密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

「義務を果たせば権利を主張できる」という勘違い.小林節先生に拍手

自民党議員の問題は、まず人権ということを理解していないことだ。彼らは、人権をGive and Takeのものだと考えている。だから、「子供産まない=生産性がない」 とか、「国民に主権があるのが間違っている」とか、「国民の生活が第一なんて政治は間違ってる」とか、「子供を産まないのは身勝手」とか、そんなことを平気で宣う。


しかも、彼らは、政府を上に置いてGiveする側だと思っている。国が国民を養っている、世話をしてやっているのだから、あるいは国を代表する大企業が養ってやっているんだから、文句を言わず、税金を納め、国のために子供を産み、国のために勉強し、国のためになることにやりがいを持ち、国と会社に感謝して滅私奉公、権利の主張は身勝手で反日、自分のことと家族のことは自分でしろ、国を頼るな、というような考えを、本気で、正しく、当然のことだと思っている。


知る権利など主張しても、どうせわかりゃはしないんだから、バカは、黙って従っていろ。説明責任などと、生意気なこと言わず、自分の足元だけ見ていれば、政府がいいようにやるんだから、ぐずぐずいうな、と常に言っているに等しい、ここ数年の彼らの、あからさまな言動。


大戦下の恐怖政治と国民玉砕を主導し、敗戦もひどい状況まで引っ張って、大きな犠牲を出した、軍国主義独裁の恐怖から解放され、その反省の上に立った、戦後民主主義教育を受けて育った者の中から、こうしたメチャクチャなことを言い出す人間が現れ、そうした人間が国を席巻していることが未だに信じられない。
子供ごごろに、誇らしく信じた、”平和の歌を口ずさみながら、大人になり、歌い続ける”のではなかったのか? そのために知恵を尽くす大人になるのではなかったのか?


若者が安倍支持が多いというのも、自分の権利を主張することが、身勝手・醜い。論理的整合生が煩わしい、イメージ優先という、ある意味日本人的な民主主義以前の価値観を時間をかけて若者に浸透させてきた者がいる。2000年以降、自民党の国粋主義的な動きが表面化し、ばかばかしい”日本すごいモード”という全体主義に自己肯定を重ねる風潮を作り出した。アニメ的軍国ロマンの言葉を、歴史を知らずかっこいいと使い、ヒロイズムを刺激する言葉や物語で、簡単に単純に高揚し陶酔する、なんとなくそういう若者の構図が見える。素直ないい子達なんだろう。権威のある人間の言葉を鵜呑みにし、自分も同調することで安心するような。アニメと現実を混同するような。


こういうご時世に、小林節氏のこの明確な正論niは、胸がすく思い。



義務を果たせば権利を主張できる」という勘違い 2018年8月4日


自民党の若手参院議員が「(憲法上の)義務(勤労、納税、子女教育)を果たせば権利(人権)を主張して良い」と発言した。


 それで行くと、失業者で子供のいない者は、参政権、表現の自由、信教の自由、学問の自由、婚姻の自由、職業選択の自由、生存権(生活保護受給権)、不当逮捕からの自由等の人権を行使できないことになる。要するに、「死ね!」と言われているに等しい。


 しかし、「人権」とは、そもそも「人間」として生まれたそれだけの理由で先天的に与えられたもので、その中核にある価値は「個人の尊厳」である。つまり、人は、単に「人間であるから尊い」のであり、国家に対する義務を果たしたから尊いのではない。


 その上で、誰でも、自分が正しいと思う投票行動を行い、自分らしく表現し、自分の好みに従い信心し、自分が選んだ対象と手段で科学し、自分の心に従い結婚するorしない自由を享受し、自己実現の手段として職業を選び、運悪く経済的弱者になってしまった場合には再起に向けて国から生活保護を受ける資格があり、国家権力により冤罪に追い込まれない自由等が保障されている。
 

その上で、それぞれ、働くことができて経済的余力が出たら納税の義務を果たし、結婚し子づくりを選択した場合にはその子を教育する義務を履行する。


 ここで重要な点は、勤労の意欲があっても失業した場合は仕方ないことで、結婚と子づくりは各人の自由でそれは国家から強制されないということである。その結果、子を成さなかった者には子女教育の義務は具体化しないのである。


 このような憲法のイロハ(人権の本質)も理解していない者が政権党の国会議員であることは、わが国の政治の劣化を象徴する事実であろう。


 そして、その愚かな発言が非難されると即座に「誤解」だと言って釈明する。これもいつものパターンである。


 しかし、これは断じて「誤解」ではない。その者が自ら天下に無知をさらして、それが正当に批判されただけのことである。恥知らずとは、そのような者を言う。


ワタクシドモは、子供を持たなくても、School Taxを払っているし、ウチのコーナーは、10年もはスクールバスの待ち合わせ場所にもなっていた(ゴミを落とすは、ヤードを突っ切るは、結構煩わしいかったんだけど、、それが大人としての社会への貢献+義務)日本だってそうだろう。LGBTじゃないから彼らの支援のために税金を使うことに反対するなんてことを言い出したら、共同体を形成している社会の基本理念が成り立たない。LGBTの人たちも税金を払っている。再分配を受ける権利は当然ある。


もう一度この言葉を噛み締めよう。
人間は「人間であるから尊い」のであり、国家に対する義務を果たしたから尊いのではない。


認識の狂った恥知らずの人間たちの大声を、鵜呑みにして、唯々諾々と従っていてはいけない。自分の人生は一度だけ、全ての人には、自らの幸福を模索し一生懸命生きる権利がある。公共性との両立を盾に、権利の主張を身勝手とすり替える政府の論法は、悪辣である。全体のためだと自己犠牲をしいられる社会の再現を許してはいけない。


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