密接な関係にある他国から

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オーム死刑囚大量執行で考えさせられる死刑制度

私は今まで、死刑制度存続・廃止について特に意見をもたずに来た。
もちろん、思想犯・政治犯などに対しては、時の権力よる抹殺のツールになり得る死刑制度。加害者の改心と被害者遺族の感情、中にはあまりにひどすぎる、同情を寄せる余地のない犯行もあり、加害者に直接接する機会のない人間にとっては、死をもって償わせるが妥当、とも思えてしまうケースもある。


国により生存権を奪われる刑罰というのは、なるほど恐ろしい。特に今回のように、一気に大掃除的な大量執行、何かから注目をそらす政府の方策とも見える執行があると、考えさせられる。


オームに関わって来た滝本弁護士の、ブログ(記事)を読んだ。人と、その罪に向き合う姿勢とはこういうことなのか、と、大きく心を動かされた。



オウム真理教の一連の事件で、法務省は元幹部6人に対する死刑を7月26日に執行した。教団元代表の麻原彰晃(本名:松本智津夫)元死刑囚ら7人は7月6日に刑が執行されている。1995年の強制捜査から23年あまりを経て、13人の死刑囚全員の刑が執行されたことになる。


麻原元死刑囚の四女の代理人でもある滝本太郎弁護士が、26日午前、自身のブログで心境を綴った。


長くオウム事件の被害者支援などに携わってきた滝本弁護士は、自身もオウムから命を狙われた経験がある。



滝本弁護士はブログで「勿論、それぞれ重い罪を犯したのだが、歴史に残る残虐な死刑執行になってしまった」と記し、6人の死刑囚それぞれについて言及した。


特に林泰男死刑囚については「少しは悪い奴であってほしかったが、面談すれば地裁判決文が言う通りだった」として、林死刑囚に対して2000年6月29日に東京地裁(木村烈裁判長)が言い渡した判決文の一文を紹介した。


「麻原および教団とのかかわりを捨象して、被告人を一個の人間としてみるかぎり、被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」
滝本弁護士は「(麻原元死刑囚以外の)他の12人は、私を殺そうとした人を含めて手足にされていたのだから。手足を死刑にしてどうするんだ、と」「麻原彰晃が、更に道連れにしていったな、という印象を持ちます」などと記している。


*注:東京地裁の林死刑囚への判決について


東京地裁は林死刑囚への死刑判決のうち、量刑理由で「松本被告に対する疑問と恐怖の念を抱きつつも、あえて思考を停止させて(地下鉄サリン事件で)散布役を担い、実行後も証拠隠滅工作で具体的な提案をするなど、役割は積極的だった」と指摘。他の散布役より1袋多い3袋のサリン袋を思い切り何度も突き刺したことを「冷静で忠実に実行している」とした。


また、地下鉄サリン事件後に発生した新宿青酸ガス事件(95年5月5日)後、約1年半にわたって逃亡したことを「再度凶悪なテロが敢行されるのではないかという強い恐怖や不安を与え続けた」と厳しく非難した。


一方で、「松本被告に利用された側面も否定できない」「逮捕後は良心を取り戻し、一連の事件の審理に寄与している」「林被告は元来凶暴、凶悪な性格ではない。魚屋を営む友人が病み上がりの体で商売する姿を見かねて自分の仕事を犠牲にして手伝ったこともあり、善良な性格を見て取れる」など、十分酌むべき事情として挙げたが、最後は死刑を言い渡した。


参考:「林泰男被告に死刑判決 地下鉄サリン事件で東京地裁」「オウム真理教元幹部・林泰男被告の判決理由 東京地裁<要旨>」(朝日新聞2000年06月30日朝刊)
滝本弁護士のコメント全文(原文ママ)は以下の通り。


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「残る6人の死刑執行と刑務官」
やはり今日、更なる死刑執行になってしまっている。


7月6日からの20日間、6人の精神状態はいかばかりだったか。


勿論、それぞれ重い罪を犯したのだが、


歴史に残る残虐な死刑執行になってしまった。


「大臣」などではなかった残っていた6人、執行せずに来年を迎える選択肢もあったのに。


林康男は、少しは悪い奴であってほしかったが、面談すれば地裁判決文が言う通りだった。死刑判決の中にこの文脈、異例中の異例です。


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「麻原および教団とのかかわりを捨象して、被告人を一個の人間としてみるかぎり、被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。およそ師を誤まるほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」と述べている。
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なぜ3つの袋をもらったのか、なぜ何度も突いたか、本人も正確には分からなかっただろう。


日々、肩に重い荷がかかる、言葉を出すことが申し訳ないように言っていた豊田亨


横山真人は、直接には一人も殺さなかったのに。取調官の稚拙さで、頑なになってしまっていたままだった。


端本悟は、坂本事件の後の1990年、弁護士や家族らでの行動にて、富士山総本部前で会えた。彼は何度か実家の近くにまで戻ってきていたという。麻原により、ルビコンの川を渡らされていた。


正確に話すことがともかく償いの一歩、自分のすべきことだと考えて、努力し続けていた広瀬健一、その学生あてメッセージがある。


調査して、1991年、一人であった佐伯一明、あの時正直に話してくれればよかったものを。幼い頃を思い出した哀しい絵が手元にある。


オウム事件では、本来、松本死刑囚一人の死刑だけで必要十分だった。


他の12人は、私を殺そうとした人を含めて手足にされていたのだから。


手足を死刑にしてどうするんだ、と。


松本智津夫の死刑を執行して、時を経過させ、12人がどう話していくか、知りたかった。


「麻原彰晃」が、更に道連れにしていったな、という印象を持ちます。


一人ひとりの顔


そして覚えている刑務官の顔が浮かぶ


こうした方の思いを聞くと、死刑制度は廃止すべき、と迷いなく言えるほど冷静で偏りがなく臨める自分でありたい思うのだが、未だに無明なものも抱えている。
せめて、再審請求中の被告への刑の執行はするべきではない、これは確かにそう思う。
加害者で、自らの行いについて、被害者関係者や、社会の発する”なぜ”に答えようという資質のあるもの、のちに資質が発現した者は、この”なぜ”に答える努力と機会を与えるべきではないか?とも考えた。冤罪を訴える人に死刑を執行すべきではないとも思う。


どうも何かの政権の事情や策謀で一気に済ませた感のある今回の大量執行(かつ前夜の酒盛りという醜悪さも相まって)は、再審請求中のものも含まれていた。この強引とも取れる拙速さは、安倍政権のキャラクターを反映している。こうしたトップが牛耳る国という権力が行った殺人という色合いを人々に与えたことは確かだ。

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