密接な関係にある他国から

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検察審査会不起訴相当で山口氏”完全に終結”宣言 民事裁判で公正な審判を!

真実を明らかにする努力、またその過程により、不当に受けた深い心の傷の治癒がなされる可能性がある。裁判はその手伝いをする制度でもあると思う。被害者、加害者、双方言い分が食い違うのなら、裁判で検察側、弁護側で戦い真実を明らかにする努力がされるべきだが、詩織さんの場合、被害者の代弁者となる検察側が、平たく言うと”やりたくない”と言って裁判にしないということだろう。
だから、無作為に選出された日本国民(公職選挙法上における有権者)11人によって構成される検察審査会に不起訴が妥当かどうかの真偽を申し入れた。


この『不起訴相当』を受けて、勝ち誇ったように勝利宣言の山口氏声明発表。
5月29日に検察審査会への不服申し立てを行った相手方女性を巡る案件で、検察庁の昨年7月の不起訴処分の判断に加え、今般検察審査会においても、当該不起訴処分の判断を相当とする「不起訴相当」の判断がなされました。


 この案件に関しては、当該女性の記者会見の前後から、女性の主張を鵜呑みにし、私を犯罪者であると断定するかのような週刊誌や新聞、テレビの報道が大量に流布されました。しかし、11名の一般国民の方々により構成された独立性を有する組織である検察審査会は、当該女性の主張は勿論のこと、検察庁が保有する全ての証拠資料の提供を受け、3カ月以上の時間をかけて厳正に審査した結果、不起訴処分が相当であるという結論に立ち至ったわけです。


 一連の経過において犯罪行為があったと認定されたことは一度もなく、今回不起訴処分が確定したことで、この案件は完全に終結しました


 しかし、これまで一部の報道機関や政治家、記者、コメンテーターなどは、当該女性の主張のみに依拠して私を犯罪者と断定するような報道や発言を行い、私の名誉は著しく傷つけられました。大変残念であり、事案によっては法的措置も検討しています。


 今般の検察審査会の判断により、今後は私に関して誤った報道がなされることはないものと期待しております。万が一、私の名誉を傷つけるような報道が引き続きなされた場合には、そちらも法的措置の検討対象となることもご承知おきください。(産経新聞より)


国の最高レベルが関わっている案件のこと、どこでどう忖度が働くのかわからない。無作為の日本国民、というが こうした個人の尊厳を踏みにじることの白黒を無作為の11人かつその議論の過程も密室。無作為もその証明も検証の奉納もない。なんだかんだ言って密室なのだ。しかし、検察審査会の正当性の検証などの手立てはなく、また時間の無駄。


しかし山口氏”この案件は完全に終結しました。”は、いささか気がはやい。
検察が起訴できないことが、仕方ないですね、と結論されただけで、山口氏の行為は正当化されたわけでも、道義的責任がないと許されたわけでもない。臨時国会冒頭解散で、森加計問題が、完全に終結すると思っている”お友達”と同じ思考回路だ。


日本の新聞は、中立的?事実の報告で、本当に”終結する”かのような報道だが、なんとロシアの情報マガジン”スプートニク”が、民事裁判に発展か?という記事を出している。しかも、かつて横須賀で米兵にレイプされたオーストラリア女性に対する警察の対応と、その後の”不起訴”という扱いを経て、民事裁判で賠償金支払いの判決が下された例を挙げ、日本の社会の”レイプ=臭いものに蓋” ”レイプ=女性の自己責任”の現状に触れている。



女性が今年5月に記者会見し、顔を出した上で、2015年4月に元TBS記者の山口敬之氏に性的暴行されたことを明らかにした。女性はこれを受けて警視庁に被害届を出したが、2016年7月に嫌疑不十分で不起訴処分になったため、検察審査会に申し立てを行なっていた。この件で東京第6検察審査会は、21日付けで、慎重に審査したが不起訴を覆すに足りる事由がないとして「不起訴相当」と議決した。


女性は今年5月の会見で、女性が暴行を受けたとされる2015年4月4日の都内ホテルの防犯カメラ画像には、自分が山口氏に抱えられてホテルへ入っていく様子が映っていたと語った。女性は「私の意識が戻ったのは翌朝の午前5時ごろ。ホテルのベッドの上でした。私は裸にされており、山口氏が仰向けの私の上に跨っている状態でした。詳細については差し控えますが、はっきり言えることは、私はその時、私の意思とは無関係に、そして私の意思に反して性行為を行われていたということです」と述べていた。


ホテルの防犯カメラ、ベルボーイ、タクシー運転手の証言などをもとに高輪警察署は、準強姦容疑で逮捕状を発行した。しかし山口氏は不起訴になった。その理由は不明だ。山口氏が古くから安倍首相の取材を行なっており、両者が非常に近しい関係にあることから、ネット上では様々な憶測が飛び交っている。検察審査会が不起訴相当としたことで、今後は民事裁判に発展するかもしれない。


性的暴行事件・不起訴からの民事裁判で思い出されるのが、オーストラリア人女性が米兵にレイプされた事件である。日本在住のオーストラリア人女性、キャサリン・ジェーン・フィッシャーさんは、2002年に神奈川県横須賀市で性的暴行を受けた。バーで薬物を入れられて見知らぬ男(後に米兵と判明)にレイプされたにもかかわらず不起訴となったため、フィッシャーさんは東京地裁へ民事裁判を起こした。賠償金支払いの判決が下されたが、その時すでに犯人はアメリカへ逃げ帰っていた。フィッシャーさんは当時をこう振り返る。


日本の警察は私をあたかも犯罪者のように扱いました。私を拘束し、病院に行きたいという訴えも聞き入れてくれなかったのです。私が病院に連れて行かれたのはようやく翌朝になってからでした。2002年当時、日本の警察はレイプ後に行なわねばならないテスト(精液採取などに)必要なものは何も備えていませんでした。日本におけるレイプ捜査の最大の問題は警察に知識も準備も必要な設備もなかったことでした


なお、性的被害にあった女性が泣き寝入りせず、自分の受けた被害について語る運動「私は語ることを恐れない」も広まっている。昨年ウクライナ人の社会活動家アナスタシヤ・メリニチェンコさんが提唱したもので、ロシアにも広がりを見せている。
日本の社会はこの、「私は語ることを恐れない」が、最も厳しい社会である。それでも、
日本でも、広げて行かなくてはならない大切なことだ。性加害者に優しく被害者が踏みにじられる歪んだ社会を、まず自覚しなくてはならない。


裁判は、双方の代理人が法廷で論戦し、証拠を検証し、証言を求め、時間をかけて審議される。不当と思えば控訴もできる。少なくとも、一部の権力側の人間や、あるいは無作為の11人国民による闇から闇への決定だけで、何ら真実の追求すらできず、その間、雲隠れの被疑者?が早々に勝利宣言と勝ち誇りのマスコミ恫喝のような、普通の人間としても品性が疑われる傲慢な態度がまかり通ることは、あってはならない。


性被害にあった女性が、泣き寝入りせざるをえなくなったり、セカンドレイプまがいのバッシングを受けたり、今後の社会活動の障害になったり、何より本人の悔しさ悲しさを力と制度で社会が封じ込めることは、全体の意識を高め改革して行かなくてはならない。
詩織さんの事件はこのまま押しつぶさせてはならない。彼女の周りには、ジャーナリストや法律家がルーティングしているだろう。民事訴訟となると、お金もかかるだろうから、一般に援助募金を募ってでも、きちんと法廷で真実を明らかにすべく戦ってほしい。応援したい。


詩織さんは辛いだろうが、しかしこのままでは、心が折れたまま傷ついたまま人生を送って行くことになるだろう。性被害者に取って最もいたたまれないのは、謝罪の意思などない(どころか事実さえもない)という加害者の開き直りである。だから慰安婦問題は決して解決を見ない。


類は友を呼ぶ、山口氏の傲慢な勝利宣言が(実際、自分の身勝手な欲望をはきだし彼女を大きく傷つけたことは確かなのだから)、安倍首相の慰安婦問題への姿勢とかぶる。
もし、自分だったら、もし自分の母が、妹が、姉が、妻が、恋人が、同じ状況下でこのような言葉を受けたら、、と考えてみてほしい。人は罪を犯すし、被害者になることもあるが(命があって)、その後の傷の克服への大きな違いは、すべて、加害側の、傷受けた人間に対する、痛みへの共感と、自分の行為に対する後悔と、謝罪しようとする真摯な思いである。山口氏のごとき態度こそ、最低の男性の、身勝手さと狡さと卑しさの典型であると思えてならない。


性犯罪被害者に『済んだことは忘れて、前を向いて生きてゆこう』という助言は、正当ではないと思う。前を向いて生きてゆくために、自分をごまかして、無理に納得させれば、深い傷が内部から心を腐らせる。悔しくて辛いだろうけれど、周りにたくさんの信頼できる仲間を見つけて、守られて、時に慰めを受けながら、納得できるまで、戦いを続けて欲しい。


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