密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

ウーマン村本氏”安倍改憲アジェンダ”のリセットの試みと自他の境界


昨日の記事で、コメディアン・ウーマン村本氏の元旦朝生での発言問題について、ハフィンポストの記事を元に書いた。その中で、村本氏の特に”殺される方を選ぶ”発言に、芸能的机上論と断じてしまったが、訂正する。 リテラの記事による詳しい、議論の経緯を読むと、彼の極論提起は単なる空想的理想的心情ではなく村本氏の”コメディアンのナイフ”であると見て取れる。決して”芸能的机上論”などではない確信犯的な、アンチテーゼの提唱であったと思われる。


この朝生論客VSウーマン村本の騒動は、すでに安倍政権により、じわじわと勧められた”改憲アジェンダ”(Agenda=議題)のトリックをリセットする重要なポイントになるだろうということで、もっと国民は意識的にこの問題を捉えてゆくべきだろうと思う。


まずリテラの記事を転載する。(長い記事なので部分多岐に転載するが、ぜひ全文も読んでほしい。)



元旦(1日未明)に放送された『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)に出演したウーマンラッシュアワーの村本大輔が、放送直後からネット上でフクロ叩きにあった。ツイッターではこんな誹謗中傷が溢れている。
〈テメェの無知を国民や政治のせいにするな。テメェがアホなだけやろがぃ〉
〈ウーマン村本、ただのバカならまだしも、日本にとって害になってきましたね!〉
〈売国奴村本は日本人としての資格がないから、国外追放か死ねばいい〉
〈この人左翼からも若干嫌われとるよね。多分日本人やないよ。〉
村本は、番組で憲法9条の改憲が議論になるなか、「(9条にあるとおり戦力を)放棄すればいい」「非武装中立がいい」などと敢然と言い放ち、他の出演者から「もっと勉強しろ」「侵略されたらどうするんだ」などと一斉に非難された。番組終了後には、これらの村本の発言がニュースとしてまとめられて拡散。井上達夫・東京大学教授から「少し自分の無知を恥じなさい」、「村本くんの発言の裏にある種の愚民観を感じる」など指摘されたことも含めて、村本の“無知”と“愚民観”がフレームアップされ、炎上しているらしい。
ー中略ー
いま、村本が炎上している場面は、番組後半、安倍首相と自民党が打ち出した憲法9条の“3項加憲案”と“2項削除抜本改正案”について、三浦瑠麗が憲法と自衛隊の関係を「神学論争」などと述べ出した後のこと。そこで、司会の田原総一郎が「僕はもう少し次元低くしたい。安倍さんの本音はね、やっぱり戦える自衛隊にしたいんだと思う。でね、いまは憲法上は自衛隊は戦えないんですよ」と言うと、これを受けた村本が「田原さん。もういっこ次元低くさせてください」と切り出して、議論が白熱していく。そのやり取りを可能な限り忠実に再現してみよう。


村本「いいですか。一瞬だけみなさんの大事な時間を借ります。どうしても気になるから。その『違憲』っていうのは何が違憲なんですか。すみません、そのレベルからちょっと」
三浦「自衛隊が? 自衛隊が違憲なのは……」
井上「君、9条2項の文章読んだことがあるの?」
村本「読んだことがない、だから聞いている」
田原「読めよちゃんと!」
井上「少し自分の無知を恥じなさい」
村本「視聴者の代弁者だから! テレビはそうなんですよ!」
井上「陸海空その他一切の戦力はこれを保有しない。交戦権は行使しない」
村本「井上さん、これテレビですよ。これは若い人からお年寄りまで見てるわけですよ。だから1から10まで聞く必要があるんですよ」
三浦「村本さんの質問は、なんで自衛隊が軍じゃないかってことなの?」
村本「僕は武器は持たなくていいと思ってる」
三浦「2項を守れよってことでしょ?」
村本「うん。だって戦後72年、このままでよかったわけでしょ」
三浦「村本さんは、これ(2項)をそのまま守れよって言ってるわけ」
井上「いや、最初の話は自衛隊がなぜ違憲なんですかってことでしょ?」
村本「戦後70年ここまできてたのに」
井上「政府はずっと自衛隊は違憲じゃないって言ってきたし、護憲派も最近の修正主義的護憲派は専守防衛、個別的自衛権の枠だったら合憲だと言い始めた。でもこれは明らかに明文に反するわけね。自衛隊は予算規模で言えば世界で4位か5位の軍隊ですよ。イージス艦も持ってる、ファントムも持ってるわけですよ。これを戦力じゃないっていうのは本当は難しいんですよ。それが、仮にそうだとしても、日米安保のもとで、世界最高の戦力である米軍と一緒に沖縄の防衛はね、交戦権の行使じゃないってこれは嘘でしょ」
村本「でも僕はそれ、戦力を放棄した方がいいかなと思うんです」
井上「それなら正しい。ただし、日本では護憲派も含めて、自衛隊を全部廃棄しろなんて言う人はいない、もう<これこそが安倍改憲アジェンダの成功だ>
田原「放棄するってことは非武装中立にするってこと?」
村本「はい。ぼくはそっちです。非武装中立について教えてもらいたいです


村本は9条2項を「読んだことがない」と一度言っておきながら、すぐに「僕は武器は持たなくていいと思ってる」「戦力を放棄した方がいい」「僕はそっち(非武装中立)です」と表明している。

場が“自衛隊が違憲となる9条をいかに改憲するか”という話題で持ちきりのなか、村本は果敢に、「非武装中立」という憲法9条の自然な解釈を明言し、戦後日本はその憲法のもとにこれまで殺すことも殺されることもなかったと肯定したのだ。


初めは、護憲は当然、世界に誇る平和国憲法とそのかなめ9条、という意見が多勢を占めていたが、最近は、”盲目的護憲は愚か” ”頑な=共産党” ”反対のための反対” ”対案を出せ” などの与党側+改憲派の誘導に、素直のに乗っかり、己のリベラルさ、公正さの証明のように、改憲に頑なでない姿勢、絶対反対ではないという寛容の小さなほころびを生じさせ、”対案を出せ”に乗っかることによって、改憲賛成に組み入れられ始めている。


ブレない共産党の言うように、『私たちはこの素晴らしい憲法をまだ使いこなしていない』という真っ当な意見も、他のリベラル(本当に寛容な保守という響きが好きなあまちゃんでしかないと私は思う)からは賛成が得られず(それでも安倍政権下での改憲は反対などと言っているが)”護憲にしがみつくのは愚か”とディスるのがCOOLのような風潮の世論に安易に迎合している。この世論というのも、古くは中国尖閣問題、近々では北朝鮮危機が煽り+震災で自衛隊に助けられたくせに、彼らを侮辱するのか?かわいそうだ的な、意味不明な感情論の流布によるところが大きい(集団的自衛権で戦場に派遣される方がよっぽどかわいそうだし、人生台無しにする)


 自衛隊を合憲にするために憲法改正するという、本末転倒のご都合主義な議論が、大手を振って歩く現在の日本に、国民が見ている立派な着物は安倍王様の集団催眠の産物であると、目を覚まさせるのが、村本氏の今回の”王様は裸”発言だ。(この他にも侵略幻想へのなぜ?なども重要な提起で、これは前の記事で触れた)
再びリテラ記事に戻る。



村本の非武装中立論をトンデモ論理で血祭りにあげる自称リアリスト論客たち


 文脈を切らずに見れば、村本が9条2項を知らなかったというのはありえず、まさに本人が「1から10まで聞く必要がある」と言ったとおりの“カマトト”だろう(たとえば2項後段の交戦権の定義については諸説あり、番組でもそうだったが、もっぱら自衛隊違憲論に関しては戦力不保持に焦点が当たりやすい)。実際、村本といえば、先の衆院選の際にもこんなツイートをして物議を醸した。
〈声を大にして言う。僕は今年は選挙に行かなかった。全国民で選挙に行かなかったやつの方が多い。多数決の多数が国民の総意なら、選挙に興味なかった俺たちが国民の総意。わがままを言う。台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ。〉
 

ところが、のちに実は投票にいっていたことを明かしていた。
「でも実は選挙に行っていました。何が言いたいかというと、みんなすぐに信じちゃう。『選挙に行ってない』と言っただけでその通りに受け取っちゃう。これじゃあ政治家は簡単に操作できてしまう」
(インターネット報道メディア「IWJ」17年12月24日)
 

ようするに、村本は、自衛隊は違憲→だから改憲すべきという、他の出演者らによって作られていた前提に対し、「2項を読んだことない」と一度ひっくり返すことで、わたしたちは自衛隊や法律を変え「非武装中立」にするという選択肢をなぜ考えないのかと問題提起した。そういうことではないのか。実際、CM明けの村本は、学者にも物怖じせず、実に本質的な9条論を展開する。



井上「ちょっと質問していいですか。村本さんはじゃあね、非武装中立ね、それは本当に一番筋が通ってるけど、私は間違った理想だと思いますが、ただ多くの人は本当に非武装中立が何を意味するか理解しないで言っているわけね。じゃあ、攻撃されたらどうしますか?」
村本「なぜ攻撃されるんですか」
井上「いや、それを言ってんの。侵略されたら、いや、侵略されないに越したことはない。じゃあ、もし侵略されたらどうするんですか。白旗を挙げて降参なの?」
村本「僕はそっちかなと思います」
井上「そしたら侵略者に対して侵略のインセンティブを与えちゃうよね。それでいいの?」
村本「なぜ侵略される、意味が分からないんですよ」

落合陽一「だって知らない人に通り魔で刺されたりするでしょ?」
村本「だからなぜ中国や北朝鮮が日本を侵略するという発想になるのか、私は分からない」
 

実のところ井上も頷くように、9条を非武装中立と無抵抗と解釈するのは、極めて誠実な条文の読み方だ。むしろ、落合陽一のように「侵略」の可能性を「通り魔」と一緒くたにして語るほうが、外交など国際情勢における国家間の駆け引きを度外視するもので、端的に言って頭が悪すぎる。村本が「なぜ中国や北朝鮮が日本を侵略するという発想になるのか」と疑義を呈すのももっともだが、しかし、『朝生』では他の出演者が寄ってたかって村本を血祭りにあげる方向に動いてしまった。


井上「いや、それは君が問題を避けているの。君の良いところは問題を逃げないことだと思ったけど、今までの非武装中立論者はみんなそうやって議論から逃げてきた」
村本「じゃあわかりました。答えましょう。白旗を挙げて、僕はですよ……」
田原「ちょっとまって。具体的に言うと、もしも日本が米軍と自衛隊がいなかったら、尖閣は中国が取るよ」
村本「分かりました。じゃあ僕は逃げずに答えますけども、僕は、僕の意見はですよ……」
田原「取られてもいいわけね?」
村本「僕は取られてもいいです。僕は明け渡します。僕はですよ。うん」
落合「なんで?」
村本「だって、だってもし皆さんの身内に、自衛隊とか軍隊がいて、その身内が人を殺して国を守ることって……」
井上「じゃあ自分の身内が殺されるってときに、敵を殺さないと自分が殺される状況に置かれたらどうするの?」
村本「じゃあ、殺されます」
落合「なんで?」
村本「だって誰かを殺すわけでしょ?」
井上「いや、そういうことを言う人は多いの、ね? で、僕はそれはほとんど欺瞞的で……」
村本「僕の考えは僕の考えでいいでしょう!」

憲法・安保から話はずれるが、若い頃、年上オジサンアーチストの間に入って自分の意見を言う時、”私は”こう思います。と言うのが常だった。つまりこれは私の意見で、他の人の意見とは、違うこと、自分の未経験、無知も踏まえた現在の見解・意見という意味での”私”であり、当然のアプローチのつもりだった。しかし、これがオジサンたちを不快にさせた。「私は、私は、って、自分のことばかり、誰も気にも話なんかしていないよ!!」と、年上男性アーチストを怒らせた。つまり若い女の子には、議論(酒の席の)への参加は求められたおらず、感心し、勉強し、褒め、笑い、お酌をする、を逸脱するな、と言う叱責だったのだろう。”私は”この”叱責”に未だに納得していない。


アメリカに来て、英語の成り立ちの基本は、”I think"であり"I say" なのだと言う点が、長年日本で忸怩たる(はらわたの煮えくりかえる?)思いに耐えて来た、”私なり”の公平・公正感にフィットした。”I think"であり”We think"ではないのだ。"I say"は”We say"とは違う。日本語には主語がない。極力自分を際立たせず、「みんなそう言ってます」のような意味の成り立たない常套句がある。


村上氏が要所要所に、”僕の考え”をまず前提に話、最後に、人を殺すか、殺されるかの、個人の究極の選択に対しての、欺瞞的と言う批判に対し「僕の考えは僕の考えでいいでしょう!」と言ったことは、日本人には珍しく、自他の線引きを明快にしたい、アメリカ人のようなセンスの持ち主だと感じた。


どれほど頭が良く知識が豊富でも、この自他の線引きが曖昧な識者論客がいかに多いことか。「僕の考えは僕の考えでいいでしょう!」は拒絶の言葉ではなく、僕は僕、あなたはあなた、認めあいましょうよ。その上で議論をしましょうよ、と言う当然のルールが通じない日本の議論の携帯に対する、村本氏の怒りの発露であろう。


話が逸れてしまったが、リテラ記事に戻る。
終盤、村本は改憲をめぐる論議が国民的に盛り上がっていないことに切り込んだ。村本は「僕はまず、国民の人たちが憲法論議をして、そしてテレビでもやっていって、そして国会でもやるようにしたいんですけど、なぜそのメディアでもうちょっとそれを発信して国民でできるようにならないんですか」と批判したのだが、すると井上がこういう風に反論した。
井上「ちょっといいですか。村本くんの発言の裏に、ある種の愚民観を感じるのね。国民はよくわからないんだから、とかね」
村本「僕は、『僕は(よくわからない)』です」
井上「私はそれね、君、一見ね、国民の目線で立っているようだけどすごく上から目線なんだよ。僕はちゃんと説明すれば小学生でもわかる話(だと思ってる)」

ー中略ー
井上は、村本への「愚民観を感じる」発言のあと、こんなふうに演説していた。
井上「すぐ国民投票って言うとヒトラーが云々って(言う人がいるけど、)あれは例外的ですから。ほとんどの国民投票はまともにやられてるわけ。それで、ここで一つ重要なことは、イギリスのEU離脱のあれもそうだけど、国民投票にかけるぞっていうアジェンダが設定されたらね、国民自身が自分たちが主権者としての選択を迫られてるんだと(自覚する)。普段無関心だった若者もパブで議論し始める。通りで議論し始める。家庭のなかでも喧嘩になるほど論議し始める。だから私はこれを、ちゃんとした課題として設定する。じゃあそれをいま、してこなかった。いきなり国民が改正発議して国民投票かけるのは実は国民投票の問題があって、期間が短いとかあるけど、今一番あれなのは広告放送、投票日の二週間前という制限しかなくて、それまでだったら広告いくらかけてもいい。これを変えなきゃいけないっていうのはありますよね。しかし、にもかかわらず、国民にこういうことを改正すると言って国民投票にかけるとなったら国民は真面目に考えるんだ。それを真面目に考えない。もうちょっといろいろ丁寧に説明してあげなきゃ(ダメなんだ)っていうのは、私は許しがたい愚民観だと思います」


 では、事実、
いまの安倍政権が設定している改憲アジェンダとは何か。安倍首相は昨年5月に自衛隊を憲法に位置付ける“9条3項加憲案”を打ち出し、自民党はその首相案と9条抜本改正の“国防軍創設案”を並置して打ち出している。ようは、いきなりラディカルな9条改憲は無理だから、国民がなんとなく「自衛隊が違憲ってよくないかもね」と思うようなマイルドな案を見せて、改憲のための改憲をやろうとしているのだ。一方、成立から70年以上の歴史を持つ現行9条をそのままにするという“9条護憲案”は、完全に議論の端っこに追いやられている。
 

そう。安倍政権がつくったアジェンダとは
“3項加憲か2項削除か”という二者択一にほかならない。言い換えれば政権は、「主権者としての選択を迫られてるんだと自覚する」らしい国民の多くがそのどちらかを選ぶような状況へと巧みに追い込んでいるのである。そんな政権が仕込んでいる状況を考慮していない人たちが、いったいどうして、村本を「愚民観」などと言うことができるのだろう。
 

だからこそ、戦後日本の9条を全面的に肯定し、いや、それ以上に原理主義的な9条護憲=非武装中立を俎上にあげる言論は、貴重であるということ以上に、選択肢を広げていて、「主権者としての国民の自覚」を促すに最も必要とされているものなのだ。村本の発言は、何も間違っていなければ、「無知」と攻撃されるようなものでもない。そう、念を押した上で、最後に番組終了後、沖縄・辺野古に飛んだ村本のツイートを引用して終わりたい。


〈おれが朝生で無知を怒られていたことに対しておれのツイッターをみて会いにきてくれて「僕も知らない、あの場で村本さんが聞いてくれて嬉しかったそれを伝えにきた」と言ってくれた。おい、バカ学者ども、お前達は街の人を知らない。みんな仕事がある。お前らは知で飯食ってるから知ってるだけ。〉(1月2日)
(編集部)


ウーマン村本氏は、アメリカ留学を目指していると聞く。きっと彼にふさわしい環境が得られるだろう。そしてそこで、独自のコメディアンのナイフを研ぎ澄まし、抜き方を洗練させることができるだろう。しかし、彼がそのままアメリカに居ついてしまうなら、日本にとってはとても残念なことである。


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