの件を取り上げていました。



8月13日 Vol.371 『ニャンと「大企業に優しい」J-CASTニュースにも見放されてしまった #銀座ソニーパークださい 🚀騒動が映し出す「企業倫理」 YouTubeでも解説Part1』


作品は発表された時点で、受け取る側に渡される。だから、みんなが自分の星の王子様を持っていていい。作者のサンテグジュペリも、容認するだろう。でも、概ね作者の思いは通じるものだ。そのためにリテラシーが必要で、それが壊されれば、みんながみんな自己都合で勝手に解釈し、単に芸術・文学の安易な私物化が蔓延する。


子供時代の一番古い記憶の絵が、象を飲み込んだウワバミ、と羊の入った箱、ガラスケースのバラ、そして、王子様の星を凌駕するバオバブだった。アーチストになった人で、子供時代、彼のイラストに魅了されたアートの扉を叩いた人は少なくないだろう。作者の思いは、静かに受け継がれてゆく。


星の王子様異説と日本ウィキペディアに乗せられている説は、アメリカでは定説である。また解説を読まなくても、そうだろうなと納得できるのだが、なぜか、純然とファンタジーだと反発する人がいるのが驚きだ。
「星の王子さまはとてもファンタジーな本」という位置づけに対して、異説が主張されている。日本でその嚆矢となったのは、塚崎幹夫の「星の王子さまの世界〜読み方くらべへの招待」(中公新書)である。


この説によると本書は、「ヨーロッパで戦争に巻き込まれて辛い思いをしている人々への勇気づけの書」であるとされている。この観点から読み解けば、エピソードの多くは具体的な背景を持つ。以下に3つほど例示する。
3本のバオバブの木を放置しておいたために破滅した星
ドイツ・イタリア・日本の枢軸側の3国に適切な対応をしなかったため、第二次世界大戦を引き起こした国際社会。
自分の体面を保つために汲々としている王
このエピソードは、王が王子を大使に任命して終わっている。サン=テグジュペリ自身も、フランス国外に脱出したあと、フランス・ヴィシー政府(ドイツによるフランス攻撃でフランスが劣勢になった後に作られた「枢軸国寄り」と評されることも多い、妥協的な政府)から文化大使に任命されている。


501622731
5億162万2731という妙に直截な数字は、第二次世界大戦を引き起こした国民の合計になる[要出典]。そのまえの数字の足し算は、第二次大戦に加担した人間が増えるさまを克明に記録している。その数字に対してわざわざ「私はこまかいんだ!(大久保訳)」という台詞を附しているのも、この戦争に巻き込んだ全ての国に対する憎悪があるといわれる。
こういった理由から、本書については、「ファンタジーの衣をまとってはいるが、極めて政治的な告発のために執筆が試みられた可能性」を含む指摘がある。この説は、「ファンタジーである」とする説と両立するものであるようにも思われ、「ファンタジー説」を攻撃的に批判するような形態はとっていないようにも思える。しかし、ファンタジー派からはいまだ強い反感を抱かれている。(by wiki)


この記述では、まるで300を超える翻訳国でそういう議論があるともとれるが、多分こういうことを言っているのは日本だけだろう。


なぜかというと、こうした作家の背景の考察は、作家研究の分野で通常行われているし、日本にもそういう分野はある。作者の背景を知り分析することも、重要な学問の一分野だ。そうしたことを含めて、星の王子様が単に子供の本にとどまらず多くの人に読み継がれている理由でもある。


第二次大戦中にアメリカに渡ったサンテグジュペリ、一つの目的は文章や詩、社会活動で、アメリカの参戦を即するためだったと本人も語っている。反戦と政治的活動を行なってきたひとであった。この物語の多くの登場人物にはモデルがあり、社会状況の反映があり、個人の生活の思いも込められたいた。バラのモデルである夫人の祖国であるエルサルバドルは火山の多い。王子様の小さな星の環境にも反映されている。


大人であるサンテグジュペリが書いた世界に、政治的社会情勢的メタファーが含まれていないと思う方がおかしい。


アニメ・漫画・コミックであふれている日本。それはそれで素晴らしい作品も多々あるし、歴史的事実に想を得て、作品化ているものに、よく調べていて、着想も面白いものがあって感心する。ただ、読み手がそのオリジナルソースを知ろうとせず、漫画をオリジナルと信じる、史実を漫画作家のファンタジーの産物だと信じてしまう読者が出現し、ハンサム文豪小林多喜二に思い入れ、共産党に多喜二の政治利用許さない!!と抗議するという、漫画的表現で言えば、ひたいに縦線汗の状態が起こる。


自分が感じた世界だけを守り、現実を否定する最近の傾向が極端になっている日本を危惧する(国民はトップに似る)。自分の世界を守るのはいいが、だが自分の無知を知らず、相手を非難するのは、愚かが過ぎる。文学もアートも音楽も作者の知的葛藤と心のひだ、人生経験の産物である。その作品に触れることで、自身の内面との響きあいで共感することから始まり、世界観を広げる手助けとなる。他人に共感し、想像する力が養われ、抽象的思考ができるようになる。学校の授業で、漫画・コミックのルーツを探れという逆走で行うのも子供たちの興味を喚起し、認識の誤解や迷妄をなくすことができるのではないかと思う。とにかく、作品分析研究は、大切な分野だ。


安倍晋三総理は、きっと読書はしないだろう。自分の政治家としての根幹の主張に最も必要な条文も、つまびらかに読んでいないのだから。無知を認識せず自分の幼いファンタジーを大声で主張する。そこに何の疑いも恥ずかしさもない。だから、目に見える、すぐに役に立つものだけに価値を見出す。そんな浅薄な人間が教育に口を出し、文学、哲学、芸術を軽んじ排除する。あとに残るのは、意外性と面白さだけを売りにするお手軽なチャッチコピー的創作物と、それを喜びありがたがる、無思考で隷属になれた、扱いやすい国民だ。
こういう時こそ、もう一度 ”星の王子様” を一人静かに読み返したい。

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