密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

角界・暴行・ナショナリズム しかしあまり触れられない、モンゴル人元力士の拉致問題尽力

モンゴル人力士同士の不文律的な様相のあった暴力事件がそれぞれの思惑で迷走し、貴乃花の政治力に利用?とかようわからない角界のごちゃごちゃが露呈していたようだ。


あまり興味を持って見ていなかったのだが、このニューズウイークの記事は、日本の大騒ぎとは、趣旨を異にした、日本のナショナリズム、外国人力士に対するヘイトまがいの野次、そして、角界を引退した力士が自国に帰って、政治的な立場を得て、拉致問題に尽力してきた事実、とあまり伝えられていない(なぜ伝えられないのか?私が知らなかっただけかもしれないが、、)事実への言及のある、大変興味深い記事であるのでご紹介したい。

楊海英:ユーラシアウォッチ
「国技」「神事」の美名に潜む排外主義の陰―南モンゴル出身の日本人が過熱報道に覚悟の物言い


日本には今、相撲ナショナリズムの嵐が吹きすさんでいる。ナショナリズムは常に暴走の危険をはらむが、相撲ナショナリズムもまた対外と対内の両面で人々を苦しめている。


対外的にはここ数年、国技館で観衆から起こる「モンゴルに帰れ」という罵声だ。これは横綱3人をはじめ大勢のモンゴル出身力士への排除思想の表れで、ヘイトスピーチと言える。


もしアメリカの大リーグでイチローや他の日本人選手が「日本に帰れ」と怒号を浴びせられたら、日本の愛国主義者は「人種差別」と抗議するだろう。一方、「モンゴルに帰れ」というヤジに対し、正面から批判する識者を私はまだ知らない。


対内的にも、「日本人は強くならなければならない」「日本人の優勝が見たい」という重圧が力士を苦しめる。日本人横綱として久々に誕生した稀勢の里は、3月の春場所で13日目に負ったけがを我慢して強行出場。けがが悪化したが、モンゴル人大関の照ノ富士を破って優勝した。だが無理を重ねた結果、11月の九州場所でも10日目から休場し、4場所連続休場となった。


その休場が号砲であるかのように報道は土俵の取組よりも、九州場所開幕前に発覚した横綱・日馬富士の平幕・貴ノ岩に対するモンゴル人力士同士の暴行事件で過熱。11月29日に日馬富士は引退に追い込まれた。


モンゴル政界での対立


26日の千秋楽では、モンゴル人横綱の白鵬が前人未踏の40回目の優勝。「日馬富士関と貴ノ岩関とを再び土俵の上に上げてあげたい」と話し、ファンと共に万歳三唱した白鵬に激しい批判が寄せられた。


モンゴル人力士は何をしようとも語ろうとも、全てに非があると言わんばかり。そんな相撲ナショナリズムの嵐を前に、モンゴル人はかつての元寇のようにしっぽを巻くしかない。


日本人力士の優勝を夢見る相撲ナショナリストたちの暴走はあちこちに及んでいる。モンゴル出身で05年に日本国籍を取得した旭天鵬が12年に初優勝した際も、メディアは「今度は日本出身力士の優勝を」と期待を寄せた。日本国籍を得ただけでは「日本人」ではないと、暗に言わんとしている。こうした「純血主義」を求めるナショナリストは、日本人とフィリピン人との間に生まれた高安にも不満なようだ。


外国人力士に厳しいナショナリストはよく「国技」を持ち出す。しかし、1909年に明治政府が国技館を造る以前は興行としての性格が強かった。近代国民国家の成立に伴い、興行から「健康な国民を鍛え上げる体育」に変質。国民の統合を促すために政治化したにすぎない。


「相撲は神事だから品格が求められる」との意見もある。しかし政治的ナショナリズムを帯びた「国技」に対し、過度に神事としての性質を強調するのは危うい。日本はいまだに政治と宗教が混然一体となった前近代的な国家だと見られかねない。


日本でのこうした過熱報道はモンゴル政治にも影響を及ぼしつつある。政界と結び付きが強いモンゴル人の元横綱・朝青龍と元小結・旭鷲山が、日馬富士暴行事件でそれぞれ加害者と被害者側に立って対立。結局、旭鷲山が非常勤で務めていた大統領補佐官を解任されてしまった。


北朝鮮による日本人拉致問題を解決しようと、朝青龍や複数のモンゴル人政治家の仲介で、日本政府は首都ウランバートルで北朝鮮と困難な交渉を続けてきた。国連でもモンゴル政府は常に日本の主張に理解を示す立場を取ってきた。「モンゴルに帰れ」という声が日本から草原にも届くにつれ、両国関係も壊れる恐れがある。


暴力は絶対否定すべきだが、同時に相撲ナショナリストによる言葉の暴力も許されない。日本は本当に20年の東京オリンピックを開催できるのか。国同士がぶつかる国際試合ではフーリガンなど排外主義的行動も懸念される。東京の競技場で、せっかく招いた外国人選手や観光客に対する「国へ帰れ」という声を誰も聞きたくないはずだ。


筆者の楊海英(ヤン・ハイイン)氏は南モンゴル出身の文化人類学者。日本に帰化されたいる。帰化されたとは言え、こうしたことを書けば、バッシングの的にもなりかねないのだから、相応の覚悟もいるだろう その著者が、”覚悟の物言い”として書かれた素晴らしい記事だ。


日本の角界を引退して自国に帰っても、日本のために尽力を続けるモンゴルのもと力士。
恩義や義理を忘れない、まさに”日本の心を大切にする”人々が、手本と仰ぐべき話ではないか? 彼らも日本で成功するまでには、いい人に助けられたち、そうでない人に差別まがいの扱いを受けたりしたはずだ。それでも、自分の国に帰って日本と友好関係を築き、日本のために尽力しようという心根は、国技の横綱、力士としての”品格”を、日本人力士以上に備えているのではないのか?


だいたい、匿名でネットでフルボコしたり、歴史をろくに調べもせず否定したり、闇雲に日本人は素晴らしいだの、日本人は他の民族よろ優れているだの、そんなことを言う日本人はそもそも人間としての品性に欠ける。


だいたい、自分の存在を肯定するのに、他人を否定することが必要な人間は、未熟であり、自己の確立がなされていない、自信のない人間である。偉そうなことを言えるほど自己確立できているとは言えない身だが、断言する。


排他的島国の中の排他的国粋主義など、いくら強がっても、哀れなだけで、誰からも認められないし尊敬もされない。だから武力で侵略して支配下に置こうと野望を持ち、身の程も理解できず国民を無駄死に追い込んだ日本の愚かな軍国マッチョイズムの復活を心ある日本人は憂慮し、本気で止めなくてはならないのだと思う。
アメリカも日本も国のトップを反映し、道理を忘れ、協調や、多様性への理解を忘れ、弱者を擁護する慈悲心を忘れ自分らの狭い思考回路と目先の利益でのみ動く恥ずかしいくにに成り下がっている。しかし、民主主義はまだ死んではいない。選挙で極右政治家を落とすこと。安倍政権を退陣させることが、ルールのもとに平等に強制する、民主主義の国家を取り戻す第一歩だ。


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