密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

昭恵氏の国会招致潰し「愛しているんだから仕方ないじゃないか」こういうのも権力の私物化という

リテラの、安倍総理、お気に入り著名人芸能人焼肉打ち上げ関連の記事。この中で古市氏は、〈寿司をおごるくらいでみんなが味方になってくれるなら、マスコミは政権批判なんてしていないはずだ>という主張をしているそうだが、結局、人間は仲良くご飯を食べたりお酒を飲んだり、自分のことを認めてくれたり、親切にされたりすれば、その人の行動全般を冷静に判断できなくなる。だから、アメリカでは、記者は個人的にお茶を飲むのもダメである。人間とはそういう弱さがある、だから、権力者側も良識があるなら、ホイホイ仲良し気分で特定の番組に出演し、あとで仲間意識で打ち上げをしたりするべきではないのだ。そういう仲間意識が生まれれば、どうしても仲間内の意見を優遇し、その仲間と近しい人を優遇したくなる。ましてや、権力を持ち、その権力は国民から選挙によって付託されたいる政治家、特に国のトップは、”李下に冠を正さず” 公私の線引きを十分すぎるほど注意深く引き、国民が見て不公平不公正と映る状況を招かないようにするべきなのだ。


そして、この記事の中、古市氏の認識は、きっと安倍首相とあって、大好きになってしまって、その特権的御仲間意識の心地よさに目が曇ってしまった結果と思える、とても聡明な?学者さんとは思えない、情に流された的とんでも意見を開陳しているわけだが、その中で非常に気持ち悪く引っかかったのがこの箇所

安倍首相との焼肉会は明らかにこうした古市の姿勢の延長で起きたことだ。「飯を食ったぐらいで政権を擁護するわけがない」というのは、権力者と仲良くなって籠絡されたジャーナリストや評論家の定番の言い訳だが、まさに古市クンは今回の「新潮」連載での言い訳で御用の典型を完全に踏襲したといってもいいかもしれない。
 

いや、それだけではない。安倍首相と会食をしたメディア関係者の言い訳には、もうひとつ「会食は取材のためで、ちゃんと深い話を聞き出しているではないか」というものがあるが、古市クンはこの言い訳もきっちり踏襲していた。


「新潮」の連載の最後に〈僕はこの食事で、一つ安倍さんに確かめたいことがあった〉という文言が出てきたのだ。一体何を確かめたのかと思って、先を読んだら、こんなことが書いてあった。
〈政治記者から聞いた話だ。森友騒動で安倍昭恵さんが批判の矢面に立っていた時。首相はぼそっと「愛しているんだから仕方ないじゃないか」とこぼしていたらしい。答弁でもなく、本当に独り言のようだったと目撃者は語っていた。
 この話は果たして真実なのか。「いい話なので、ぜひ昭恵に伝えておいて下ださい」と言われて煙に巻かれてしまった。権力の犬だという意識はないが、僕にはやはり池上彰力が足りない。〉
 

そう、古市が「安倍首相に確かめたい話があった」「この話は果たして本当なのか」などと大仰に語った「話」というのは、なんと安倍首相が昭恵夫人を愛してると口にしたかどうかということだったのだ。
 

実は、古市は以前にもテレビでこれに近い話をしていた。昨年3月2日の『とくダネ!』(フジテレビ)で、森友問題で安倍夫妻をかばう文脈で「昭恵さんがたぶんショックを受けていて、それに対して妻を犯罪者扱いしてほしくないというのが(安倍首相の)一番のメッセージだったのかな」というコメントだ。


もともと、古市が昭恵夫人と親密なのは有名で、たとえば14年に昭恵夫人が校長として開校した「UZUの学校」の開校式にパネリストとして駆けつけている。安倍首相から「いい話なので、ぜひ昭恵に伝えておいて下さい」と言われたというのも、古市と昭恵夫人の個人的親交を知っているからだろう。
「池上彰力が足りない」などというのもおこがましい。古市はようするに安倍首相の株をあげるような「いい話」、言い換えればヨイショするエピソードを拡散しただけではないか。なんともトホホだが、無邪気を装っているぶん、余計にタチが悪い。


「池上彰力が足りない」というのは、やはり日本社会に遠い私には意味不明で、もちろんしらべてわかることでもないから、古市氏が、何を言わんとして、確かめたかったのか、どんな心象を受けたのかは、定かにわからない。
ただ、”安倍さん優しい、こんな話を聞いたら、安倍さんのこと嫌いになれないよ!!”的な反応を引き出すこんな臭いエピソードを深いお話として、検証してしまったのなら、相当情に流されている。


別に「(昭恵を)愛しているんだから仕方ないじゃないか」と彼女の夫として、自分のとても親しい腹心の友などに、自宅などプライベートスペース、プライベートの時間に語るなら、どうぞご自由にだ。しかし、記者にいうということは、何らかの効果を狙っているからだと、どうして思わないのだろうか? 深い話どころか印象操作だろう。いや、古市氏も安倍氏のために、愚民を甘く見た印象操作の一巻を担っているのだろう。


妻を愛するのは大事なことだが、一国の指導者は、公平に国民に愛を注がなくてはならない。自分の妻を愛のためにかばい、かつて自分の信奉者であった人間、愛する妻昭恵氏と仲良しだった人間を、6ヶ月も過酷な環境に閉じ込め(もちろん検察側の忖度なのかもしれないが、ここまでくると誰の目にも国策捜査・監禁である)、この人権蹂躙に何の対応もしない、いや裁判前から刑が確定したかのような詐欺師扱いで、愛する妻は被害者と公共の電波で宣う宣う、公私混同総理大臣。 安倍晋三という人は、常に、こうやって自分の周りの人間を情と利を取り混ぜて味方につけ、彼の公私混同の世界観に巻き込んできた、そうやって支持を集めてきたと思える。


愛している人間を苦しい立場から守りたいなら、籠池夫妻の息子さんは、今、その思いで、張り裂けそうなツイートを連日行なっている。拉致被害者のご家族も、安倍首相が国連などでが、制裁強化と拳を振り上げる発言を行い、対話否定を主張するたびに心が裂ける思いをしているだろう。自衛隊員に家族も、南スーダン派遣が決まった時どんな思い出送り出したことか? 自分のゆるふわワイフのパーティーライフを愛を持って擁護するならどうぞ、総理大臣を辞めた上で存分にやられたらいい。まあそうなれば、愛する妻は証人喚問を受けるだろうし、自分も無事では済まないだろうけど。


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