密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

”尖閣は命をかけて守るもの” 他人の命の犠牲を大声で主張する愛国者

ウーマン村本氏をめぐる朝生後波状論争。”反省(させる)会”的番組を見たのだが、その中で、上念司氏という方が、恐ろしい発言をしていた。
「尖閣は命をかけて守るべきものだ」というのだ。この発言は、かつての一億総玉砕につながるプロパガンダだ。


上念氏が、自分の命と引き換えにしても尖閣諸島を守りたいというのなら、それは個人の自由で、ただし、中国を刺激してことを大きくしないようにしてください、というだけだ。しかし、まるで日本の国を挙げて、国民は自分のいのとの犠牲も顧みず、この岩だらけの島を守らなくてはならないというのは愚かである。


命などかけず、外交で解決する問題だ。
上念氏は「わが国が2000年間守ってきた国土』のように言っていたが、2000年前から尖閣問題が存在したとは思えない。そこまで遡るなら、沖縄を独立国と認め、北海道は愛に民族に変換するべきだろう。いや2000年前などは、やっとこすっとこ人類がやってきたころで、縄文時代も400年前 国土の意識どころか、日本という認識さへなかっただろう。おかしなことを言う人だ。


こうした、何か夢見がちなロマン、命がけというヒロイックなロマンによう人々が、まるでそれが正論のように、村本氏を叱りつけている異常な番組であった。


これだけ愛国者が怒り狂い、彼の意見の間違えを論破しようと躍起にな状態は村本氏の狙いを大きく果たしているのだろうと思う。


非武装中立が幼稚な理想論というが、理想のない社会は劣化する。非武装中立である、他の国は、小さな島国であったり、バチカン市国やモナコ公国のような特別な存在であり、今日帝国に守られている。日本も原則非武装中立であるのだ。それは第二次世界大戦だ、とんでもない野望のもとに侵略を画策し、他国民と自国の一般市民を無駄な死に追いやった極端な国粋主義思想を持った国、将来にわたり再びその危険を犯す可能性がある国なので、軍力を保持せず、交戦権を否認するという、現行憲法の戒めを胸に刻んで、復興を果たした。 9条の戒めは、『尖閣を守るために命をかける』などと言い出すバカこの日本を再び席捲する機器を防ぐためのものだ。


自分の命は自分だけのもので、それが終われば、世界が消える。9条を縦にのらいくらり米国の要求を退けている。それでいいのだ。
一つの問題を起こした人間をみんなでこれでもかと叩く社会 簡単に命をかけてなどという社会、日本には危険な傾向が多いのだ。


自分の命は自分のもの、大切にしなくてはならない。殺されるか殺すかになったらどうする、などと突きつけるのは馬鹿げたことだ。そんな状況にならないために、外交努力をする。友好関係を気づく。相手の国を見下したりせず、尊敬する。過去の歴史的事実を受け止めただしく検証する。


尖閣守りで命をかける必要などない。ここで強硬論を唱える人々は、日本という国のプライドを過剰に持つ感情論だ。 もし双方譲らなければ、尖閣から、何海里かを日中共同開発区とし、きちんとしたルールを設ける。軍事行動は厳しく禁止する。
中国は、現在世界の指導的立場をも座している。道理に反する無茶はしないだろう。
中国不信の根拠に上念氏はネパールを持ち出しただ、これはチベット独立運動による中国軍の侵攻のこと? チベットに対する中国の武力行使は、ここBeaconでも写真展があり、酷い有様だったことは目にしてる。交際社会からも非難が寄せられた。それは酷い行状だと思うが、チベットにとっては独立、中国にとっては内乱で、それと尖閣諸島を一緒にするのはどうかと思う。


殺すか殺されるかになったら、戦うでしょう!!というが、そんな状況になったら、身動きができないだろう。そうならないようにすることが国民を守る政治役割だ。


領土を守るために命をかけろと国民を鼓舞するより、歴史修正主義や上から目線、嫌中嫌韓ヘイトスイピーチをやめ、隣国からの信頼と尊敬を勝ち得ることに命がけになってほしい。


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