密接な関係にある他国から

アメリカと日本の社会、文化、日常感覚など、下から目線でつなげてみる。

棄権や白票は抗議になどならない。

大義なき解散への抗議として、積極的棄権を提唱し、5000を超える人たちが賛同しているという。しかし、無言の抗議というものは、命をかける状況でないと、有効に働かない。棄権で抗議しても、投票率が低い方が有利な政権与党は、痛くもかゆくもないどころか、大歓迎だろう。 一体何に抗議しているのか?本末転倒。


抗議をするなら、選挙に行って政権と対峙する野党に票を投じる以外ないのだ。
<山崎雅弘氏ポリス寄稿文より>
最近、ネット上の一部では、「積極的棄権」と称して、現在の政治や今回の衆議院解散という事態に対する「抗議の意味」で、投票を棄権する行為になにがしかの意味を付与できるかのように錯覚させる言説が流布しているようです。しかし、こうした言説は主観的な自己満足以外、現実には何も生み出さない上、論理的に考えればすぐわかるように、現与党の暴挙(衆議院解散)への抗議と言いつつ、その抗議の対象であるはずの現与党を選挙で利するアクションを「積極的」に行うという、滑稽あるいは愚かな結果を生み出すものでもあります。
あなたが「仕事その他の理由で、他人には与党支持者と思われたくないが、実は内心で与党を応援している人」であれば別ですが、そうでないなら、こんな「子どもの戯れ言」は軽く聞き流して相手にしないのが一番です。(
記事の主文は政権中枢の嘘について書かれています)

私は、領事館投票の期間が大変短いことを知らず、投票することができなかった(この情報の公開方法に、抗議の意見書を出したけど)日本にいればまだ投票できたと、悔しい思いをしています。


日本にいた頃は選挙なんて行っても行かなくても、、と思っていた。日本は変わらない、
一億総中流、誰が政治をしても同じ、、と思っていた。愚かなことでした。その無風の安泰が、政治家自身の品位と責任感、意見を戦わせ、深く議論し、論戦相手の野党に敬意を持ち、野党も与党に敬意を払える状況と、経験と距離を置く、メディアの健全な批判精神によろ保たれていたということを、これだけ不誠実で独善的な政権の誕生で改めて知ることになった。 


アメリカに移って、選挙とはこれほどエキサイティングで、自分の存在の必要性を感じられるものか、と驚いた。この選挙に参加できるなら、市民権を撮ろうと思い始めた。
しかし、日本の不穏な右傾化が報じられ、憲法改悪の国民投票が行われるかもしれないと知り、日本がこの状況を脱するまでは、日本の選挙権を保持しようと決めた。


戦争法反対の市民運動・野党共闘の動きは、この国の停滞した民主主義の機運を刺激し、
多くの国民に、民主主義、また、多分普通の人には耳慣れない立憲主義とその理念が
大きく広まった。


今回の衆議院選は、アメリカの選挙のように、一票で発言できる大変エキサイティング
な状況だ。抗議のために、選挙に参加しないなど、もったいないことだ。


投票に行こう。立憲民主党全勝・共産・社民の躍進祈願。自民議席を少しでも減らそう。
抗議の棄権をするなら、小選挙区、自民盤石地域に立つ共産党候補へ投票すべきだ。
安倍選挙区に立つ黒川氏に投票すべきだ。一票が重いこの選挙
小選挙区は野党統一候補、比例は共産党
で安倍の私物化解散・公党の私物化合流・私物化選別への抗議を示そう。


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