密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

人間はチンパンジーに戻れない 人間用性交渉の同意についてのイギリス式講習

これも一種のご飯論法だ。人間とチンパンジーの違いは歴然とあるのに、性的行動のみを同一線上にあげ、男性の一方的性的志向を自然の摂理として肯定。戦時下暴力も正当化。

レイプやセクハラは、「繁殖行動の延長」より、支配欲求・征服欲求によるものだと言える。アメリカの刑務所では男性によるレイプが周知の事実だが、これは、マッチョな同性愛者(暴力による性交渉を望むゲイはほとんどいない思うが)が多数入所しているわけではなく、ストレートの男性が行うもので男性社会の支配構造の最も顕著な現れだ。つまり、マウンティングである。竹内久美子氏も、チンパンジーで展開するなら、このマウンティングに着目して論じていただければ、もう少し説得力のある論になるだろうと思う。


アメリカで、俺が俺がの仕切りたがり、人の話を聞かない、自分ばかり喋りたがる、自分だけパワフル男のことを、”Alpha Male”という。”Alpha Male”とは”ボスざる”。
つまりこういう男性とそのボスザルに庇護されて群れる雌猿のごとき、関係性は、日本保守論壇に見受けられると思うのは私だけだろうか?


お二人のこの会話
しかも、悪質なのは、竹内氏と長谷川氏がデマを使って福田前次官にセクハラを受けたテレ朝の女性記者を貶めていることだ。二人は福田前次官が女性記者に「キスする?」などと迫った例の録音音声を持ち出して、こんなやりとりをしている。
竹内「自分からキスと情報提供の取引を差し向けて『思うよ』の答えに『ええっ、本当ですか?』って喜んでいるわけですね。キスしたらいい情報をもらえるって。ひゃ〜、すごい。(中略)女であることを十二分に利用してますね」
長谷川「逆立ちしても真似できないなあ」
竹内「できない。私も」
長谷川「私なら『てめえなんだ!』って殴っちゃう(笑)。そして上司に叱られたりして。記者にならなくてよかった」

は矛盾している、というか、相手への共感力の欠如の証明である。レイプでは、抵抗することが許されない状況・環境の中で行われるし、セクハラは殴れば、”上司に叱られる”では済まされない、職場環境や自分のキャリアを破壊するのだから、泣き寝入りをしてしまう場合が多いのは否めない。今回のケースで言えば、『キスしていい?』と言われただけで殴れば過剰防衛でしょう(笑)。
たとえば、竹内氏がチンパンジーのメスは発情すると集団の複数のオスと何度も交尾すると言うと、長谷川氏はこんな相槌をうつのだ。
「慰安婦問題とかで『一日何十人もの相手をさせられて人権侵害』と言われますが、チンパンジーなら全然OKと。問題はメスが発情しているかいないか」

その通り、”メスが発情しているかいないか”=”性行為の同意があるかないか”であり、メスが発情していなければ、オスは性行為を挑んだりしないし、もしKYのオスが挑んでも手酷く拒否され、オスはすんなり諦める。そういう意味でレイプはない。選択権は常にメスにあるのだから。
竹内「生物の二大テーマが生存と繁殖。これしかないんです。セクハラも繁殖行動の延長と言え、これはいけない、あれもダメとがんじがらめに制限するのは、私から見るとおかしい」
生存と繁殖はメスに主体性が与えられている、これを無視して、回数だとか範囲だとかだけ取り上げて、チンパンジーはいかに理にかなっているか、人間はつまらない認識にがんじがらめだ、などと言い出すことが、私から見るとおかしい。
長谷川「もし人間にも発情期があれば、発情期でないメスにちょっかいを出すとセクハラ。発情期なら繁殖目的に合致して全然OKと」
わかっているじゃないですか。多分勘違いされておられるのが、発情期とは何かの認識で、性交渉・繁殖可能なメス=発情期ではないということを、人間のオスはわかっていない場合があり、それが、顔見知りによるレイプ、セクハラを生む。発情しているのか、いないのか?それを見極めるスキルが人間のオスには必要で、かつ、見誤ったら、ごめんなさいと謝って引き下がる、これが大切だ。


さて、猿山に住んでいない、しかし、関係性の掌握が苦手な人たち向けに、必見のイギリスの動画(アニメーション)


アメリカにいて思うに、ユーモアはやはりイギリスが笑える。
Sarcasm(引き裂く)と言われる、冷評・愚弄・諷刺と自嘲やギリギリのことに抵触する笑い。こちらのセックスの同意について、イギリスでは日常的にとにかく進める機会の多い紅茶に置き換えて説明動画です。


イギリス人は常に紅茶をどうぞと勧めるのだろうか。紅茶に対するイギリス人の独特のスタンスや慣習のあるだろう。その点では、日本ならお茶よりお酒だけれど、紅茶だから笑える。どうぞご覧ください。



性行為の同意を紅茶に置き換えて下さい!


人間は、もう猿には戻れない。もしストレスの多い現代社会に警鐘を鳴らし批判しているつもりなら、合意したもの同士で、ヌーディストビーチでも貸し切って、フリーセックスでも夜這いごっこでもなんでもしたらよろしい。それはそれで”Good for you”だ。
しかし、他人にそれを押し付けてはならない。


人気ドラマと呼び声の高い”おっさんずラブ”を見てみたが、これは二つの側面で見られる。つまり、パワハラ・セクハラはこのような状況で起こりうるということを、同性の恋愛を通して顕著にコミカルに表している点(それが、おっさん上司にとって純愛であったとしても部下にとってはパワハラ・セクハラだーこの点をソフトにしているのが部長氏のゲイ的ロマンチズムと一途な優しさだ)そして、特定個人を愛するということにおいて、性行為は第一条件ではないという、今の日本の新しい関係性の捉え方だ。これはその他ドラマでも、シェアハウスでの共生の生活が、恋人との”蜜の生活”より心を癒すと描かれてている点などでも見て取れる。


かつては”金妻” ”失楽園”であったけれど、愛がもっと人間に向かい、自分の心がしっくり寄り添える関係を求めている人が増えているようだ。その中で性欲の占める優先順位が後退している。
長谷川氏曰く「そうか! オタクとセクハラ男はベクトルが正反対なんですね。セクハラ男は生物としてはむしろ当たり前。一方でオタクの方は、人間の脱生物化が極端に進んでいる」とワケのわからない説を導き出す。そして、「どっちが日本の繁栄に大事かと言えば、セクハラ男の方かもしれないですね」


男性も女性も、セックスへの強迫観念に囚われていたと言ってよい全時代的男女関係幻想は同時に男性企業戦士による高度成長の時代とリンクして世の中に蔓延した。そして今、日本が青年的成長期を終え、成熟しなければならない時に、拳と男根を振りかざすしか能のない勘違い政権とその支持者たちの焦りの力技は、この国の国益を明らか損なっている。


オタクがどれだけの利益を生んでいるか?アートでもアニメでも世界発信しているのはオタクカルチャーであり、コンピューターギーク・ラボオタク(そんな言葉はないが)という研究者抜きに発展は語れない(そういう仕事が大好きな人たちの命を守るためにも法による労働時間規定は重要。故に高プロは日本の人的資源を食いつぶす法案だ)。性欲ギンギンのセクハラ男が、女性の権利意識が高い先進諸国受け入れられるとは到底思えない。歴史修正主義の安倍内閣と日本極右の活動の評価を見れば明らかだ。


穏やかで、ゆったりとして、多様性に富み、深い知性と文化を有する、決して他国と競い合わない、争わない国。それでも、いやそれでこそ、日本の未来の存在意義を国際社会に示し、これからの世代の幸せを築いて行けるだろう。若者たちはすでに変化をしてきている。成熟の土壌に若い柔らかい芽を育むから、また別の次元に移行できる。焼け野原で根をはるたくましさ、国のために戦う勇姿を唯一の正しさとして、若い世代の感性を無視し、無理やり、軍国主義で鍛え直そうなどと思うこと自体が大きな勘違いであり間違いである。

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